ノート:国鉄103系電車

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最新のコメント:10 年前 | トピック:項目の整理について | 投稿者:Tokacyan

このページは一度削除が検討されました。削除についての議論は ノート:国鉄103系電車/削除をご覧下さい。

103系15両編成

15両運転の開始(常磐快速線)と記載があるのですが、103系唯一の15両編成であることを、付記すべき? Papu会話2013年12月19日 (木) 02:11 (UTC)返信

1200番台を戻しませんか?

現在、1200番台の解説は301系のページで行われていますが、この意味は何なのでしょうか?もし意味がないのであれば、103系のページに戻すべきだと思いますが。--日生586 2006年12月10日 (日) 12:58 (UTC)返信

  • 私も詳しい経緯は存じ上げませんが、国鉄103系電車の文章量が多いので、1200番台を301系に引越しさせて文章量を多少なりとも減らしたということのようです。それでもなお文章量は多いので、1200番台を戻すことは現実的ではないでしょう。読む側、知りたい側からすれば不満は残りますけれどね。将来的な可能性として、1000番台、1500番台を含めて地下形だけを分離し、1200番台、さらには301系ともまとめるという方向性ならあるかも知れませんが、多くの方の賛同をいただくことが可能だったならば、と言わざるを得ない状況ですね。125.203.103.26 2006年12月25日 (月) 11:32 (UTC)返信

賛成

いったん103系に戻しておき、その後地下形のみに分離するなどの方法が良いと思います。ただし、1200番台を301系の方で扱ってから時間がかなり経つので、301系の本文中での手直しがかなり多くなるのではないかと思いますし、103系の部分でも工夫していれないといけないと思います。ですので、301系から103系に戻すには非常に労力がかかりますが、それらをやり遂げる意志があるのかどうか。その強い意志があるのであれば賛成しますが、そうでなく単に誰かがやってくれるだろう的な考えであるならば賛成はできません。--永尾信幸 2007年1月9日 (火) 01:04 (UTC)返信

基本的には賛成です。あくまで103系に属する1200番台が103系の記事で解説されず、丸々301系の記事で解説されていることには強い違和感を覚えます。ただ、上でも述べられているように分割以後103系の記事と301系記事中の1200番台の記述は別々に成長しており、今から1200番台の記述をそのまま103系記事に移すことはできないと思います。とりあえず、帝都高速度交通営団東西線乗り入れ運用向けに1970年に35両が製造されたという旨など最低限の概要を103系記事に追加し、詳細は国鉄301系電車を参照するよう誘導するという形にしてもよいのではないでしょうか。--Alive 2007年3月26日 (月) 16:07 (UTC)返信

211系のノートで103系1200番台の話題が出た関係もあり約5ヶ月ぶりに、この件の議論を再開したいと思いここに賛成意見を書かせて頂きます。私もAliveさんの意見に賛成致します。301系のノートでも申し上げたのですが、103系1200番台は実際に301系と併結運用されていましたし、301系の後継形式が103系1200番台といってもそれ自体は間違いではないでしょう。でも、数ある文献の中に301系の中に103系1200番台を記述している文献(鉄道ファンや鉄道ジャーナルなど)は私自身一切見たことがありません。やはり、概要や機構については103系で解説するのが筋だと思います。現在私の方で、文献や両記事の文章などをよく見て上記の提案のようにしていこうと計画しています。内容としては、301系にある「103系1200番台 仕様」の節を103系の方に移動し、その他の記述については、運用面などは301系に残しておく計画です。ただ、この記述統合については慎重に行っていく所存であります。--鉄道マニアック野郎 2007年8月3日 (金) 14:46 (UTC)返信

賛成です。基本的には103系1200番台の車両に関する記事は103系の中でできるだけ完結するように記載する、運用については松戸区転属車は1000番台と共に103系の中で記述、三鷹区所属車は301系の中でまとめる、分離した記事同士は必要に応じて他方へ誘導するためのリンクをはる、です。それから、現在の103系1200番台の記事内容は、301系との共通点もしくは相違点の比較がメインで分離が難しそうな印象をもたれるかもしれません。ですが、そもそも現状そうなっているのは301系の中に103系1200番台の節があるからに他なりません。移動前でも後でも良いので103系のメカの部分をきちんと記事にしていけば良いと思います。(追伸)301系の記事についての問題はそちらに記載します。Alt_winmaerik 2007年8月9日 (木) 17:06 (UTC)返信

(賛成)1200番台だけが別扱いで同じく営団(現・東京メトロ)東西線乗り入れ車である301系の項目で扱うのはいくらなんでも不公平(Wikipedia:中立的な観点に反する)だと思います。「餅は餅屋」というくらいですから、103系1200番台に関する記述はやはり103系で述べるべきではないでしょうか?--Kuha455405 2009年4月1日 (水) 12:40 (UTC)返信

反対

コメント

  • 戻す事に賛成です。確かに容量が削れてWikipedia的にはいいのかもしれませんが、利用者からしたら「何で301系の項に載ってんねん」です。多分戻しても2KBくらいしか増えないでしょうし。--59.190.189.130 2007年1月2日 (火) 11:59 (UTC) 日生586さんご本人の投稿であることが強く疑われていますので、コメントへ移動しました。--ikaxer 2007年1月3日 (水) 02:21 (UTC)返信
一年以上経過しましたが、まだ結論に達していないようなので項目の一部転記を提案させていだきました。 議論の分散を避けるため、今後のこの件の議論の場所はノート:国鉄301系電車にてお願いします。--Tokacyan 2009年2月17日 (火) 00:38 (UTC)返信
ノート:国鉄301系電車でも特に異論がなかったため、103系1200番台の記述を戻しました。--Kuha455405 2009年6月14日 (日) 10:43 (UTC)返信

冒頭文について

冒頭文の表現方法を少し前のもの(概要に分離されているもの)に戻したのにも関わらず、またしても差し戻されてしまいました。

冒頭文は本来、「何処が持っていて何型なのか」と「この項で述べるいくつかのもの」を1文で載せる所であり、あの文章はそれに違反しています。私はそれに準じて編集しただけです。 --60.56.184.247 2006年9月9日 (土) 03:49 (UTC)返信

こちらでは、はじめまして。何度か差し戻しに加わった者です。
冒頭は一文で十分とのことですが、失礼ながら、車両データ表を一番上に持って行きたいがための、口実なのではありませんか? 冒頭を一文にしようがしまいが、長い目次横の空いたスペースに車両データ表を持って行くのが自然と考えます。
また、データ表や写真の並びを変えている一連の編集は、あなたによるものとお察ししますが、そうまでして上に詰めたがる理由はいったいなんでしょうか。お聞かせ願えれば幸いです。--ikaxer 2006年9月9日 (土) 04:28 (UTC)返信
60.56.184.247氏の編集は確かに正しいと思いますが、他者との協調の面において不安を感じます。このままでは編集合戦による保護も考えなければなりません。どうか利用者登録した上で論議しませんか?IPユーザーが悪いわけじゃないんですが、あなたのIPアドレスが良く変わって誰が誰か不明になることもございますので・・・。今までのあなたの編集を見ていて(今回以外のIPでの編集を含めて)感じた事を述べさせてもらいました。車両と関係ない話ですみません。--ちゃたま会話|投稿記録2006年9月9日 (土) 04:31 (UTC)返信

表記を変更のうえ、順番のみを差し戻しました。私も60.56.184.247氏と同じ意見で、やはり表記統一は重要な事であると思います。--218.228.189.199 2006年9月10日 (日) 07:35 (UTC)返信

もう一度文章を見直しましたが、あの文章は概要と重複していました。それに、鉄道関連のページ以外のページも見て回ってきましたが、どこの冒頭文も「何処が持っていてどういうものなのか」と「この項で述べるいくつかのもの」しか書いてなかったです。

連投になって申しわけありませんが、Ikaxerさん、60.56.184.247氏は「全ての鉄道記事の構造を統一したい」という事を言いたかったのだと思います。統一は見易さ・編集などの観点から見ても重要な事ですし、場合によっては容量削減にも繋がります。その辺、考えていただけますでしょうか。--218.228.189.199 2006年9月10日 (日) 08:23 (UTC)返信

私個人の意見を申し上げれば、冒頭は一文でもかまわないと思っています。しかし、それでは納得しない方もいらっしゃいますので、ちゃたまさんがおっしゃるように、是非とも利用者登録をなさっていただけないでしょうか。
今回の冒頭に関しましても、同一の方と思われるIPの方が車両データ表を上に詰め、私が利用者‐会話:59.190.188.172のようにお願いしたところ、それを受けたかのように冒頭を一文になさっています。
私も60.56.184.247氏と同じ意見で」とおっしゃっていますが、
  • 同一のプロバイダであること。
  • 番号順の並びにこだわりを持っておられること。
  • 写真や表を一番上に持っていくこだわりのあること。
  • 細かく見出しを付ける傾向にあること。
これらのことから、大変失礼ではありますが、とても別人であるとは私には思えません。私も気づいたことは各IPアドレスのノートにてお願いをしているのですが、その都度別人として振る舞われては、話し合いになりません。要らぬ疑いを向けられぬためにも、利用者登録をお願いできないでしょうか。よろしくお願いいたします。--ikaxer 2006年9月10日 (日) 08:32 (UTC)返信

Ikaxerさん、利用者登録の件は了解しました。ただ、私はそのIP氏と同じ意見を持っているだけで、全くの別人です。そこだけは理解してください。--218.228.189.199 2006年9月10日 (日) 08:37 (UTC)返信

利用者登録の件、前向きに考えていただけるようでありがとうございます。
さて「全ての鉄道記事の構造を統一したい」に関してですが、単に統一したいとおっしゃられても、どのように統一するかが重要な点です。「なぜ、車両データ表や画像を一番上に詰めるよう統一したいのか」この点が明らかになっていませんし、合意も見られません。この点で、まずはその得失について意見を集約し、合意を得ないことには、統一はできないと思います。その結果、編集合戦に至っていることは、ご承知のとおりです。--ikaxer 2006年9月10日 (日) 08:56 (UTC)返信

利用者:218.228.189.199改め、播州赤穂(bsak)です。この件は103系のみならず、他形式にも関係する事なので、以降はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/その他でした方がいいかと。--播州赤穂(bsak) 2006年9月10日 (日) 09:05 (UTC)返信

同感です。とりあえず、利用者登録を済ませられましたら、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/その他にお越し下さい。--ikaxer 2006年9月10日 (日) 09:11 (UTC)返信

ラインカラーの件

ラインカラーの項目を手直ししてみました。 --Tokacyan 2005年7月26日 (火) 15:55 (UTC)返信

異論があったようですが、特に改変を伴っていないようですが、ラインカラーについては地下鉄網が整備されてラインカラーを意識し出すより早く、101系・103系において採用されたラインカラーは特徴的であり、路線で述べるべきという面はあっても、やはり軽量全金属車体の新性能電車に明るいボディカラーが採用されたということとも強く結びつきがあるので、ここで述べることに大きな違和感はないとも思われる。指摘の意図するところはわからないが、一応意見を述べておきます。

ラインカラーの発想自体は、101系の増備がなされていた時点で始まっていたことで、これを記すならまだ書かれてはいないが「国鉄101系電車」の項目の方が適切ではないかと考えたが故です。103系の登場した1963年の時点では、新型車両に関する限り、黒・茶・暗緑色を用いる古典的な考え方は国鉄・私鉄ともに廃れていたように思われます(国鉄の機関車や寝台車は新車でもまだ茶色でしたが)。
塗装色の記述を移しましたが、ラインカラーについてはご指摘の通り、101系の斬新な塗装色に始まることをきちんと書くべきと思います。肝心の記事が無いので、101系あるいはラインカラー(一覧でなく定義から始まる記事)に反映させることをToDoとして置きます(他の方が着手されても勿論よいわけですが)。sphl 15:27 2004年1月5日 (UTC)
sphlさん。ラインカラーという記事はありますよ。但し、2番目の定義ですが。220.144.137.177 15:40 2004年1月5日 (UTC)
はい。それは知っていましたが、「ラインカラー (鉄道)」で切り出しておいたほうがいいかなと思っていました。sphl 15:54 2004年1月5日 (UTC)

見切り発車ですいません。確か、中央西線でも103系が動いていた記憶があり追記しましたが、正確なところが分からず一応、「走っていたよ」的に記載しましたが、いかがなものでしょうか?また、ちょっとごちゃごちゃしてきましたので、章立てをしたいのですが、細かな形式で章立てをするべきでしょうか?220.144.133.197 14:51 2004年2月23日 (UTC)

地下鉄乗入れ車のうち、1000番台と1200番台の色の記述が省略されているのは何故なんですか?61.119.46.98 2006年11月24日 (金) 03:37 (UTC)返信

