無尽業法(むじんぎょうほう)とは、営利無尽を規制する法律。旧法は1915年6月に制定された(1915年法律24号。同年11月施行)。現行法はこれを1931年4月に全面改正したもの(1931年法律42号)[1]

無尽業法
日本国政府国章(準)
日本の法令
通称・略称 なし
法令番号 昭和6年4月1日法律第42号
種類 金融法
効力 現行法
成立 1931年3月24日
公布 1931年4月1日
施行 1931年7月1日
主な内容 無尽業について
関連法令 会社法銀行法など
条文リンク e-Gov法令検索
テンプレートを表示

当初は、給付するものが「金銭」または「有価証券」である無尽が対象だった。1931年4月の全面改正により[2]、株式会社であることが免許要件とされた[3]。また、1941年3月の法改正(1941年法律80号)により、給付するものに「其の他の財産」が追加された。

1951年6月相互銀行法(1951年法律199号)により、金銭無尽会社に相互銀行への転換を促すため、給付するものが「金銭以外の財産」に制限された。以来、無尽業法の適用を受ける物品無尽会社は、1社(日本住宅無尽株式会社)のみとなっている。

概説 編集

無尽・頼母子講とは 編集

無尽(頼母子講ともいう)は、日本に古くからある相互扶助・非営利の金融制度である[注釈 1][注釈 2]

加入者は、例えば毎月、一定の掛金を支払う。1回当たりの掛金の総額から「花籤」と呼ばれた金額を控除した残りが、抽選または入札により、加入者の1人に給付される。「花籤」および入札の場合の落札額は、その他の加入者に利息相当額として支払われる。1回当たりの掛金の総額が給付されるのは一度きりで、いったん給付された加入者へは利息相当額は支払われない[4]

無尽の運営に慣れた者が世話人となり、これに謝礼・手数料が支払われるようになって、後に、そうした世話人の中から、無尽に加入することなく、営利目的でその運営を行う者が出てきた。これが「営利無尽」である[5]。営利無尽は、近代に入って、「下層金融」または「庶民金融」として発達したが[6]、不正業者による被害が発生するなどしたため、法律で規制することとなった[7]

細民ないし小商工業者に金融を開くための立法作業は、大正時代年頭からあったが、大蔵官僚と農商務官僚の対立で結実しなかった[8]。しかし、1913年(大正2年)8月9日、大審院が「無尽会社は銀行事業を営むものとは言えない」と判決したため[9]、銀行条例に代わる規制法令の立法が急がれることとなった[10]

旧法の1915年11月施行に合わせて、貯蓄銀行条例も改正されて[11]、①通常無尽、②積立会、③据置貯金、④公債を目的とする積立会、という当時の4つのビジネスモデルとも、いずれかの法令により規制されることとなった[12]。1914年末時点で831社あった無尽業者だが、免許を受けた者の数は137社(1916年末時点)となった[13][14][5]

戦争期の無尽会社 編集

無尽会社の社数は、276社(1933年末時点)をピークに漸減に転じた。

1940年7月に第2次近衛内閣が成立すると新体制確立の気運が濃厚となり、金融界でも横断的な連絡機関として、同年9月に申合団体「全国金融協議会」が設立された。無尽会社はこれに全国無尽中央会(無尽業の学理的実際的研究機関である社団法人)を通じて加入した。その後、戦時統制経済の下で、金融統制団体令に基づく金融事業統制団体が設立されることとなり、無尽会社173社は、全国金融統制会の傘下の業態別統制会として「無尽統制会」を設立した。

戦時中は、中小事業者の資金ニーズが低下する一方、貯蓄を目的とする加入者が増加した。また、政府が合併促進策を進めたため、終戦時には約60社まで無尽会社の数は減少した[15]

みなす無尽(殖産会社) 編集

免許を受けて「営業無尽」となった無尽会社も、加入者相互のつながり(団)を前提とし、また、給付を受ける順位を偶然(抽選または入札)によっていた。

一方、1949年頃から中小企業むけに、この「団」を前提とせず、一定の掛金を支払った後は、将来分まで含めた掛金の総額を限度として、いつでも融資を受けられる、いわゆる「殖産会社」が九州に起こり、たちまち全国に広がった[16]。銀行でないのに「日掛貯金を受け入れて、貸付けを行う」わけで、殖産会社の多くに法令違反(預金類似行為)のおそれがあった[17]

