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源是恒

平安時代前期の賜姓皇族。光孝天皇の第8皇子
 
源是恒
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 延喜5年7月28日905年8月31日
改名 是恒王→源是恒→空性→源是恒
官位 従四位上美濃権守
主君 清和天皇陽成天皇光孝天皇宇多天皇醍醐天皇
氏族 光孝源氏
父母 父:光孝天皇
兄弟 元長兼善、名実、篤行、最善、近善、音恒、是恒旧鑑、遅子、麗子、竒子、忠子内親王、貞恒、成蔭、是忠親王
是貞親王、国紀、宇多天皇、香泉、
友貞、簡子内親王、崇子、連子、
綏子内親王、礼子、最子、偕子、黙子、是子、並子、深子、為子内親王、周子、密子、繁子内親王穆子内親王、緩子、和子、謙子、袟子、快子、善子など多数
養兄弟:是茂
養子:衆望
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源 是恒(みなもと の これつね)は、平安時代前期の賜姓皇族貴族光孝天皇の第八皇子官位従四位上美濃権守

経歴編集

当初是恒王を名乗るが、貞観12年(870年)父の時康親王の上表により、兄弟姉妹と共に源朝臣の姓を賜与され臣籍降下[1]。その後、出家して空性と号する。元慶8年(884年)時康親王が即位(光孝天皇)すると、出家の身であったが他の兄弟と共に時服月俸に預かっている[2]。その後、還俗して寛平8年(896年)11月に再び源朝臣姓を与えられ、官位は従四位上・美濃権守に至る。

延喜5年(905年)7月28日卒去[3]

系譜編集

脚注編集

  1. ^ 日本三代実録』貞観12年2月14日条
  2. ^ 『日本三代実録』元慶8年6月2日条
  3. ^ 小右記

参考文献編集