USJラッピング車の画像を出すのは著作権侵害に当たらないか?>61.119.46.98 2006年11月24日 (金) 03:37 (UTC)返信

USJラッピング車の画像について

著作権侵害に当たらないか?61.119.46.98 2006年11月24日 (金) 03:41 (UTC)返信

コメントにも書きましたが、他の鉄道画像も含めてJRが著作権を有するJRマークがついています。駅名標などにもJRマークがついていたりしますし地下鉄をはじめとして自社のマークを車体に掲示してるケースも多いですよね。さらに細かいことを言えば画像の中にある企業の広告等が写っていた場合の企業シンボルの著作権はどうなるのか?等々どこまで考えるのか?という問題に発展します。駅舎なんて建築家の著作物である可能性も高いですし、61.119.46.98さんはどうお考えですか?少なくとも今例に上げた中でやり玉に挙がってるのはラッピング車のみだと思われるのですが。
あと、東京ディズニーランドや三井グリーンランドなどでは著作権法に基づく管理区域内で撮影された写真についてはいっさいのネットアップは許可していませんが、ダメと書いてあるのはその管理区域での撮影に関するものだけです。それらを踏まえて考えますと管理区域内と外での扱いが同じとも思えません。(仮に同じで有ればわざわざ「管理区域内で撮影した画像をネットアップしてはいけません」とは書かず「関連する画像はネットアップしてはいけません」と書くはずです)
もう一つ大きな点は、画像は車両であると言うことです。車両は著作物では無かったと思います。厳密に言えば車両の設計などに関わる部分については設計者の権利は保護されるかと思います。著作権を見ていただければ著作権法第10条という欄に「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第1号に掲げる著作物に該当しない。」ともあり、少なくともラッピング車が走っていた(る)というのは事実の伝達とも言えます。(チト苦しいかな?)
いずれにしても、著作権と簡単に言いますが、本文記事も含めて厳密に著作権を振りかざせばウィキペディア自体が成立しなくなるかも知れません。ウィキペディアは自己の研究発表はダメで検証可能性という点からすると「既に報道されたか、どこかの書籍に載ってる内容を書く事」となっていて、基本的には誰かが書いた物(著作物が多い)を言い回しを変えてウィキペディアに転記してるだけですから。
そのような画像・本文の事情を考えて、今このラッピング車のみ著作権法について言及するメリットはあまり無いように思えますがいかがでしょうか。--永尾信幸 2006年11月24日 (金) 04:25 (UTC)返信

あと、103系の記事中に「関門・海峡物語」のラッピング画像を残している理由を教えてください。他の画像がダメで「関門・海峡物語」がOKというのはどのような基準で選別されたのでしょうか?著作権法云々を言うので有れば、当然「関門・海峡物語」の絵自体にも著作権が発生するはずですが。ノートを見させていただきましたが415系で「引用」に関しての部分で著作権法の思い違いのような事が記載されていますね。著作権法32条に「公表された著作物は一定の条件のもとで、引用して使用することができる」と定義されています。仮にJRマークやラッピングなどを著作権にかかると考えたとしても、著作権法32条の引用を用いれば違法行為ではなく合法行為とする事ができます。ただし「著作権に絡む絵等の画像のみ」のページでは32条の条件には当てはまりませんが、ウィキペディアで使用する場合は基本的に膨大な本文(主)の中に配置(従)された主従関係を構築することができます。こちらの点でも大丈夫だと思いますよ。JRのロゴなどについては商標登録されていて、それを単体でアップするなどについてはやはり問題があるようですが車体に貼付されてる状態であれば主は車体ですので問題無いような気がします。いずれにしても61.119.46.98さんが著作権侵害であると思われる点などお聞かせいただければと思います。あと「引用」についてはWikipedia:著作権問題の中の「引用の是非」という節も参考になると思います。--永尾信幸 2006年11月24日 (金) 04:51 (UTC)返信

今回この問題を提起された61.119.46.98さんが、会社の休憩時間等の閲覧・加筆のようで、ノートの内容を土日は見れなかったと考えられるので月曜日の昼休みまで回答を待つことにしました。12系客車などの編集をおこなっているのでウィキペディアには接続しているようですが、自らが問題提起したこの問題についてフォローがありませんので、この議論につきましては私の解釈で特に問題なしとして削除された画像を復活させていただきます。--永尾信幸 2006年11月27日 (月) 08:42 (UTC)返信

先ほど見ましたら、また画像を削除されたようですね。削除する前にご自分が提案されたこの話題について回答をしていただきたかったと思います。例えば物事にはそれをしても良い、悪いという根拠が存在しますが、今のままですと61.119.46.98さんのしている事は根拠不十分なまま自分の好きなように行動されてる事になります。ウィキペディアは一種のパブリックスペースでもありますからご自分がこう思うと思われても、それに対しては他の方々の意見も聞きながら行動される方が良いかと思います。

私は別に画像があろうとなかろうと何とも思いませんが、せっかくあるものをわざわざ消す以上は、それなりの根拠が必要かと思います。 また、著作権等につきましては、先に参考として上げましたページの方も良くご覧いただければと思います。 なお、本文にコメントで「ノートで議論済み」と書いてある点のみは事実無根になりますので変えさせていただきますね。--永尾信幸 2006年11月28日 (火) 04:54 (UTC)返信

「関連項目」要りませんよね?

現在、関連項目として多くの車種が書いていますけど、本文に吸収できる分は書いて吸収し、あとは削除したほうが良いと思いますが、どうでしょうか。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両#無意味なほど多い?関連項目に議論の場を作りました。--Taisyo 2005年5月16日 (月) 11:57 (UTC)返信


各項目の記述について 

車両解説、塗色、現状解説の項目に、現時点での運用の経緯などが加筆される傾向があり、ごちゃごちゃしてきましたので、整理しました。 現状についての加筆は、JR化後の欄に入れていただいたほうがよいと思います。--Tokacyan 2006年1月15日 (日) 07:11 (UTC)返信

1200番台について

入替車についての記述を何度も消す方がいますが、迷惑なのでお止め下さい。山本輝雄 2006年3月21日 (火) 15:45 (UTC)返信

私見を述べさせていただきます。103系の場合、入換車のみならず、インドネシア譲渡車等についてもいえることですが、車籍の有無という監督官庁の事務手続き的な問題と、現車の動向といった実際的な問題を比較したとき、後者について詳述したほうがより資料的価値は高まると考えます。Wikipediaがあくまで百科事典である以上、こうした題材を扱うにしても趣味的、主観的、あるいは感情的記述よりも、客観的かつ可能な限り普遍的な資料性を求められるはずであり、そこから考えるに“国鉄・JRの車籍を失った後の動向”についての記述が無いのは、むしろ本文の資料価値をいたずらに下げることにしかならないのではないか、と思います。これは103系に限らず、鉄道車輌をこの場で扱う場合に普遍的に言えることではないでしょうか。ひぐらし 2006年3月30日 (木) 10:50 ]]
その後もしつこく削除される状態が続いております。何とかならないでしょうか?また、あの方は画像も頻繁に削除しているようです(これは103系以外のページでも見られます)。山本輝雄 2006年4月5日 (水) 11:39 (UTC)返信
あの方かどうかは知らないですがまた画像が消えていましたよ。219.164.83.34 2006年5月4日 (木) 11:22 (UTC)返信

成立までの誤解について

成立までの誤解の記述は概要の項目などですでに説明されているようですので、必要ないと判断させていただいたのですが、もし現行の記述を生かすのであれば概要の欄に追記する程度で充分であるとおもいます。また誤解ということですが、何を持って誤解とされているのもよくわかりません。そもそも誤解という表現も主観的過ぎるように感じるのですが、いかがでしょうか? --Tokacyan 2006年4月26日 (水) 17:21 (UTC)返信

モーター音がうるさいというのは事実ですので、コメントアウトを外しました。他の箇所についても一部私論の様な部分はありますが、「山手線用の車両ではない」という記述は必要だと思いますし、「仮称105系」の話も本当であれば載せるべきでしょう。

それよりも、車両解説が貧弱なのが気になります。「形式」の項目を追加しましたが、他にも書く事は色々とあると思います。例えば、3000番台や車両塗装の項目に含まれている運用のされかたや置き換えの話を独立させるというのはどうでしょうか?(実際、113系の項目で私がその様に整理しました)山本輝雄 2006年5月3日 (水) 14:32 (UTC)返信

その「仮称105系」ですが、もしかして4ドアセミクロスシートの計画されていた通勤型電車のことでしょうか(当然だが現役の105系とはまったく関係なし)?219.164.83.34 2006年5月4日 (木) 11:29 (UTC)返信

モーター音がうるさいという事象ですが、東海道線立花駅の近くに住んでいて、ずっと沿線で高速運転する103系の音と共に育ちましたが音のうるささというのは全く無かったです。高架線や、それに準ずるところ、もしくはモーターのタイプ別の特徴という可能性はないのでしょうか?仮に線区等による特徴であれば、その旨注釈が必要かと思います。--永尾信幸 2006年6月5日 (月) 07:59 (UTC)返信

地域や周辺の環境などにもよるのではないでしょうか?専門家ではないから詳細は不明ですがね…。--目蒲東急之介 2006年6月24日 (土) 13:49 (UTC)返信

形式の紹介順序等の疑問点などなど

M車から紹介する事が多いかと思うのですが、Wikipediaではクハから紹介されてるケースが多いように思います。 103系ならMc-M'c-M-M'-Tc-T-T'順が良く使われるかな?と思うのですが、現在の並び順は何か一定の法則でもあるのでしょうか? 出現順かな?とも思ったのですが違うようですし。

あと、Mc車の解説で3両・5両はMc車が無いとできないので、現在も多数残ってるとありますが、常磐快速や東西線乗り入れではTcMM'MM'cにて5両を組成し3両も川越線・筑肥線でTcMM'cの編成がありましたので、3両・5両は必ずしもクモハ103を必要としません。必ず必要とするのは2両編成の場合だけだと思います。 現在3両編成で走ってるのは、広島区の3本、羽衣線用1本、筑肥線くらいだと思いますが、他のクモハ103組み込み編成は日根野区・奈良区ともに4両編成が多いです。 4両編成であればTcMM'Tcという編成で代用できますので、短編成にしたいからクモハ103が残っているのでなく、単に車両の需給上の理由という気がしますがいかがでしょうか?--永尾信幸 2006年6月5日 (月) 08:13 (UTC)返信

と記憶基本性能欄で、方向幕の説明のところで103系は「列車種別」も出せるようになったとありますが、103系が誕生した時の布幕には101系同様「行先」しか記載されてなはずです。 片町線で101系が快速に使われた時など「快速」と表示していたように記憶しておりますし、列車種別が出せるかどうかは車両本来の性能ではなく方向幕のレイアウトの問題だと思われますので、この点については削除したいと思いますがいかがでしょうか?--永尾信幸 2006年6月5日 (月) 08:53 (UTC)返信

しばらく前に、Mc-M'c-M-M'-Tc-T-T'の順に書き換えたのですが、いつの間にか元に戻っております。先頭車から並べる習慣がWikipediaにはあるのでしょうか。そうでなければ、制御電動車-中間電動車-制御車-付随車に順序を入れ替えます。--Naniwa 2006年6月22日 (木) 02:08 (UTC)返信

この手の項目を最初に作ったのは私ですが、私の考えとして、編成を組む上で重要な順に並べるのが良いと思っています。つまり、制御車は必ず無ければならない上103系の「顔」なので最も上に来ますし、中間電動車は電車を動かす上で必要なのでその次に、逆に付随車は短編成では必要ないので下の方にしています。制御電動車も2連などでは重要ですが、103系では少数派なので中間電動車の次にしました。

但し、これは103系や113系だけで、301系など編成内に必ず制御電動車が入る場合は制御電動車-中間電動車-付随車-制御車と実際の編成の組み方を基準にしています(但し、サハ301は改造車と言う事で一番最後にされてしまいましたが)。山本輝雄 2006年6月22日 (木) 13:07 (UTC)返信

昔からの風習で、編成順を優先するよりも、
(1)制御電動車-中間電動車-制御車-付随車
(2)M車はM'車より先に出す
(3)優等車、普通車、食堂車、郵便車、荷物車の順に並べる、寝台車は座席車に優先する、合造車はより上位の順位を優先する
の順に表記しています。
(1)は、モーターのある車を優先する、次に運転台のある車を優先する、(2)は主制御器装備車を優先する、(3)は等級順に客の乗る車、公文書、荷物の順なのでしょう。
この風習は、両端は電動車、中間電動車なんて存在しない時代以来のものですから。JR以降の新造車に適用するのは疑問ですが。
と、いうことで、編集合戦にならない限り、入れ替えますが。--Naniwa 2006年6月23日 (金) 01:43 (UTC)返信

昔からの風習とありますが、私はあまり賛成できません。見難いです。その様な風習を知らない人の為にも分かりやすくするのが良いと思いますが。

見難いついでに聞きたいのですが、文章が長すぎるので幾つかを別項目に移管できないでしょうか?例えば「常磐快速線に於けるサハ103と短い編成の関係」を常磐快速線の項目に転記したり、1200番台の紹介を301系と完全に統合させるなどといった事が考えられます。「国鉄103系3000番台電車」というページを作って3000番台、3500番台を1つの独立した記事にするのも国鉄72系電車との記事重複も解消出来ていいかもしれません(恐らく反対されるでしょうけど)。

全然関係ないことですがNaniwaさんと永尾信幸さんて同一人物ですか?山本輝雄 2006年6月23日 (金) 15:03 (UTC)返信

165系、485系は、私が書く前から、電動車優先で並べられています。457系も、先達に準じて、クモハから構成しております。101系、153系、201系は形式別になっていません。
電気車研究会、交友社、ジェー・ア-ル・アールの各社の配置表もこの順序です。確証は持てませんが、国鉄がこの順序で発表したのでは、ないですか。私の意見は、電車なのに、クハから書くほうが奇妙です。

記事重複の件ですが、165,169系からのクハ455への改造など、両方の項で取り扱っています。改造前、改造後の両方で取り扱う現状でいいのではないですか。

それから、私と永尾氏は別人です。彼のサイトをご覧になってください。--Naniwa 2006年6月24日 (土) 02:29 (UTC)返信

やはり「国鉄103系3000番台電車」は無理でしたか。別にこれはダメもとで書いた事なので別にいいのですが、他の分はどうでしょうか?特に103系1200番代は301系の「車歴」を書く上で便利なので移管したいものです。元々301系の増備車という存在ですし。

形式解説ですが、あなたが挙げられた中で201系以外は基本的にノータッチなのでよく知りませんでした。ただ、165系や101系は301系の様に編成の片側または両側に制御電動車が来る編成構成なので私としては電動車優先で良いと思います。
しかし、201系や203系の様なそもそも制御電動車が無い系列では突然モハ201から始まるような事になってしまい、逆に奇妙な事になってしまいます。このあたり、どう思われますか?