そこで、1949年5月貸金業等取締法(1949年法律170号[18])は、貸金業者を規制する一方、附則4項により、殖産会社を「みなす無尽」とし、無尽業免許の対象とした[19]。500社超(九州だけで300社超)の殖産会社のうち、232社が調査され、検査の結果良好と認められた132社を整理統合した17社(後に15社)に内免許が付与された[16][15]

なお、貸金業等取締法は、その7条で「預り金の禁止」を定めたが[20]、これにより貸付資金の調達が思うに任せなくなった不正業者は[21]、他人資本を用いた貸金業を続けるため、「株式相互金融」という脱法行為を編み出した。まず株式会社を設立し、その株式の取得代金を分割払いで支払わせ、集めた資金を「株主」に貸し付ける、というもの。そこで1954年6月出資法(1954年法律195号[22])により、貸金業者に限らず、広く「出資金の受入の制限」と「預り金の禁止」を課すことで、株主相互金融を禁止する措置が講じられた。

金銭無尽会社から相互銀行へ 編集

無尽会社が給付するものは、1951年6月相互銀行法(1951年法律199号)により、「金銭以外の財産」に制限された[23]。この法改正は、当時の金銭無尽会社に対し、庶民金融機関(=中小企業者のための金融機関、国民大衆のための貯蓄機関)であるところの「相互銀行」への転換を促すものだった。無尽会社74社(うち金銭無尽会社70社)のうち新設3社を含む73社(同68社。残る2社は営業譲渡した)が相互銀行に転換した[16]。その後は、相互銀行において、みなす無尽に由来する掛金業務と相互銀行法に基づく預金業務が行われるようになったが、1957年(昭和32年)3月に両者の業務上の地位が逆転して掛金業務は次第に縮小した。

構成 編集

  • 第一章 総則(第1条 - 第9条)
  • 第二章 業務(第10条 - 第13条)
  • 第三章 経理等(第14条 - 第20条)
  • 第四章 合併、会社分割又ハ事業ノ譲渡若ハ譲受(第21条 - 第21条ノ5)
  • 第五章 業務及財産ノ管理ノ委託(第21条ノ6 - 第21条ノ12)
  • 第六章 監督(第22条 - 第26条)
  • 第七章 廃業及解散(第27条 - 第29条)
  • 第八章 清算(第30条 - 第33条)
  • 第九章 無尽ノ管理(第34条・第35条)
  • 第十章 公告(第35条の2・第35条の3)
  • 第十一章 罰則(第36条 - 第41条)
  • 第十二章 雑則(第42条・第43条)

