トウショウファルコ

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トウショウファルコとは日本競走馬誘導馬である。競走馬時代に重賞競走で2勝。三白流星[1]尾花栗毛という派手な馬体から人気を集め、その引退後は東京競馬場で誘導馬を勤めた。ニックネームは「走るベルばら」。

トウショウファルコ
品種 サラブレッド
性別
毛色 尾花栗毛
白斑 三白流星
生誕 1986年5月16日
死没 2005年10月21日(19歳没)
グリーングラス
カメリアトウショウ
生国 日本の旗 日本北海道静内町
生産者 藤正牧場
馬主 トウショウ産業(株)
調教師 新関力美浦
厩務員 多羽本博
競走成績
生涯成績 31戦8勝
獲得賞金 2億2797万0000円
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馬齢は当時の表記(数え年)とする。

馬名の意味

「トウショウ」は、馬主の冠名。「ファルコ」は、漫画北斗の拳』の登場人物である「金色のファルコ」ことファルコ将軍に由来する。なお、同時期には同漫画の人物から命名された「トウショウヒューイ」「トウショウジュウザ」「ハシノケンシロウ」などもいた。

経歴

現役時

デビューは1989年2月4日の新馬戦で、6着。続く2戦目初勝利を挙げる。

容姿の優美さもあって人気が先行していたものの、裂蹄を持病としていたこともあり、4〜5歳時は条件戦で4勝を挙げるに留まる。

ようやく頭角を現すのが6歳の夏で、重賞初出走となった七夕賞において3着となった後、秋の東京スポーツ杯でオープン特別初勝利を挙げた。その後アルゼンチン共和国杯9着を経てフェアウェルステークス優勝と遅咲きの活躍を見せ始める。

7歳時は、年明け緒戦の金杯(東)で念願の重賞初勝利を挙げると、続くアメリカジョッキークラブカップでは、前年の宝塚記念優勝馬メジロライアンを下して連勝。この勝利は父・グリーングラスとの父子制覇でもあった。これにより、トウショウファルコは一躍天皇賞(春)に向けての有力候補と注目を集めた。

しかし、これからという時期に持病の裂蹄が悪化、長期の休養を余儀なくされる。同年の天皇賞(秋)で復帰するも15着と奮わず、これを最後に競走馬を引退した。

引退後

引退当初は父:グリーングラスの血統を残すべく種牡馬入りも検討されたが、繋養先に恵まれなかったため断念。しかしその美しい肢体から東京競馬場の誘導馬に選ばれ、自身が立てなかった大舞台の先導という新たな馬生を、1993年からの6年間勤め上げた。

ここでもその容姿ゆえ目立つ存在で人気が高く、同時期に誘導馬を務めたメジロファントムロンスパークと共に東京競馬場の名物となった。

誘導馬を引退した後は横浜市根岸競馬記念公苑に移送され、展示馬として繋養され、また一般公開された。こちらでも現役時代を偲ぶファンが、その姿を見に訪れた。

2005年10月21日老衰[2]で死亡。10月27日には同公苑根岸ポニーセンターにて、お別れの会が開かれた。同所には「トウショウファルコ号ここに眠る」と刻まれた追悼石碑が設けられている。

馬齢別競走成績

  • 4歳(1989年)-10戦2勝
  • 5歳(1990年)-10戦2勝
  • 6歳(1991年)-8戦2勝(東京スポーツ杯-OP)
  • 7歳(1992年)-3戦2勝(アメリカジョッキークラブカップ-GII、金杯・東-GIII)

※OP = オープン特別戦。

血統表

トウショウファルコ血統ハイペリオン系/Hyperion4x5=9.38%) (血統表の出典)

グリーングラス
1973 黒鹿毛
父の父
*インターメゾ
Intermezzo
1966 黒鹿毛
Hornbeam Hyperion
Thicket
Plaza Persian Gulf
Wild Success
父の母
ダーリングヒメ
1964 栗毛
*ニンバス
Nimbus
Nearco
Kong
ダーリングクイン *ゲイタイム
ダーリング

カメリアトウショウ
1982 栗毛
*ハンザダンサー
Hunza Dancer
1972 鹿毛
Hawaii Utrillo
Ethane
Oonagh Sword Dancer
Uvira
母の母
ガールトウショウ
1975 栗毛
*チャイナロック
China Rock
Rockfella
May Wong
*ソシアルバターフライ
Social Butterfly
Your Host
Wisteria F-No.1-w

母系は父グリーングラスと共に「TTG」と呼ばれ、ライバル関係にあったトウショウボーイと同じソシアルバターフライ系に属する。近親にはトウショウボーイをはじめ、それぞれ重賞4勝を挙げたエイティトウショウやトウショウレオなど多くの活躍馬がいる。

脚注

  1. ^ 顔に白斑があり、三肢の脚先が白いこと。
  2. ^ 老衰と報道したマスコミは一社のみ。死亡を発表したJRAのサイト(2005年9月22日に亡くなったメジロラモーヌの死因は「老衰」と記載されていた)やお別れの会当日でも一切死亡原因は触れられていなかった。

外部リンク