別人でしたか。失礼しました。山本輝雄 2006年6月24日 (土) 13:44 (UTC)返信

 103系の項の容量がかなり大きくなっていますので、1000,1200,1500の各番台を301系に統合し  て、「国鉄の地下鉄乗り入れ用電車」としてしまう方法もあるとは思います。
 485系の場合はクモハ485は全て改造車です。というわけで、モハ485から始まっています。もし、 485系の後継車が1980年代初頭に登場し、短編成化が行われること無く、廃車されていれば、201系 や203系のようになっていたでしょう。
 幸い、103系には制御電動車もありますし、関東でも最後までクモハ103先頭の編成でしたし。
 納得できないようならば、統一フォーマットを構成するなど、第三者に相談するのもひとつの方法で はないでしょうか。--Naniwa 2006年6月25日 (日) 10:24 (UTC)返信

そうですね。他項目を含めある程度のルールを決めておいた方がいいかもしれません。以降の話し合いはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両#形式解説についてでしましょう。

また、301系の項目に103系1200番台、1000番台K8編成の記事を統合する事を始めます。しかし、1000番台千代田車や1500番台まで統合させると今度は301系の方が読みづらくなるので、移管先を変えた方が良いと思います。それよりも、車両塗装や各路線での使用状況などの部分の改善案を出していただけませんか?山本輝雄 2006年6月25日 (日) 13:04 (UTC)返信

クモハ103・クモハ102・モハ103・モハ102・クハ103・サハ103・サハ102の順番になっていた(103系ホームページと同じ並び)のに、誰かがまた旧式に戻したようですね。個人的には、103系ホームページと同じ並びの方がよいと思うのですが。 --60.56.187.36 2006年7月9日 (日) 13:00 (UTC)返信

少しだけ形式解説についてのページに記載しましたが、根拠はやはり国鉄の教科書をはじめ多くの方がこの並び順を使ってきたということですね。 また、上の方が個人運営のサイトでの並びを書かれていましたが、個人運営のページと同じなのでというのはあまり理由にならないと思います。 あと、私は本名併記、しかも関連サイトに自分のサイトまで晒してる身ですが、複数IDで書き込んだと疑われたのはちょっと遺憾ですね(^^)--永尾信幸 2006年7月18日 (火) 01:01 (UTC)返信

60.56.187.36さんへ N氏は103系ホームページ(の製作者)が嫌いなのさ。103系ホームページが持ち上げられると必ず批判的な発言をするよな。真っ向から指摘されたときに逃げを打てるように発言するだぜ。外部リンクも103系ホームページより自サイトを上に掲載しようと必死だったしなw  ま、嫌いなもんは仕方ないし、そんなの目の前で褒められたら本人も不愉快だろうから、ここで103系ホームページを例に出したり褒めるのはやめてあげなよ。

この議論については[1]の24番にある「形式解説について」にて話し合われましたが、信憑性が不明瞭な個人サイトからの引用というような話は出ていません。あくまでもウィキペディアの検証可能性に基づく記述を使う必要がありましたので、当時の国鉄の教科書類などの資料を提示しています。要は個人レベルのサイトはウィキペディアのルールの基に成り得ないということであり、このノートではそれを示しただけです。
あと、外部リンクについてですが、私は別にどこの位置にあってもかまわない(最初に登録したときには、登録順に3番目に書いたと思う)のですが、意図的に私のサイトを消したり、私のサイトの順番が下位に来るようなルール(○○順など)をされたので、それに対して改変しただけです。
しかも、今の並びのabc順は私が決めた訳ではありません、その方の決めたルールに従うと私のが一番上になったというだけです。
それにしても「103系ホームページが持ち上げられると必ず批判的な発言」とありますが、私はそのサイトに使われてる写真の半数ほどを提供している方と知り合いですし、そのサイトについて批判する必要性を感じません。むしろネットでは質の高い写真がそろっているという風に説明するケースが多いので、批判的な発言というのは何かの間違いじゃないでしょうか?--永尾信幸 2007年9月17日 (月) 08:28 (UTC)返信
私もあなたがそのサイトに批判的だと感じます。勘違いならばすいません。

1200番台の記述を戻しませんか?

301系に移された1200番台の記述ですが、概要とハードに関する記述は103系に戻しませんか。301系は301系であって、103系ではありません。記事が長すぎるからというのは、あまり理由にならないと思います。運用については、301系でまとめてもいいとは思いますが。--Kone 2006年7月17日 (月) 04:11 (UTC)返信

どっちが分かりやすいのでしょうねえ?移動前は移動前で中途半端なような気もするんですよね。ただ、1000番台と1200番台を比べるという点では戻した方が良いと思いますが。山本輝雄 2006年7月18日 (火) 12:18 (UTC)返信

ちょっと見ない間に1200番台車は103系ではなく301系に編入されていたのですね(^^;;
ちょっと悲しいというか・・・・
そこまでするなら、1000番台も営団6000系の項で、1500番台も福岡地下鉄の項で扱ったらどうでしょう?
わかりやすい以前に「形式が違います」
タイトルが「地下鉄乗り入れ車」であれば混同して扱ってもいいでしょうが、形式ごとの説明なのに他系列にすべてを預けるのはいかがなものでしょう?
もちろん参照として出すとかは問題ないと思うのですが、今のままだと絶対におかしいです。
どんな文献を見ても今までそのような扱いは受けたことはなかったと思いますが、なぜこういう扱いを受けることになったのでしょう?--永尾信幸 2006年7月19日 (水) 05:23 (UTC)返信
なぜ301系??? というのが率直な感想です。 確かに103系1200番台はそれまで301系が使われていた線区の増備車として製造された車両ですが。103系電車であることには変わりありませんし、301系から改造されりした車両でもありませんから。 あと1000番台車が105系に改造された経緯については別項に分けて(他系列への改造車等)記載すべきです。 105系への改造はなにも1000番台車に限られたことでもありませんから。 下にもあるように、「車両の解説」「運用の推移」「近況」について分けて書かないと各項において記事が膨らむ一方かと思います。--Tokacyan 2006年8月20日 (日) 05:35 (UTC)返信

弱め界磁35%

「高速運転対応として弱め界磁35%として設計したものの実効が40%程度に留まったため」とありますが 電車誌の1990年6月号には、それの改善記事が載っています。 500円程度の金具を取り付ける事で35%に近づけようと言う改善です。 それにより、最高速度で10キロ程度の向上がはかれる事が確認されました。 東海道・山陽緩行線と、その改善を適用した武蔵野線で使われたと聞いています。 ちなみに、同誌にテスト結果が載っていまして、発車からの時間が、60キロ:38秒→33秒、70キロ:50秒→42秒、80キロ:68秒→55秒、90キロ:91秒→75秒、100キロ:120秒以上→105秒とのことです。 これらの改善後については一概に「高速運転に不適切」と言うわけでも無いかと思われますが、記述の方はどうしましょうか? 全車に施されたわけではないので、個別改造の欄で紹介するとか、そういう方が良いでしょうか?--永尾信幸 2006年6月5日 (月) 08:42 (UTC)返信

冷房準備工事車について

今まで、103系に対して冷房準備工事をおこなったと言うのを聞いたことが無かったので削除してしまいましたが、車体構造や屋根の補強をしているとのこと。 私も結構103系関連の資料には目を通してきたつもりですが、昭和46年本予算・1次債務車・3次債務車が冷房準備車であると言う記述を見たことがありません。 できましたら、ソース等資料をご教示いただけませんでしょうか? なお、該当する予算では1200番台も製造されていますが、1200番台も冷房準備車だったのでしょうか? 今まで良く書籍などで目にした冷房準備車とは、屋根上にいつでもクーラーを載せれるようにスペースを設けていたりするのですが、103系は全く一般の非冷房車と同じでした。 113系は1000番台に準備工事車がいましたが、この製造予算は昭和46年2次債務車です。 1次債務車はユニット窓でもないですし、そう考えますと103系に車体構造の強化などの準備工事を施したとしても46年3次債務車以降が該当するかと思いますが、そのあたりいかがでしょうか? それとも113系でも外観は一般の非冷房車と同じ昭和46年1次債務車(MM'1047~1054・Tc~1017~1025・T'c1332~1339)も冷房準備工事車だったと言うことでしょうか?--永尾信幸 2006年6月5日 (月) 10:15 (UTC)返信

詳しい事は知りませんが、少なくとも私は冷房準備工事車だと思っていましたし、他の利用者も全く訂正していないので、疑ってもみませんでした。そのため、「冷房準備車」というものの一般的な定義を書いただけです。というか、その書き方や他の書き込みからして私以上の知識を持っておられるようなのですが、それならばノートではなく本文で存分に発揮していただけませんか?山本輝雄 2006年6月6日 (火) 13:59 (UTC)返信

お返事ありがとうございます。ならば「明確な根拠は無い」と言うことでよろしいでしょうか?国鉄がこの当たりの車両について「冷房準備車」と呼んでいた可能性はありますが、それらについては今までメディアを通じて我々の目に付くところには出ていません。また、一般的に「冷房準備車」と言われると113系のように冷房車の車体に冷房装置のみ付いていない状態を思い浮かべると思います。冷房装置横の歩み板や冷房装置を搭載する予定の屋根上にそれなりのフラットなスペースを設置するなど。そういう他形式の「冷房準備車」と比較すると103系のこの予算の車両は、どこからみても普通の非冷房車です。仮に、この予算の車両が「冷房準備車」であったとしても、113系などの他の冷房準備車と外見上大きく異なる事から、呼び方を区別する方がわかりよいと思われます。ところで「車体構造の強化」はどこで入手された情報でしょうか? あと、本文でとの事ですが、ノートを用いて検証をした結果を本文に記載する方が良いのではないでしょうか?そうすることで、将来その項目が修正されたときにも「過去のノートを御覧下さい」と本文記載の根拠を示す事ができます。 今のように本文に対して「書き換え・書き換え」だと、誰がどの程度検証をして書き換えてるのかがわかりずらくなってしまいます。 私はここにきて3日ほどなので使い方が間違ってるのかも知れませんが、ノートを活用する方が効率的な気がします。--永尾信幸 2006年6月6日 (火) 15:22 (UTC)返信

確かに、本来ならばそうするのが良いでしょう。ただ、私自身が国鉄301系電車の項目を編集する上で体験したのですが、ノートに何か書き込んでも見る人自体が少なく、結局は無視同然の状態で書き込みが放置されるという事も少なくありません。当時も自分自身で加筆を続けて初めて記事の修正、増強をして頂ける「協力者」が現われたので、今回もそうする方が早いのではと思い、「本文で」と書きました。

あと、既に知っておられる事かもしれませんが、Wikipediaでは数字は半角、カッコその他記号は全角で書くのが一般的なようです。山本輝雄 2006年6月7日 (水) 15:57 (UTC)返信

各項目を整理しましょう。

車両についての解説はノート:国鉄115系電車でkoneさんが提案しているように、新製車と改造車にわけ、JR化後の改造車は各社毎に分けて説明したほうがわかりやすいかと思います。 あと、車両の個別の動向については、その車両の登場の経緯に必要になるものではない限り、登場時と現在の状況(廃車や改造により消滅した場合は、その最末期)についてのみに限定し、動向の推移までの記載はあまり深く追う必要まではないかと思います。(あくまでも車両解説ですから) また、個別の編成の運用離脱についての経緯なども、全廃であれば全廃された編成および年度、残留がごくわずかな状態であればその残留本数(両数)などの記載までにとどめたほうがよいかと思います。 1000両以上が製造され初期製造から40年以上に渡って使用されている形式ですから、その運用のエピソードには枚挙にいとまがありません 国鉄時代にはここに記される以上の広域転配がたびたび行われていた形式でもありますから、もし記載の必要があるのであれば車両の形式内ではなく、運用については別項を設けて記載したほうが記事の更なる充実が図れるかともおもいます。--Tokacyan 2006年8月20日 (日) 05:27 (UTC)返信