脚注 編集

  1. ^ 無尽業法”. 国立国会図書館 法令情報詳細画面(日本法令索引シンプル表示). 2022年3月5日閲覧。
  2. ^ 「無尽は最も古い沿革を有しまする我国固有の金融法でありまして、早くから津々浦々にまで普及致して居るのであります、現行の無尽業法は大正4年に始めて制定せられたものでありまして、爾来無尽業者の適従すべき基準として、本業の発展に貢献して参ったのであります、併ながら其後時勢の進運と本法施行の実績とに鑑みまして、其無尽業をして一層庶民金融機関たるの機能を発揮せしめんが為め、営業上の資金運用の範囲を拡張する外、銀行法、貯蓄銀行法及信託業法等の規定をも参酌致しまして、或は其営業の主体を株式会社に制限し、或は無尽会社の監査役をして毎営業年度一回監査書を作成するの義務を負はしむる等、種々の改正を加ふることを至当と認めましたので、茲に無尽業中改正法律案を提出致しました次第であります、」(衆議院議事速記録19号、1931年2月27日)
  3. ^ 改正後の4条「無尽業は資本金3万円以上にして払込金額1万5千円以上の株式会社に非ざれば之を営むことを得ず」
  4. ^ 加藤美倫「是丈は心得おくべし:金銭活用安全利殖」誠文堂、1919年
  5. ^ a b 森本亨「無尽の話」広陵社、1936年
  6. ^ 「右に述べたやうに何故相互救済無尽や営業無尽が、過去において斯の如く発達し、また、将来においても発達する可能性があるかといへば、前にいったごとく銀行、保険会社、貯蓄銀行、特殊銀行等が庶民金融機関としての作用をなさないこともその理由の一であり、また高利貸が高利を食って、悪辣なる手段を弄し、以って社会を毒するから、これまた庶民金融機関としてその用をなさないこともこの理由の一であり、質屋がほとんど消費資金の供給のみに限られて、生産資金の供給をなさず、かつ持込担保の不便のために、金融機関としての用をなさないこともまた一つの原因であり、信用組合が無能であることも、一つの原因であるであらう。しかし、無尽の発達する理由は、これらの他の機関の庶民金融機関として不適当であるといふ消極的の理由からではなく、積極的に他の金融機関に比し庶民金融機関として独特の本質と長所とを有っていることが、無尽が庶民銀行として発達する最大の理由でなければならない。」(井関孝雄「庶民銀行」先進社、1931年)
  7. ^ 「…然るに是等営業者の多数は其資力の乏しいものでありまして、基礎甚だ薄弱、経営も亦真面目を欠いて居ることの結果、其経済上社会上の弊害が延て甚しき為めに、細民の損害を受くるものの少なくないのみならず、延て国民貯蓄心の発達をも害せんとするやうな状勢でありますが故に、今日の儘に放棄して置きますことは宜しくないと云ふことに相成ったのであります、而も無尽の営業なるものは、我国多年の習俗である所の無尽講、頼母子講なるものを巧みに営業化したものでありますから、金融の方便としては必ずしも不良の制度と云ふ訳には参りませぬ、それ故に其長を採り弊を矯め、相当の監督を加へましたことに於ては、小商工業者の金融機関として相当の効果を挙げることが出来るであらうと思ひます、」(衆議院議事速記録6号、1915年5月30日)
  8. ^ 「無尽講の勢力頗る大なるものあることは既に前節に於て述べたるが如く。従て其行はるる方面の広きことも亦想像するに難からず。明治45年農商務省が全国の商業会議所に対して「小商工業者資金融通の状況」に関する調査を依嘱せるに対し各地商業会議所の答申する所を見るに多くは無尽講の小商工業者の資金融通方法として銀行、質屋、金貸業以外に立ちて頗る重要なる地位を占め居ることを述べ居れり。蓋し無尽講なるものは全国如何なる地方にも之を見ざる所なきの状況にして是に由りて小商工業者も其生産資金を得ること多きものなること疑なし。然れども無尽講によりて得べき資金の融通は果して生産的に利用せられつつありや。或は消費信用たるに止まるやに就ては容易に判定を許さざる所なりと雖も無尽講の性質に鑑みるときは質屋又は金銭貸付業者の融通する資金よりも生産的に用ひらるるもの却て多き居るべきは亦疑なき所なりとす。抑々全国に於ける信用組合普及の程度は未だ十分ならず。其設立手続の困難なると其理事者を得難きの事情とに基き寧ろ無尽講の簡単なるに走るを便宜とするは已むを得ざる所なり。」(大蔵省銀行局「銀行便覧」1918年)
  9. ^ 「一、銀行条例に営業として諸預り及び貸付を併せ為す者を銀行とすとあるが故に要求払又は定期払等返還の債務を負担して収受したる預金を営業資金に供し貸付等の方法に依り之を運用することは普通銀行の主たる営業にして銀行事業に必要欠くべからざる事項なりとす。一、会社にして無尽講に類する事業を営み其事業として一定の会員を募集し各会員に数回一定の金額を積立てしめ之に依て得たる金員を以て毎回抽選若くは入札の方法に依り会員の一人に対し一定の金額の貸付を為すが如きは銀行に欠くべからざる諸預りの業務を欠如し純然たる銀行事業を営むものと云ふを得ず」