車両の個別の動向や状況に関して、本文の記述内容との繋がりが薄い場合は不要と考えます。このあたりももう少し整理しようと考えています。--Alive 2007年3月22日 (木) 15:33 (UTC)返信

新製車について「○次車」という分類が使われていますが、これは雑誌で便宜的に使われたもので正式な分類名称ではありません。ですので、以下のように変更することを提案します。「1次車→初期車、2次車→ディスクブレーキ採用車、3次車→試作冷房車、4次車→ユニットサッシ車、5次車→量産冷房車、6次車→高運転台(ATC対応)車、7次車→最終増備車」内容に修正すべき点もありますが、とりあえず、分類の見出しから「○次車」という表現を無くしたいと思います。L25.203.l03.26 2007年6月23日 (土) 04:09 (UTC)返信

「○次車」は正式な分類でなく、また広く一般的に使われる表現でもないですし、見出しの変更に賛成します。変更は、1次車→「1963年~1967年製造(分or車)」、2次車→「1967年~1970年製造」、3次車→「試作冷房車(1970年製造)」、4次車→「1971年~1972年製造」、5次車→「1973年製造」、6次車→「1974年~1981年製造」、7次車→「1983年~1984年製造」でいいのではないかと思います。--Alive 2007年6月23日 (土) 14:57 (UTC)返信
なるほど、括弧内の製造年の部分を見出しにするワケですね。それが良いかも知れませんね。「~年製造車」が良いように思います。なお、1次車の1963年~は1964年~が正当であり、そこは修正が必要になりますので申し添えます。(現在も誤り)L25.203.l03.26 2007年6月24日 (日) 02:36 (UTC)返信
○次車については私が書いたRM162・163号中の表の影響もあるかもしれません。各電車区ごとに、どのような形態が分布しているのかを明確にするために作表したのですが、私の便宜上の分け方であって正式なものではもちろんありません。便宜上付けたという注釈をつけなかったために誤解も生じたと思われます。混乱させてしまってスイマセン。
ただしRMで付けた○次車とウィキペディアで付けられてる○次車の区分は微妙に違います。
見出しの変更ですが、西暦を入れる案も出ていますが「年」なのか「年度」なのかは明確にわかるようにした方が良いと思います。
あとは、区分けをどの程度でするかでしょうか?
試作冷房車が間に入っていますが、900番台や910番台は「試作車」という節で説明されていますので、試作冷房車についてもこちらで説明する方が良いと思われます。番号は続き番号でしたが、「103系・113系電車冷房装置解説書(日本国有鉄道)」によると「試作」という文字は明確に出てきますし、車種・編成および給電方式という中に試作される103系の編成が掲載されているのですが、そこには103系(新製・番号は900台とする)と言う一文もあります。
その後、何らかの理由(900番台のままだと運用上扱いにくく、量産化改造を施す事を前提に一般車として将来使えるように続き番にしたetc.)で続き番ですが、この10両については試作車で扱う方が良いと思います。--永尾信幸 2007年6月24日 (日) 03:58 (UTC)返信

確かに、予算的には2次車の一部と同じですから、時系列順(製造番号順)だけで分けるのも無理があります。また、試作冷房車の項目は文章量も多いです。試作冷房車の項目を多少手直しの上、丸ごと「試作車」の項目の中に移動させ、現在の「2次車(1967年~1970年製造車)」の項目の中に「1970年製造車のうち10両は後述の試作冷房車として落成した。」という記述を入れるのが良いかと思います。「年」と「年度」ですが、量産冷房車やATC高運車などが年度末(1~3月)に登場していますし、実車の銘板は「年」標記なので、「年」で表すのが妥当だと思いますが、「年度じゃないよ」というのが分かるように説明する仕方がポイントですね。L25.203.l03.26 2007年6月24日 (日) 05:17 (UTC)返信

とりあえず分類の仕方はそのままの状態ですが、「○次車」という表現を使わないよう記述を変更しておきました。--Alive 2007年8月15日 (水) 17:47 (UTC)返信
ありがとうございました。試作冷房車については、とりあえず、そのままでも大丈夫だと思いますので、改変せずに様子をみます。L25.203.l03.26 2007年8月16日 (木) 02:48 (UTC)返信

私鉄の103系

103系に似た存在の車両を挙げるのは結構なのですが、余談にしてはあまりにも説明が詳しすぎないでしょうか?数行程度に留めるのが適当だと思います。山本輝雄 2006年7月7日 (金) 12:20 (UTC)返信

125.196.146.87さんがまた復活させたので差し戻させて頂きました。あそこまで言及する必要はないと思います。900 2006年8月20日 (日) 02:56 (UTC)返信

220.217.51.246氏が再三に渡りしつこく追記を繰り返しておりますが、氏の規格化された合理的な設計の車両の増備を続けていれば何でも「私鉄の103系」である、とする国鉄至上主義的な史観に基づく視野狭窄的な記述はいかがなものかと思います。少なくとも、山陽電鉄3000系を「私鉄の103系」とするのは、その車両構成からして適切とは言い難く、またそれはアルミ車開発に貢献し、乗り心地改善を目指して増備の度に可能な限り最新の台車を導入(※)してきた同社技術陣に対する侮辱ともとれるのではないでしょうか。

(※)これは東武・東急の両社にも共通します。また、東急8000系がステンレス車におけるブレークスルーとなった、有限要素法の導入による軽量構造の揺籃となったことも忘れるべきではありません。それゆえ、労組にまつわる諸事情があったとは言え、無批判に乗り心地の劣悪なDT33や明らかな欠陥構造の車体の採用を継続した国鉄103系とこれらを安易に同列に取り扱うことには、私は反対です。

HATARA KEI 2006年9月25日 (月) 02:48 (UTC)返信

詳述は避ける方向で同意します。
かのIPの方も、コメント欄において「東武8000系は電制がないのに」と記述なさっています。どちらが上であったかどうかは私の関知しないところですが、少なくとも「103系との違い」を強調しているとしか見えません。本稿はボリュームも非常に大きく、個々人で意見の分かれる記述をあえて盛り込む理由がわかりかねます。--ikaxer 2006年9月25日 (月) 03:08 (UTC)返信
確かに奇異に感じられますね。まあ、長いこと見過ごしていましたが、確かに東武8000系電車のことを「私鉄の103系」と言うことは多少違和感がないとはいえ、山陽電鉄3000系電車は冗長ですし、東急8000系電車の場合はどちらかと言えば東急8500系電車東急8090系・8590系電車を含めたいわゆる8000系グループの方が分からなくはないですが、それでも冗長と思えますね。Sat.K 2006年9月25日 (月) 14:11 (UTC)返信
私鉄の103系という表現は、このウィキペディアで初めて見ました。なるほどなぁと思う反面、それだと何でも追記できるなと感じたのも事実です。たとえばワム80000を貨車の103系としてもいいわけですよね?零戦を戦闘機の103系という等できてしまいます。そもそも用語や形式の解説は東武8000系なら東武8000系のページですればいいわけで、ここでは最初に山本さんが書かれたように似たような形式としてどのようなのがあったかを列挙するだけで良いと思います。詳細は各々のページに飛んでもらって見てもらえばいいだけで、103系のページで違いを比較したりするのは少しやりすぎに感じます。あと、鉄道ファンの特徴かどうかはわかりませんが、裏話のようなのを好む人が多いような気がしますが、百科事典に裏話はほとんど不要だと思うんですけどどうでしょう?また、性能面で主観がかなり入った記事がこのごろ目に付くようになりましたが、記事を記載するときに出典を明記するような方法はできないものでしょうか?(噂は噂として「出典:不明」とか「出典:噂」でもよい)103系の記事中でも「え?ずっと乗っていたけど、東海道山陽緩行線で遅延なんてほとんどなかったよ」というのもありますし、先の「103系の走行音はやかましい」と言うような主観がメインと考えられる記事を少しでも減らして公平な内容に少しでも近づけるためには出典は不可欠ではないかなぁと思うのですが、どんなもんでしょうか?--永尾信幸 2006年9月26日 (火) 08:13 (UTC)返信
一旦、コメント化させていただきました。理由は「一部の者しか知らない言葉である点」「内容の皮肉に関する表記に主観が入ってる可能性がある点」「注釈で性能比較をしていますが投入条件の違う両車をスペックだけで比較してる点」で再考の余地が無いのか?という事からです。ちなみに上でも書きましたが「私鉄の103系」はウィキペディアで初めて知りました。一部の者しか知らない点というのは別にダメというわけでなく、だから辞書があるわけなのですが、知ってる人たちが皆同じ意味でとらえてくれたら良いのですが、過去の差し戻しなどを見ていても「定義が明確でない」と感じます。定義が曖昧であるものを辞書に載せても見る者もまた混乱するのでは無いでしょうか?このあたりはわたしも未熟でわからない部分も多いので、一旦コメント化という形で問題提起させていただきました。--永尾信幸 2006年9月29日 (金) 03:02 (UTC)返信
私鉄の103系については一旦コメント化し、コメント内にも「続きはノートで」と記載したにもかかわらず「議論はノートで!」とばっさりと削除されてしまいました。内容が不明瞭になるため、本文の内容をいったんコピーします。削除する前に更新コメントにあるように「このノートに意見をしてもらいたかった」ですが長文のコメントを残すのがマナー違反なのかもしれませんので、それに従いたいと思います。

ここからコメント化した内容です。

私鉄の103系

- 一部の鉄道愛好者の間で、東武8000系など、日本の大手私鉄各社において輸送力増強のために大量生産された同一形式の20m級両開き4扉通勤形電車群を、「私鉄の 103系」と呼ぶことがある。ただし、これは「私鉄の103系」と称される車両群を導入した各社の大半が、戦後復興期に63系電車の割り当てを受けており、激増する通勤客輸送に対応する短期的手段として、20m級両開き4扉通勤形電車の導入がもっとも容易かつ効果的であった、という歴史的事実と、それぞれの設計が各社の既存車の設計を基礎とし、103系の設計をコピーしていない(※)という事実を考慮すると、必ずしも妥当な呼び名であるとは言い難い。愛好者がこのように呼んだ裏には、「まるで103系のように画一化された面白くない電車」という趣味人ならではの皮肉が含まれていたことには注意を要しよう。 - :(※)例えば東武8000系はバーニヤ制御や空気バネの採用などスペック上ほとんどの部分で同時期設計の103系を上回っており、また電気ブレーキが無い点や1M車の存在する点など、主要部分における103系との共通点はほぼ皆無である。--電気ブレーキが無い電車なのに、「ほとんどの部分で」というのは違和感を感じますね。←東武8000系と 103系のスペックをよく読み比べてください。電空連動ブレーキの導入が国鉄における新性能車の定義上の重要な要素であることは確かですが、少なくとも、電制常用でありながら電制無しの8000系に劣る減速度しか得られない103系が優秀な電車ではないのは確かでしょう。←なるほど、東武8000のコンセプトは理解できました。その上で若干補足させていただきました。 (コメント化)一部の鉄道愛好家の間と言われるがどの程度の認知度なのか?さらに皮肉と言われる内容はどこで検証できた情報なのか?それらが明確にならない限りはコメント化するのが妥当と思われます。ちなみにわたしは「私鉄の103系」という言葉はウィキペディアで初めて耳にしました。こんな事も可能でしょうか?わたしは小学校の頃東海道山陽緩行線の103系の事を「青電(あおでん)」と呼んでいました。学校の多数の人間もそう呼んでいましたが、そういう事実があったからと「あおでん」という項目をこしらえても良いかどうか?後はノートで--永尾信幸 2006年9月29日 (金) 15:30 (UTC)返信

お手数かけてすみません。コメントアウトとはいえ、本文中にダラダラと議論が書かれている現状が好ましくないと思い、削除させていただきました。私が移しておけばよかったですね。山本輝雄 2006年9月29日 (金) 15:37 (UTC)返信

概要・基本性能

概要欄、主電動機のところで「設計陣には2つの選択肢」とありMT54の流れをくむ設計を片一方の選択肢としてあげられていますが、1963・64年当時の電車・電気車の科学などの103系解説を読んでも、そのような電動機をMT55と比較したような記述はありません。鉄道ファンの間で「MT54系列にしたら高速運転にも耐えれて良かったのに」というような事を言う方々が多かったと聞きますが、その方々の思いこみがこのような記述につながったのかと思われますが、実際のところ、このMT54を元にした新形通勤電車用の主電動機というのはどの程度まで考えられていたのでしょうか?参考になる文献などご教示いただければと思います。

性能についてですが「高性能」や「低性能」については特に主観がかなり入り込んでるように思えるので、安易に本文中に記載しない方が良いかと思います。特にスペック上の優劣をして性能を測る方が多いように思うのですが、本来性能と言うのは使用線区や状況に最適化されてるかどうかが大事では無いでしょうか?103系は当時の通勤路線向けに最適化された車種で、主電動機もそれに合わせて設計しているわけであり、出力が少ない・定格速度が低いなどは、そういう線区向けだからであって、性能が低いと言うわけではないように思います。 逆に言えば、そういう線区にMT54系列の主電動機を取り付けた車両を使う方が本来の性能を生かし切れないという意味で「低性能」ではなかろうか?適材適所という点を考えれば103系は当初予定されていた通勤線区向けとしてはむしろ高性能では?