  10. ^ 「いわば下層階級に金融の道をひらき、その不満を解消せんとする社会政策的意図をこめた立法作業であった。いくつかの試案が作成されながら立法に結実しなかった背景には、下級金融機関整備をめぐり、主張を異にする大蔵官僚と農商務官僚の対立がひそんでいた。しかし政府が大正4年に制定した無尽業法は、前述の官庁調査や右の立法作業とは異質の発想で決定された。すなわち取締立法色の強い無尽業法の制定である。その理由の最大は、大正2年8月9日付大審院判決にあったと考えられる。それまで銀行条例に無尽会社取締を依拠していた政府は、大審院が無尽会社を銀行条例の対象外と判決したため、取締の根拠を失うことになった。とはいえ、現実に生ずる無尽会社の不健全な行為を放置することはできず、取締の根拠法を早急に立法したと考えられる。もはや下級金融機関整備をゆっくり煮詰めていく余裕を失ったというべきであろう。」(麻島昭一「無尽業の存立基盤とその変質」国際連合大学、1983年)
  11. ^ 「…此種の営業者は信用の薄弱の者が多く、又経営上甚だ善良ならざる経営を為す者が少なくありませぬために、経済上社会上に及ぼす弊害が少なくないのであります、然るに此種預金の経済上の性質は、長期に渡って零細の資金を吸収し、之を保管利殖すると云ふことでありますから、其安全と確実とを期せしめなければならぬと云ふ点に付ては、貯蓄預金と何ら選むところはないのであります、依て此種の業務を以て貯蓄銀行業務の一と致して、貯蓄銀行以外の営業者が之を営むことは禁ずることにした方が相当であると考へるのであります、」(衆議院議事速記録6号、1915年5月30日)
  12. ^ 東京法制研究会「貯金と無尽」1915年
  13. ^ 衆議院議事速記録6号、1915年5月30日
  14. ^ 大蔵省銀行局「銀行便覧」1918年
  15. ^ a b 「昭和財政史-終戦から講和まで」13巻
  16. ^ a b c 井関孝雄「商業金融論」新紀元社、1954年
  17. ^ 「…そしてこのように各種金融法規違反の惧れのある金融会社が濫設されるに至った理由について①金融梗塞によりとくに庶民階層、零細企業者に対する金融の道が閉され、資金の供給を要望していること、②既存の庶民金融機関(無尽会社、信用組合)は、採算上有利確実な階層を相手とし、担保を徴する等のために借入手続も複雑になり、しだいに庶民階層または零細企業者から遊離していく傾向にあること、③これらの金融会社の貸付手続がきわめて簡便であり、かつ一定の金額を払い込めばその何倍かの融資を受けうるので、熾烈な信用の需要の感覚に適合していること、の三点がとりあげられている。しかもこれら業者は、①相当高金利でないと採算がとれないこと、②金融法規の脱法行為の惧れのあるもの、経営者中に悪質不適当なものが相当あること、③経営が不健全であること、④社会的弱者である庶民階層を喰いものにしたり、詐偽的行為と認められるものもあること、などの難点をもっていると指摘している。」(「昭和財政史-終戦から講和まで」13巻)
  18. ^ 「貸金業等の取締に関する法律」
  19. ^ 改正後の無尽業法1条「②一定の給付金額を定め一定の期間内に掛金を払込まして其の期間の中途又は満了のときに於て掛金者に対して金銭の給付を為すものは無尽と看做す」
  20. ^ 7条「①貸金業者は、預り金をしてはならない。②前項の「預り金」とは、不特定多数からの金銭の受入で預金、貯金、掛金その他、何らの名義をもってするを問わず、これらと同様の経済的性質を有するものをいう。」
  21. ^ 「貸金業者は、自己資金又は、親族縁故者等の特定少数者から受入れた金銭の貸付け又はその媒介のみを行うものとし、貸金業者は何らの名義をもってするを問わず、不特定多数の者から預金等と同様の経済的性質を有する金銭の受入れができないものとしている。」(大蔵省銀行局「金融四季報」1949年)
  22. ^ 「出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律」。1983年5月の法改正(1983年法律32号)により、現行の「出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律」に改題された。
  23. ^ 相互銀行法附則2項

注釈 編集

  1. ^ 「「無尽」は。関東においては普通これを「無尽」とよび、関西においては、大抵これを「頼母子」と呼んでいる。そのほか一般に「講」とよぶところもある。また香川県福岡県等においては「用金」(搖金変化)」島根県では「志儀」宮崎岡山鹿児島沖縄では「模合」三重県では「講事」山形県では「貯」(溜)また鹿児島県では「外掛銭」などと呼んでいる。これらの中、普通使はれているのは、「無尽」「頼母子」「講」の三つであって、他のものは、各地方特有のものであって、共通的のものではない。」(井関孝雄「庶民銀行」先進社、1931年)
  2. ^ 古屋能勢雄「営業無尽と頼母子講」1918年など、頼母子講を「営業に非ざる無尽」とする文献もある。

参考文献 編集

  • 麻島昭一『無尽業の存立基盤とその変質』アジア経済研究所図書館デジタルアーカイブス、1983年。 

関連項目 編集

外部リンク 編集