概要・基本性能ともに103系やMT55の性能は低いという前提で記述されてるように見受けられますので、時期を見て該当部分については削除したいと考えています。 それと仮称105系ですが301系の予定番号だったとの記述もあったと思いますので、これも時期を見て手直ししたいと考えています。--永尾信幸 2006年9月27日 (水) 03:13 (UTC)返信

参考までに交友社刊「電車」誌1962年7月号36ページ~43ページにわたって、国鉄臨時車両設計事務所技師の井上等氏による「今後の電車用新形主電動機」という記事が掲載されていますので紹介します。各々の主電動機の特性について解説したものですが、その中で標準化に反してなぜ2種類になったかと言う説明で「中・長距離用120kWと通勤用110kWは、お互いに他車種に不適格となるが、これはその所要性能が異なっているためであり、これを分離してその目的に合致した合理的な設計が望まれるゆえんである」と書かれています。つまりMT54を通勤形に使うには無理があるために通勤用は通勤用、中・長距離用は中・長距離用と電動機を分けて設計せざるを得なかったと言っているわけですが、これらの件から本文に記載されてる新形通勤車用の主電動機に「設計陣には2つの選択肢があった」とは考えにくいと言わざるを得ません。MT54ベースの新形通勤車用の主電動機がMT55と甲乙つけがたいくらいに比較検討されたという参考文献が提示されるまで、いったん該当する本文をコメント化したいと考えます。なおMT55と新形通勤電車の開発に関しては、首都圏各線の電力供給事情と切っても切れない縁ですがMT54ベースの主電動機を流用するのは難しいのではないかと思われる資料を下記で紹介します。
先ほどの電車誌の記事中にMT46A・MT55・MT54の性能表が掲載されています。MT46Aが4M3T、MT55とMT54は4M4Tでの数値ですが、加速電流:MT46Aが490A、MT55が415A、MT54が560A、R.M.Sの1時間定格がMT46Aが96%、MT55が78%、MT54が93%となっています。よってMT54の4M4Tをそのまま山手線に使おうと思うと101系を6M2Tにするのと同等な電力供給施設を増設しなければならなかったと思われ、新形通勤車設計の理由を考えた時にMT54をベースにするのは本末転倒ではないかと考えられます。--永尾信幸 2006年9月27日 (水) 05:43 (UTC)返信
「この車両は後に、大阪鉄道管理局から京阪神緩行線用として要望があり、同局では仮称105系(実際の105系とは別物)として具体的な計画まで立てられたが、国鉄本社の横槍で103系にさせられたという経緯がある。」ですが具体的な計画とはどの程度の話でしょうか?単に管理局電車課で「こんな車両があればいいな、本社にかけあってみようか」レベルなのか、本社を巻き込んで設計までこぎつけたレベルなのか。
単に陳情レベルの車両ならわざわざ書く必要は無いと思います。また105系については後述のピクトリアルの記事中に営団地下鉄5号(営団東西線)乗り入れ用が「たぶん105系となるであろう」との記述もあり仮称105系という表現は様々な誤解を招きかねません。こちらも明確な設計図書類が明らかになるまでは先の電動機選定の文章共々コメント化しようと思います。あと「国鉄本社の横槍で103系にさせられた」とありますが、当時の大鉄局は独立採算でもとっていて、独自に車両を開発し製造できる立場にあったのでしょうか?そういう立場にあり、かつ書かれている仮称105系が製造寸前でありながら国鉄本社から103系に形式変更するようにとのお達しがあったのであれば、書かれてる内容も「なるほど」と思いますが、大鉄局にそんな権限が無かったと思いますので「横槍で」というのは表現としておかしいのではないかと思われます。
上記の参考資料として、鉄道ピクトリアル1964年4月号(通算156号)の35ページ~38ページにわたって、元本社工作局の久保田博氏による「国鉄通勤形電車の最近の動き」という記事を紹介します。その中には京阪神緩行線用として101系のごとく高加減速・高速の新形電車の要望があると記載されています。快速との時分差をつめて快速の増発をおこないたいのが理由ですが、当時の東海道・山陽線の快速では増結の余地がまだまだあったので、今後の研究課題として残されていると締めくくっています。
つまり、高速用を求めたのは快速の運転間隔を縮めたいためであり、大阪局(この記事中にはどこからの要請が書かれていないので推測)としては「足が遅い旧形車の代わり」として101系のような車両を求めというのが真実のようで、この時点では103系とは全く関係の無い話なのは明らかです。(1964年当時103系の投入線区は山手線しか決定されてませんので)その後、高速タイプを要求していたにも関わらず103系が配属された事で少なからず不満はあったのでしょうが、旧形車よりも高速性能に優れていたのは事実で日中の103系化が完了したために新快速の15分間隔運転が可能になった事がそれを証明しています。--永尾信幸 2006年9月28日 (木) 05:10 (UTC)返信

なかなか意見が出てきませんが、現在本文に書かれてる内容に対して、私があげた上記の疑問点についての明確な資料が出ない場合は、当該本文について削除したいと考えます。 あと、その削除予定の中に「低速域での牽引力に優れた低コストな専用電動機」とあるのですが、MT55が低コストであるという事もあまり聞いたことがありません。 加筆された方は「出力が小さいから安い」と思われたのか、そのあたりはわかりませんが、直流・交流問わず広く急行以上の形式に使われる事を想定して設計されたMT54をベースにした通勤形用の新電動機を作った場合、当然MT54との生産共通化がはかれたわけですが、MT55の場合も少なからずMT54との部品共通化についてはされていますが、生産台数から考えてもコストはMT54ベースに比べると高くなるように感じます。わたしもこれについては明確な根拠は示せませんが、製造業の常識として少数生産は高いと言えますので、現在本文に書かれてる「低コストな」という点が疑問です。書かれた方は色眼鏡でこの形式を見られてるように感じますが、そういうのは自分のサイトやブログでやっていただきたいなぁと思いますね。--永尾信幸 2006年10月6日 (金) 01:50 (UTC)返信

以前、京阪神緩行線での使用時において高速性能時の運転士の苦情のような書き込みがあり、根拠不十分として手直ししたり削除したりしましたが、それに類似した記事を見つけました。電車1973年7月号に「103系電車ブレーキ時の過電圧防止対策」として明石電車区の方が書かれていますが昭和47年3月改正で新快速の合間を縫って緩行が走るダイヤになった関係で、ブレーキ初速度が上がり発電ブレーキ時の誘起電圧を高くしてしまい頻繁に過電圧継電器が動作するようになったとあります。
同装置が作動すると事故表示灯が点灯するようなので、運転士がブレーキ操作に非常に神経を使うと言う苦情があったとの事で、それ以外にも作動時の衝動が大きいため、乗り心地に影響するとの事です。原因の1つはダイヤ改正によってスピードアップがされた(この時点で他の項で書いた「旧形車よりも速くなってる事」は証明できていますね)事で平均速度が改正前の58.8km/hから61.8km/hと上がった事でブレーキ初速が上がったためのようです。101系についていた減圧継電器を103系では割愛してるのですがこれは95km/hからの発電ブレーキ使用でも問題ないように設計されている為です。ただ弱め界磁35%の問題でもあったように、設計通りいかないのが世の常ですので、実際に明石区の方で試験を行った結果、90Km/h以上のブレーキ初速の場合は過電圧になったとの事です。
そこでその対策を講じたところ、ブレーキ初速90km/h以上でも良好な結果が得られ明石区全編成に対して改造を終えたようで、〆の言葉としては「この研究により103系電車は高速運転に十分対応できるようになった。~(略)~好成績をおさめ乗務員からも大変喜ばれています。」とあります。
以前、書かれていた内容に当てはまる部分も多いのですが、結果として改善されたわけです。単に改善前の話を出しただけでは不完全ではないかと思われます。「1つの問題点として高速からの電気ブレーキ使用に難があった」という事は書いても良いかも知れませんが、それが継続している事なのか、改善されたのかについては記述する必要があるかと思われます。またこれも当初の投入線区とは違う条件の路線に使用した結果であって、もともとブレーキ初速90Km/h台というのは想定外だったと考えられます。そのあたりで常磐線や京阪神緩行線への投入は103系の性能とはミスマッチしていたのは間違いないと思いますね。でも、それを「103系の性能が低かった」と決めつけるのはいささかおかしな話ですね。全ての条件をクリアするような車両は作れないのですから。(もし作れるなら何十という形式に分ける必要がない)
内容については「駅間距離の長い線区への進出」節の後に簡単に問題点等として加筆したいと考えています。--永尾信幸 2006年11月15日 (水) 23:59 (UTC)返信

主制御器についての加筆をお願い致します。103系で使用されているCS20形制御器の制御段数は直列13段、並列11段、弱め界磁5段と「Room 103」(ttp://www.fureai.or.jp/~s-itoh/JR-E103.html)にある掲示板の過去ログにかかれていましたため、このことについて加筆をお願い致します。 --124.208.99.118 2007年10月31日 (水) 09:07 (UTC)返信

主制御器の段数について記述を加えることは構わないと思いますが、まず、掲示板の過去ログでは信憑性と検証可能性に問題がありますので、何らかの参考文献を基に文章を作成する必要があります。また、制御段数だけを唐突に書いても意味がありません。CS20の(と言いますか103系0台の)特徴は弱め界磁だと思います。ですので、単に段数を記述するのではなく、ある程度の高速性能の確保のために弱め界磁が5段(35%)まで設定されている点と合わせ、全体の文章の流れの中で適切な場所に組み込む必要があります。さらには、CS20の段数に触れるのでしたら、合わせてCS30とCS40の段数についても記述しなければバランスが悪くなりますので、それも合わせて検討する必要があります。以上の点は御承知願います。L25.203.l03.26 2007年10月31日 (水) 09:36 (UTC)返信

百科事典に編成番号や番号対照表が必要か?

3500番台や3550番台に詳細な種車の番号が記載されていますが、果たして百科事典にそれらが必要なのでしょうか?そのような事は専門誌や各個人のウェブページの役割に思うのですがどうでしょうねぇ。確かに103系を研究してる私からしたら、そういう対照表は「絶対必要なアイテム」ではあるのですが、一般の人が見て何番が何番になったなんてのはあまり必要じゃないような気がして・・・--永尾信幸 2006年10月24日 (火) 14:40 (UTC)返信

103系に限らず「現在の姿は雑誌や個人サイトなどでよく採り上げられても、その少し前になるとさっぱり」というケースをよく見かけるような気がしています。私自身、3000番台の番号対照は1両も知りません(いずれ調べて載せるつもりですが)。誰もがいつでも詳しい情報を手に入れられる訳ではないでしょうし、これくらいは良いのではないでしょうか?

以前「1500番台でトイレ未設置のまま3代目塗色になった車両はいるのか?」という疑問を持って調べた事があるのですが、パソコンで検索しても全く出てきません(塗装変更やトイレ設置の施行日時の詳しいデータを載せているサイトが無かった)でした。出てくるのは「○○編成の色が変わっていました」みたいな撮影日記ばかりです。そのような適当な個人サイトが乱立しているならば、ある程度「公」な場であるWikipediaに記してしまおうと考え、載せました。ちなみに編成番号を書いたのは私ではありません。山本輝雄 2006年10月25日 (水) 11:02 (UTC)返信

正直、私自身は103系マニア(笑)ですので、当然それらのデータ類は載せたいという願望はありますし、細かい履歴や形態ごとの分類なんかも面白いと思っています。ただ、自分のサイトならともかく、百科事典にそれは必要なのか?は考える必要があるのではないかと思いますね。ウィキペディアが「鉄道百科事典」なら車歴や改造履歴なども許容範囲になるかも知れませんが・・・
改造前後の車両番号は記事ではなくデータなんですが、改造されたという事は本文で述べられていて記事としては成立しています。それに対して改造車番などのデータを並べるのは(ウィキペディアは情報やデータの集積場所じゃない)や(原典のコピーはしない}のガイドラインに触れると思います。あくまでもそういうデータを知りたい人には外部リンクや参考文献に導けばいいだけです。そうすれば項目自体もスリム化できます。そして外部リンクなどに無ければ自分のサイト内にページをこしらえれば良いのです。
1500番台の件ですが、色は定期入場するまで変えません。トイレは臨時入場で整備したようです。トイレ設置年月日はJRR刊JR電車編成表や鉄道ピクトリアル増刊の車両年鑑、鉄道ファンでも毎年7月か8月号で1年の動きを掲載してくれていてその中に載っています。塗装年月は明確に出てるのは無いはずですが定期入場するまで色を変えない事、トイレ取付を開始したのは塗装を新しくする前である点を考えれば、定期入場した車両はトイレを当然取り付けるでしょうから、色だけ変えて出場するというのは可能性は低いと考えられます。資料を少しひねるだけでかなり答えを絞り込む事が可能です。
ただ気になるのがトイレ設置日がわからないと書かれている点です。編成表やピクの増刊など見た事が無いという事の裏付けになるんですが、そうすると山本さんの調べるというのは何を調べたのか?と思ってしまいます。
その状態で他人が一生懸命作ってるサイトを「適当な個人サイト」と書くのはいかがなものでしょう?他人のサイトを適当なサイトと言うのであればご自分でデータが整備されたサイトを立ちあげて下さい。--永尾信幸 2006年10月25日 (水) 15:34 (UTC)返信

編成番号の件を書き忘れました。編成番号と車両番号は1:1で関連付けられているというわけでは無いので年代によって構成車両が違うケースが多いんですよね。今は比較的編成替えも少なくなりましたが、1980年代・90年代の首都圏の編成などはコロコロ変わっていましたから。インドネシアへの譲渡編成でも旧編成番号が記載されていますが、どの編成の何号車に組み込まれていたか等を知る必要があるのかどうかというのも疑問に思っています。それと「編成番号を書いたのは私じゃありません」とありますが、私は山本さんが書いた内容を問題にしてる訳じゃないですよ。百科事典としてふさわしい内容なのか?マニアの自己満足の道具になっていないか?等、自分がマニアなものですからどうしても盲目になりがちですので、一歩引いて記事全体を見る必要もあるかと思い問題提起しただけです。自己満足ならば個人のサイトでとことん詳しく書いたら良いと思います。百科事典という性質上、あまり深い説明などはかえって視認性を悪くする事につながると思うんですよね。JR西日本の東日本からの譲渡車の編成推移についても書かれていますが、じゃぁ昭和60年3月改正での京浜東北線の編成推移が居るのかとか、書こうと思えばいくらでも書けますし、この時の組み替えは蒲田に貫通10連を組成した非常に重要な編成替えですが「重要」を判断するのは加筆者じゃないんですよね。そんな事から編成の組み替えについても不要ではないかと思います。--永尾信幸 2006年10月26日 (木) 00:54 (UTC)返信

お世話になります。意見を募集とのことでしたので、少々極論になるかもしれませんが、漠然と思い描いていることを申し上げます。
まず、改造車における編成番号や車番対照表ですが、現時点では不要だと考えます。単純に「こんなものは不要である」ということではなく、本文と何もリンクしていないから不要であると思うのです。逆に、編成番号や番号を対比したときに特徴的な事象が浮かび上がり、そのことについて本文で触れているならば、必要と言えるものです。このことは本稿に限った話ではなく、記事本文と写真・表の関連が不明瞭なのはWikipedia全般に言えることではないでしょうか。「このような写真が必要か」などの議論がよく起きていますが、記事とリンクしていないがための不自然さから来るものと考えます。
さて、話を少々拡大してしまいますが、本稿の記事に関しては編成番号表ばかりではなく、記事全体がデータベースと化しているような気がしてなりません。鉄道記事では容量が最大のページであるにも関わらず、記事全体の流れが読めないのです。別の言い方をすれば、どのように103系を語っていくかの「ストーリー」が欠落しているとも言えます。
「では、お前がやってみろ」と言われても、私もどうしていいかわからないのですが、次々と肥大化していく記事に対し、なんらかの方向付けが必要な時期に来ていると思います。質問に対し問題提起だけしていくのは恐縮なのですが、これを機会に話し合えればと思い、批判を承知の上で書かせていただきました。ご意見をお寄せいただければ幸いです。--ikaxer 2006年10月26日 (木) 08:53 (UTC)返信

ご意見ありがとうございます。今回このようなデータ一覧には批判的でありながら、少し手を加えた表を本文にアップしたのも、データが一人歩きしてしまう怖さを少し見てもらいたかった部分があります。改造年月日を全車について記載する事に対してIkaxerさんの書かれてるような記事とのリンクがあれば良いのですが、あれだけ単に書かれたら浮いてしまいますよね。それに改造年月日の一覧は、どうひいき目に見ても記事とはリンクしにくいと言えます。改造された日付や改造詳細については、色眼鏡かも知れませんが一般の方は必要とせず、少し深いマニアの方くらいしか好んで利用しないのではないかと思っています。それならば、先に書いたように記事としての視認性を良くして行く方がメリットを受ける方は多いと感じます。スリム化というよりスマート化の方が言葉としては適してるかも知れませんが。どうしてもデータ表などが欲しいと言う方が多いのであれば 3500番台の表を3500番台の説明の下の方に置くなどすれば良いのではと思います。

写真にしても、私としては103系の記事で言えばX次車と書かれてる全てのグループで、全ての形式についての画像を用意する事が可能です。でもそれを今の本文の状態でアップしてしまうと画像だけが浮いてしまうのですよね。ウィキペディアは(文章による解説)を強く求めていますので、画像や表によるデータの前に、まず文章による解説を進める必要があると考えます。逆に各節で各々の形式ごとに解説されているならば、画像の提供もしていたかも知れません。455系のページだったかにクハ455の画像を何点かアップしたのですが、こちらはきっちりと番台ごとに説明があったので、ならばと画像を提供したものです。

画像やデータ表はどういう状態であれば掲示しても違和感が無いかについては、著作権法32条「引用」を用いて公開された著作物を引用する場合に要件の1つとして言われている「引用されるものは、主文に対して従の関係でなければならない」という部分が似てるのではと思います。つまり、画像やデータ表は引用されるものという認識で、それ単体では引用できない、それを引用するには主文を用意しなさい!という感じでしょうか。

ストーリー性が感じられずデータベース的というのは私も少し感じています。私のようなマニアの傾向として「何番の特徴はどうの」とか「この車両が配置された裏にはこういう事情がある」などを出したがる方が多いです。その反面「歴史を書け」と言われるととたんに静かになってしまうんですよね。ウィキペディアの103系の記事でも「歴史」の節を見て頂くと上で根拠を示せなければ削除しますと書いてある製造秘話の後は、東京・大阪に投入された程度しか書いてないんですよね。この辺が弱いので車両の解説ばかりが目立ち、単なる車両解説データベースのような感じに見えてしまうのかも知れませんね。

いずれにせよ、イロイロと加筆してくれた方には悪いのですが、とりあえず編成表や編成の推移などの項目に関しては時期を見て一度削除してリフレッシュしてみたいとは思います。--永尾信幸 2006年10月26日 (木) 10:55 (UTC)返信

「従の関係」という事は正直考えていませんでしたね。確かに、3550番台の編成ごとの差異は塗装とパンタグラフ以外に無く、それらも本文中の記述で十分対応できるでしょう。3500番台の場合ははトイレ、パンタ台、サウンドジュネレーター?といくつか差異があるので必要かもしれませんが。

歴史は難しいですね。103系の場合編成替えが激しいので「X次車」とか「X番台」ごとの記述は一部を除き不可能でしょうから、路線ごとの記述となるでしょう。ただ、各路線ごとの流れを詳細に書ける人間などほとんどいないのではと思います。鉄道誌のバックナンバーが数十年単位で見られる環境にいる人か、個人的に資料をまとめている人くらいでしょうか?

1500番台の件、ありがとうございました。山本輝雄 2006年10月27日 (金) 14:40 (UTC)返信

鉄道誌のバックナンバーについては、大阪・東京にいれば交通科学館や交通博物館などの図書館を利用できます。国会図書館なども使えるのではないかと思います。また、各地の図書館などはネットで蔵書を検索できたりするケースもあるので、地元の図書館に有益な本がないかなど調べてみるのも方法です。手元に資料がないというのではなく、どこに行けば資料があるかを考えればいいかと思います。ウィキペディアに記事を書くというのは裏づけが必要ということで、参考資料はたくさん見たほうがより正確に書けます。また複数の説がある場合は念のため記述しないなどの安全策もとれます。とにかく記事が書きたいと思う強い意思があれば資料探しは苦労にはならないはずです。図書館の場合図書館法に従って書物の複写が可能になっていますので、それらも含めて活用すればいろいろと手に入ると思いますよ。(ただし交通科学館などの図書室は図書館ではないので複写は不可です。これも正式に申し込めば複写等も相談にのってくれます。)--永尾信幸 2006年10月27日 (金) 15:27 (UTC)返信

JR西日本の103系3500番台のトイレ増設について

2006年11月現在、103系3500番台H1編成を除いたH2~H9編成のすべてにトイレが増設され、また、使用できる状態にあるのですが、本文では、それらの情報が更新されないまま、現在までH7~H9までのみがトイレ増設済み、ほか、一部準備中という扱いとなっています。2006年9月の段階で3505のトイレを確認し、使える状態であることもわかったのですが、前述した内容が長い間そのまま掲載され続けていたので、更新しようか迷い、結局更新はしなかったのですが、2006年10月に入りH6編成もトイレ増設が完了したことから、今回更新しようと考えているのですが、ここは、さらに調査して、H7~H9編成以外の編成でトイレが使用できるか確認してから内容を更新した方がよろしいでしょうか。それともそれをせずとも内容を更新してもよいのでしょうか。皆様はどう思われますか? --來灯(らいとー) 2006年11月4日 (土) 14:07 (UTC) 自由に編集できるのがウィキペディアの良いところですから、思い立った時に書き換えればいいと思います。特に現状との差が出てる場合で事実関係がはっきりしているのであれば、早めにする方がいいかもしれませんね。ただ、表の方は将来的に削除するかもしれません。その点あらかじめお断りしておきます。(もちろん私が編集長では無いので、復活させるのも自由ですが)それにしても、全車完了したんですね。まさか103にトイレが・・・という感じでしたが、ここまで増えるともう気にもならなくなりました。余談でした。--永尾信幸 2006年11月5日 (日) 15:20 (UTC)返信

ご返答ありがとうございます。永尾様のご意見を参考に情報の更新を試みてみようと思います。それと、永尾様には一つ、お詫びを申し上げておかなければなりません。誤解を招くような記述をしてしまいました。103系3500番台には、1編成だけトイレがまだついておりません。それはH1編成なのですが、「H1編成を除いたH2~H9編成のすべてに」というような記述をしたばかりに、「全編成完了した」というような誤解を招かせる要因を作ってしまい申し訳ございませんでした。今後、このようなことがないよう心得ます。私は平成生まれで、103系と会う機会は大阪環状線くらいだったのですが、この10年ほどの間に地方線に転属するなどして、103系が地域の顔になるような個性を持ち始め、ますます身近になりました。播但線で103系に出会ってからはますます身近に感じられ、興味もわいてきました。これは103系のお陰だと思う次第です。余談でした。--來灯(らいとー) 2006年11月7日 (火) 13:54 (UTC)返信

あ、本当だH2~H9と書いてあった。早合点しちゃったようです。お詫びだなんて・・・見過ごしたのは私の落ち度ですので、わざわざスイマセンです。--永尾信幸 2006年11月8日 (水) 05:03 (UTC)返信

基本性能:再開閉スイッチ

101系からの変更点として書かれていますが、鉄道ファン1971年6月号によると101系の山手線用新製車にはこのスイッチが取り付けられています。よって101系からの変更点と言うわけではなさそうですが101系全車に取り付けられていたわけでもなさそうなので、記述方法も少し変えなければならないかもしれません。山手線使用車と京浜東北線使用車のみこの回路が取り付けられたと言うことですが、両線から101系があちこちに転じていますので、その転出先ではどうなのか?不明な点は多いです。いずれにしても「山手線向け101系のみに設置されていた再開閉装置を標準装備した」みたいな感じで考えていますが、再開閉装置に関して他の記述があるようでしたら、ご教示いただければと思います。--永尾信幸 2006年11月13日 (月) 19:24 (UTC)返信

  • 再開閉装置については、元々山手線の101系に付いていて、その山手線に投入の103系にも付けられたという流れから、「101系からの変更点」には相当しないと思います。異論のある方は、早急にこちらのノートに書いていただきたく思います。125.203.103.26 2006年12月23日 (土) 03:36 (UTC)返信

鉄道ファン2007年2月号にも、中央線から山手線に転属した101系は「再開閉スイッチを取り付けた」とあります。昭和36年のことですので、103系の試作車も出ていません。仮に101系が改造であったとしても、103系が製造される以前から101系には「再開閉スイッチがついていた」わけです。仮に改造としても101系からの変更点という表現はおかしいと思いますね。この件で保護がかかったことは非常に遺憾です。これだけ検証可能性に基づいて資料を明示していたのにも関わらず、それが全く生かされていない点については少し引いてしまいましたね。--永尾信幸 2006年12月23日 (土) 11:22 (UTC)返信

  • 上記の11月13日の書き込みに対して、約6週間経過しても異論・反論が出ていないようですので、7日後を目途に「『101系からの変更点』から再開閉スイッチに関する記述を削除する形での合意が形成されたみなされる」という形での保護解除申請を出します。異論・反論のある方は早急に、このノートに記入して下さい。125.203.103.26 2006年12月24日 (日) 04:39 (UTC)返信

レイルマガジン1988年6月号(NO.54)「特集:去りゆく101系通勤電車」の24ページにも「昭和36年度本予算以降の変更点」として「山手線用の車両については再開閉装置を取り付け」とありますね。私がこのノートに検証可能性に基づいた根拠を示していながら101系には後から付けられたと、103系で再開閉装置が初めて取り付けられ、その後に101系に波及したかの様な編集をされてしまいました。ただその根拠を示していただいていないのですね。ウィキペディアが「思いこみだけで書き込める」媒体であるのは前々からわかっていましたが、その尻ぬぐいを「根拠を示した側がしなきゃらない」のには憤りを感じますね。こんなことでは「書き込む前には多数の資料に目を通し、検証ができるように出典も明記する」という多大な労力をかけてくれる方が常駐するとは思われません。

話はそれましたが、現状の「保護」というのは異常な状態であるのは間違いない話ですので、125.203.103.26さんの提案には同意します。--永尾信幸 2006年12月24日 (日) 09:05 (UTC)返信

  • 保護解除を依頼するにあたり、「IPユーザーにより、今回の合意に反する書き込みが行われてた場合でも、編集合戦にならないよう冷静に対処し、まず対話を呼びかけ、それを無視して書き込みが繰り返される場合は、半保護を依頼する。」という点についても合意を形成したいと思います。賛成・反対の意見のある方は意思表示をお願いいたします。125.203.103.26 2006年12月31日 (日) 09:25 (UTC)返信

今回の保護に至る過程を見ていると、ノートなどで根拠を示しているにもかかわらず、その部分に対して議論するわけでもなく、本文で書き換えてしまうケースが多く、そのほとんどがIPユーザーが行っています。103系に限った話ではないのですが、対話による質の向上を目指そうとノートを活用しても、このようなユーザーが多いと結果として保護になってしまい編集が止まってしまうのですね。ですのでIPユーザーがノートにて議論されている内容において本文中で執拗な改変を行うような場合であれば、半保護を依頼しても良いかと思います。--永尾信幸 2006年12月31日 (日) 16:53 (UTC)返信

保護解除依頼にあたって

保護解除を依頼するにあたり、保護前後の経過と合意についてまとめてみました。

  • 編集合戦の様相を呈した原因は、「101系からの変更点」において、「再開閉装置の設置」を取り上げるかどうかという点と思われる。(12月8日23:30の修正、12月10日15:37の修正、ノートを参照)
  • 再開閉装置は、初期の101系には無かったが、山手線に投入された101系には新製時から取り付けられた。(参考文献:鉄道ファン1971年6月号)
  • 12月8日23:30に修正した人物は、101系の同装置を「後年の改造による取り付け」と勘違いしていたようである。
  • 11月13日に永尾氏が再開閉装置について、見解の異なる情報の提供を求めているが、これまで90日以上反応が無く、山手線の101系には新製時から再開閉装置が取り付けられていたという見解が正しいものとみなされる。よって、山手線の101系に取り付けられていた再開閉装置を、同じく山手線に投入された103系が採用したことについては、「101系からの変更点」とは言えない。
  • 改めて「101系からの変更点」の項目から「再開閉装置」に関する項目を削除することについての反論を求めたが、未だに反応が無い。
  • したがって「101系からの変更点」の項目から「再開閉装置」に関する記述を削除するのが妥当であるという合意があったものとみなせる。
  • 編集合戦の再発の危険性については、「編集合戦より、まず対話。」というルールの遵守も合意内容に含まれており、その危険性は低い。
  • 以上より、保護解除を申請するのが妥当と思われるので、早急に手続きを行なう。

保護解除依頼についての御意見等は、こちらにお願いいたします。125.203.103.26 2006年12月31日 (日) 10:29 (UTC)返信

  • 保護を掛けて下さった管理者の方が、素早く御対応して下さり、保護が解除になりました。今後とも、建設的かつ冷静な対応で参りたいと思います。関係者の皆さんにお礼とともに、お願い申し上げます。125.203.103.26 2007年1月2日 (火) 01:49 (UTC)返信

保護を解除していただいたばかりですので、無用な混乱を避けるため、内容の誤りの訂正や建設的な補足は別として、些細な言い回しや表現の変更程度の修正は、しばらく遠慮していただきたく思います。御協力をお願いいたします。125.203.103.26 2007年1月3日 (水) 00:29 (UTC)返信

  • 保護が解除されたのもつかの間、早速、半保護を掛けざるを得ない状況になりました。暫く半保護がかけられた状態になると思いますが、御意見等がある方は、こちらにお書き下さい。(ノートは半保護にはなっていません。)125.203.103.26 2007年1月3日 (水) 10:31 (UTC)返信

最終7ユニットについて

編集合戦を避けるため、こちらに事実を記します。

M787~791、M'2044~2048の5ユニットは昭和58年10月2日の赤羽線10連化用で赤羽線に投入され、昭和60年9月30日の埼京線開業に際し、そのまま川越区に移動。一方、M792・793、M'2049・2050の2ユニットは昭和59年2月1日の山手線内回り増発用で山手線に投入され、JR化後、205系の増備に伴い浦和区(京浜東北線)に転属。

JRRの84・85年版の編成表などでデータは確認できます。ここに書いた内容と、現在の本文の内容に差がある場合、各自で確認してみて下さい。L25.203.l03.26 2007年7月20日 (金) 14:20 (UTC)返信

JR化後の7次車の動きについて、鉄道ファン1988年~2005年の各「JR車両ファイル」掲載号により確認が取れましたので、下記にそれを示します。
  • 1988年度にウグイス色の2ユニットが、1989年にモハ103-791・モハ102-2048を除く4ユニットがそれぞれ浦和電車区へ、1990年にモハ103-791・モハ102-2048が豊田電車区へ転属。
  • 1996年3月の八高線の電化に伴い、浦和電車区に所属していたモハ103-790・モハ102-2047は1995年12月に3500番台に改造された。
  • 1996年8月~9月に3500番台に改造されたユニットを除く10両が豊田電車区へ転属。2002年にモハ103-792・793とモハ102-2049・2050が廃車。
  • 最後に2004年に残った10両が京葉車両センターへ転属。そして2005年2月までに全車廃車。
なお、本文には上記を少しアレンジした形で記述しますが、豊田電車区に1990年に転属した分と、1996年に転属した分は恐らく武蔵野線で運用されたと思いますが(2004年に京葉車両センターへ転属していることから)、これについては残念ながら確認が取れていないので、この分については記述していません。以前焦りすぎて迷惑を掛けてしまいましたが、今度は資料を完璧に吟味して記述致しました。間違いは無いと思いますので、どうか宜しくお願い致します(これの編集イメージは、私の利用者サブページの「イメージテストぺージ」に記載してあります。なお、910番台に関しては完全に私の記述ミスです。本当に申し訳ございませんでした。ただ、焦ったり急いだりしてはいません。その点はご理解をお願い致します)。--鉄道マニアック野郎 2007年7月29日 (日) 05:26 (UTC)返信

確認ご苦労様です。豊田電車区ですが、M792・793、M'2049・2050は青梅・五日市線用、他のユニットは武蔵野線用です。JRRの電車編成表各号を見れば一目瞭然です(それ以前に自分自身でも確認してますが)。お持ちではないですか?L25.203.l03.26 2007年7月29日 (日) 05:33 (UTC)返信

書き込みお疲れさまです。単に「ウグイス色」だと埼京線用になった車両もウグイス色であり紛らわしいので、山手線用と直させていただきました。また20年に満たずに廃車になった4両の使用期間を加筆させていただきました。L25.203.l03.26 2007年7月29日 (日) 07:56 (UTC)返信
どうもありがとうございます。豊田電車区に転属した分の運用線区についてですが、現在手元に2004年以前のJRRの電車編成表がない為、確認が取れなかったので、それらの情報を得たいと思いここに書きました。ただ、鉄道ファンから青梅・五日市線用の103系が2002年4月で201系に置換えられたことや、最終2ユニットの廃車時期の確認が取れていましたので、これが青梅・五日市線用で運用されていたことはなんとなくわかりました。でも例え今後それらの運用線区の確認が取れたとしても、本文にはこれ以上詳細に記述する必要はないと思うので、本文はとりあえず現行のままにしておきます。--鉄道マニアック野郎 2007年7月29日 (日) 11:44 (UTC)返信

切迫した電力供給事情の所で疑問に思う所が有るのですが。

鉄道について余り詳しく無い者で恐縮ですが、限流値と言うのは1ユニット当たりの電流と言う事でで良いのでしょうか それとも1編成当たりの電流になるのでしょうか? 山手線での103系使用に当たり、101系6M2Tで限流値480Aでの運転と103系4M4Tで限流値415A での運転と大差無いとの事ですが、1ユニット当たりの電流とした場合、編成全体で101系480×3=1440A、 電力にすると1500V×1440A=2160KWと103系415A×2×1500V=1245KWとなり、 倍近い差となりますが、これでほぼ同じ仕事量と言う事は101系はもの凄いロスの多い車両と言う事になると思います が本当なのでしょうか?ロス分は熱となったのでしょうか。 又、基本性能の所で、弱め界磁を設計通り35%にし高速性能を改善したと有りますが、なぜ大多数の103系を設計通り にしなかったのか?設計通りが少数派と言うのは素に受け止めて違和感が有ります。 MT55と言う電動機が、低速域で優れたトルク性能であり、設計通りであれば高速域も優れているとすれば、 MT55の近郊型や急行型を作った方がMT46の発展型のMT54を使用した車両を作るより経済的だったのでは? と言う疑問も出て来るのですが、その当たりの事情はどう言ったものがあるのでしょう? 車両について余り詳しく無い者が文章を読んで素朴に疑問に思う点なので、宜しくお願いします。--以上の署名のないコメントは、218.119.46.23会話投稿記録)さんが 2007年8月10日 (金) 00:27 (UTC) に投稿したものです。返信


MT55はどちらかというと低速の引張力を増した主電動機、MT54は高速の引張力を増した主電動機で共存はできません。
101系は旧形に比べても高速性能が劣っていましたが、103系はその101系よりも若干上回る高速性能として設計されています。
実際には弱め界磁35%が機能していなかった事で、かなり高速性能が弱かったので、それを少し改善したのがJR西日本の研究発表です。
設計通り弱め界磁35%の実力が出たからと言って、それはあくまでも旧形よりも高速性能に劣る101系よりも若干上回る程度の高速性能を確保したにすぎず、103系自体も旧形並の高速性能しかなかったという事ですから、その主電動機をして時速100キロ以上が求められる急行型などの主電動機にはなり得ないわけです。
また、103系がそこまでの高速運転をしなければならない場所が少ないため、全車に改造するまでも無かったという事です。
それからMT54はMT46の発展型ですが、MT46搭載形式と連結して運用する事を前提にしてますので、中速域までの性能はMT46もMT54もほとんど変わりません。MT54はMT46に比べて熱容量に余裕がありますので、勾配線区でMT比1:1の編成を組んで運転する事ができました。
101系にMT54を付けたらとか言う方もおられるようですが、MT比1:1で駅間距離が2キロ程度の線区に使う場合は、やはり熱容量不足になったようで、抜本的には101系に毛を生やした程度の性能にしかならず、将来的に冷房装置を積む事すら難しい状態になったと考えられます。
それ以前に、首都圏の電力事情から省電力タイプのMT55と103系を設計しているのに、何を好んで電力を余計に使う形式を作る必要があるのか?という事ですね。あとから「○○であれば」と考えるのは楽しいのですが、その当時がどんな環境であったかを調べないと、あまりにも滑稽な話になってしまうという好例ですね。
限流値は、速度が上がってくると主電動機に流れる電流が少なくなるのですが、そのままだと速度が上がらないので、限流値の値まで下がると主制御器内のカム軸が移動して抵抗が少ない配線になり、主電動機に電流が多く流れるようになります。
速度が上がっていくと、同様な繰り返しになりますので、限流値の値が大きいと、速度が速い内に次の段にカムが進みますので、実質的に加速が良くなります。逆に限流値の値を小さくすると加速は悪くなります。
103系などに装備された応荷重装置は、車両に乗ってる乗客の量によって限流値の値を操作します。つまり乗客が沢山乗っている時は限流値を上げて加速を上げ、車両が乗客の体重で重くなった分と相殺し、空車時と同じ加速になるようになっています。
当然、限流値が上がるということは、主電動機に流れる電流量が増えますので、電力消費量が増えます。
101系にも応荷重装置がありましたが電力事情が悪かったので、電力消費量を抑える目的で、応荷重装置を使わずに限流値を一定にして使いました。
103系に比べて101系が極端に電力を食うというわけでは無いのですが、101系の主電動機が通勤形には向かないので、通勤線区で使う場合はM車比率を上げるか、同じMT比だと限流値を上げなければならないため、同じ編成で同じ運転時間を運転するには103系より101系の方が電力を多く使用したと言う事です。--永尾信幸 2007年8月12日 (日) 23:04 (UTC)返信

永尾様。 詳しい解説どうも有り難う御座いました。 単純に限流値×架線電圧1500Vから割り出した101系と103系の消費電力の差と言うのが、以前私が携わっていた事務所ビルの契約電力より大きかったので、凄い差だなと思い質問させて頂きました。 実は他にも色々御質問したい所が有るのですが、Wikipediaでは場違いな感がしないでもないので、この辺で終了としておきます。違う場所でお目に掛かった際には宜しくお願いします。 --以上の署名のないコメントは、218.119.46.23会話投稿記録)さんが 2007年8月13日 (月) 21:52 (UTC) に投稿したものです。返信

上記の「218.119.46.23」さんの書き込みと永尾さんの回答に補足いたします。限流値ですが、これは各M(またはMc)車についている主制御器の進段を設定する電流の値ですから、編成単位ではありません。起動直後の直列時(1ユニットにあるモーター8個を直列に接続)はユニット単位、並列(1両分のモーター4個を直列につないだもの1ユニットにつき2回路)に切り替わった後は1両単位での電流量になります。直列から並列に切り替わると電流量は倍になります。(IP等の補足ありがとうございました。)L25.203.l03.26 2007年8月14日 (火) 03:47 (UTC)返信
(素朴な疑問)関連質問失礼します。切迫した電力供給事情に関連してその次の節に、103系4M4Tの限流値415Aで使用した場合、1962年秋の変電所増強分で101系6M2Tの限流値480Aでの運転とほぼ同等な運転を行うことができた。とありますが、何において同等かが示されていないんですね。おそらく山手線の走行にかかる所要時間ではないかと思うのですが、確証が持てなかったので修正しておりませんが、補足をお願いします。
(電圧・電流・仕事量について)ついでに、IPの方の疑問に対して補足しておきます。
電力にすると1500V×1440A=2160KWと103系415A×2×1500V=1245KWとなり、 倍近い差となりますが、これでほぼ同じ仕事量と言う事は101系はもの凄いロスの多い車両と言う事になると思います
電流と電圧だけでは仕事量はわからない
まず、電圧×電流=電力の示すところは、出力とか仕事率と呼ばれるものであって、仕事量ではないことにご注意ください。出力から仕事量を導き出すには、時間を乗じてやる必要があります。すなわち、出力が小さくても時間をかければ同じ仕事量が得られますし、出力が大きければわずかな時間で所定の仕事量を得ることができます。
駅から駅までを走らせることが仕事量ではない
次に、ここでいう仕事量とは何かを考えた場合、電車をある駅から次の駅まで走らせることが仕事量ではないんですね。この場合「車両を起動し、ある速度まで加速させること」これが仕事量になります。ここで注意しなければならないのは、「ある速度」は必ずしも同じではないということです。歯車比や電動機の特性により、車両の加速特性は異なります。同じ所要時間で走らせようとした場合、加速のよい車両はあまり速度を上げなくても所定の時間で走行可能ですし、逆に加速性能の低い車両では高い速度まで加速しないと、所定の所要時間が得られないことになります。とりわけ山手線のような駅間距離の短い路線では、この影響が顕著です。どこまで加速するかが違ってくることは、つまり仕事量も異なることを意味します。
出力も速度に応じて変化する
もう一点、車両に対する仕事は「起動し所定の速度まで加速すること」と書きましたが、仕事率は速度によって変わる性質のものです。電動機電圧×電動機電流という書き方もできますが、引張力×速度という書き方もできます。これの意味することは、速度が0すなわち起動時は出力が0ということです。その後、速度が上がるにつれ出力が上昇していき、ある速度に至ったとき(抵抗性御車では抵抗をすべて短絡したとき)、引張力が低下し始め、あわせて出力も低下していきます。つまり、定格電圧や定格電流というのは、ある決まった速度の一瞬の性能を示しているだけで、「起動からある速度まで加速」を考えた場合は、そのまま指標として用いることはできません。
以上、ちょっとややこしい話になりましたが、性能指標がそのまま実際の性能を示しているわけではない、ということがご理解できましたでしょうか。参考になれば幸いです。--ikaxer 2007年8月14日 (火) 04:08 (UTC)返信
補足説明と不明瞭点の洗い出しありがとうございます。不明瞭点(同等な運転が指すもの)については、書かれている通り一周の所要時間の事で、この比較であれば101系の方が1分20秒ほど早く一回りできるようでが、便宜上同等とさせていただきました。本文の方は先ほど訂正させていただきました。--永尾信幸 2007年8月14日 (火) 16:55 (UTC)返信

この項目で初めに質問させて頂いた、IP218.119.46.23の者です。 この件について説明して下さった方々に、改めてお礼申し上げます。有難うございました。 で、ついでと言っては申し訳ないのですが、又幾つか質問させてください。 1、山手線を一周するのに旧型国電を103系で置き換えた場合、時間短縮は何分だったのでしょうか? 2、八高線で使用されていた3000番台ですが、T車はDT21でM車はDT33だったと思いますが、台車が違うにも かかわらず、車体の裾部分の高さは同じだった様に思います。 これは、台車か車体の方で嵩上げしていたのでしょうか? 又、101系改造のサハ103-750番台は103系に比べ裾部分が低いにもかかわらず、天井の高さは同じで、すなわち車体の高さ方向の寸法が103系と101系では違っていた様に思いますが、何の為に寸法を変える必要が有ったのでしょうか?本文中で車体構造については割とあっさりな説明で済んでいますが、何となく気になっています。 --以上の署名のないコメントは、218.119.46.23会話投稿記録)さんが 2007年8月14日 (火) 22:21(UTC) に投稿したものです。

101系と103系では台枠の厚みが違います。ホームからの床面の高さは変わりません。台車については、後で図面を確認してみます。それから、書き込みの最後に「~~~~」を書いて下さい。IPや書き込み時刻が記載されます。L25.203.l03.26 2007年8月15日 (水) 02:14 (UTC)返信

尾燈上の足掛けのズレと前面強化について

インドネシアに行った内の1両について記載されましたが、これは平成5年12月までに大宮工場(当時)で前面強化工事を受けた車両(一部はJRRの電車編成表に記載されず)が該当します。前面強化についての項目を入れる一方、該当の記述を削除する方向で考えたいと思いますので、御意見がある方は、お願いいたします。L25.203.l03.26 2007年8月23日 (木) 04:11 (UTC)返信


仮称105系について

  • 1.2.2 駅間距離の長い区間への進出
    • 1964年には京阪神緩行線の新性能化に対して関西支社に103系で良いのか新形式を必要とするのか検討させている。事実、現在の105系とは無関係の仮称105系が4扉クロスシート車で検討されていた。
についてですが、私がいくつか資料を調べた結果、今ひとつこの仮称105系とやらの概要が明確になっていないので、資料類があれば教えて頂きたいです。また資料類が出てこなければ105系に関わる部分は削除したいと考えています。
実際に4扉クロスシートで検討の要望は、東海道・山陽線の内側線のみ使用した快速毎時4本、普通毎時8本の運転を快速毎時5本、普通毎時10本にしたいために追い抜き設備のある駅間を快速の運転間隔(12分)の貯金を使い果たす前に逃げ切れる普通電車の性能が必要と言うことで1960年頃に言われていた事であるが、その要求内容は、歯車比4.82、250%乗車時で時速100km/hまでの加速1.3km/h/s、4扉クロスシートであり、時速100km/hまで80秒で到達できる性能というのは201系ですら厳しい内容であり、歯車比が4.82しか無い状態でこの性能を達成するには全電動車に近いMT比にするか、非常に大出力の主電動機を開発する必要がある他、当時は吹田-甲子園口などの小運転に4両編成を使っていたので、基本4両付属3両という構成が求められる。これらに合致するような形式は非現実的で、大阪局が外側線がありながら内側線だけでこのような緩急高密度運転を行わされてる事に対しての、一種のイヤミ的要求であったようにも感じる。
その後1963年11月20日には小運転以外の緩行電車が全て7両編成になり、1964年10月1日には小運転を尼崎から甲子園口に延長するとともに、一部編成を4両から7両に増強している。
1965年3月28日には西明石までの複々線化が完成し、7月16日には小運転についても全て7両編成化がされ輸送力は着実に増強されている。快速についても113系を1964年9月から投入しているし、高性能通勤車要求の元である緩急分離についても、1966年10月に高槻と芦屋の駅構内配線改良に伴い同改正から内側線快速を外側線に移行、内側線普通電車を2往復増発している等、当初大鉄が求めていた快速増発・普通電車増発は、新性能通勤電車を大阪向けに作らなくても達成できている状況にあった。
この状況では大鉄として、そのような高性能電車を要求する理由が無くなったと言えるが、いつまでも、この話題が引き合いにだされてくるのは、ひとえに103系電車が元々京阪神緩行線がクロスシート中心の車両を集めて(その結果、ラッシュ時の殺人的ラッシュを生み出した点は語られる事が少ないが)いた路線であったのにかかわらず、非常に淡泊な4ドアロングシートであり、大鉄がその昔非常に高性能なクロスシート車を要求していたという事との比較だとは思うが、それがいつの間にか103系が入った後に大鉄が103系に変わる高性能通勤電車を要求したように歴史を歪められていったようだ。アンチ103系的な方々によるところが大きいと思うが、今でも京阪神緩行線の記事ではMT40モーターを賛美する書き込みがあり、最高速度が旧形は95キロで1972年3月改正で新快速との共存ができなかった点も触れられず、103系に不利な項目しかかかない点はウィキペディアにかかわらず良くみかける。
余談は良いとしても、仮称105系という車両の概要について私も勉強させてもらいたいと思っていますので、情報などがありましたら教えて頂きたく思います。
ちなみに、この103系の記事に出ている1964年に関西支社に対して103系で良いのかどうかと検討させたというのは、時系列的に考えたら、大鉄が1960年代初頭より本社に要求している新性能車両とは全く別物であると考えられる。1963年の新車要求会議で大鉄が出してきた大阪向け新性能車両はあっさりと却下されているのに、翌年に本社が大鉄に前年却下した内容に行き着くものを検討させる訳が無いからである。
ここで、本社が大鉄に検討させたのは、103系電車を京阪神緩行に使えるかどうか、であって、103系がダメと言うならどういう性能が必要なのかという点であり、大鉄が上げていた高性能電車を再度検討しろと言うニュアンスでは無いと考えられるからです。
それは、大鉄から答えが出なかった点でも推測できると思うんですね。つまり、大鉄としてはずっと4ドアクロスの高性能車を求めていたのに、そのような高性能車は元々非現実的であった事(113系の快速の投入でさらに非現実度が増した)、大鉄の不満の1つであった内側線での緩急運転について高槻等の工事によって外側線を使わせてもらえる事が明らかになった事、クロスシート車の要求がすでにモハ72等の4ドアロングシートが入った後の京阪神緩行線にとって輸送改善ではなく輸送改悪になる可能性がある事、それらを考えると4ドアクロスの高性能車を返事として出すわけにも行かない、通勤時間帯のラッシュ緩和を考えたらクロスシートにこだわらずロングを要望したいが、それを明言したくないetc.
ある意味、放っておいたら本社が勝手に103系を入れたとすれば、大鉄としてのメンツは保たれる、そういう部分で1964年に関西支社に対して検討させたときに明確に答えが返ってこなかったのでは?と私は思っています。--永尾信幸 2007年8月23日 (木) 07:13 (UTC)返信
私は大きな間違いをしていました。大鉄がクロスシートを好んでいた事から、この仮称105系と思われる高性能通勤電車の要求条件にある「4扉縦座席」の縦座席をクロスシートだと思っていましたが、ロングシートの事のようです。
要は大鉄局では1960年以前にすでにロングシートを京阪神緩行線に投入しようとしていた事がはっきりわかると言えます。
そうなると、クロスシートの105系という噂の元はどこか?という事になりますね。
とりあえず、本文に記載されている仮称105系の部分は訂正させていただきます。--永尾信幸 2007年9月21日 (金) 20:10 (UTC)返信

JR分社後の状況と改番を伴わない改造の項目内の、JR西日本窓閉塞について

鉄道ジャーナル91年4月号111~112ページに於いて、最初の戸袋窓閉塞車登場の記事があります。これによりますと、1990年12月31日に、初めての窓閉塞車の森之宮電車区所属クハ103-243+モハ103-385+モハ102-541+サハ103-348(サハ103-348は翌1991年1月22日から)が登場したとあります。また、この記事には、試行的要素が強いためまず4両の施工になったとも書かれています(現在もモリ18編成上り側4両として営業運転をしています)。 尚、同じく鉄道ジャーナルの92年6月号に103系改造105系の戸袋窓閉塞車の登場の記事があります。最初の改造車は、クモハ105-514+クモハ104-4の2両で、92年3月5日に出場したとのことです。

書き換えをお願いします。

211.125.206.116さん、情報ありがとうございます。開始年がまだ書かれていませんでしたね。鉄道ファンにも記事があったと思いますので、そちらも確認した上で、文章を考えて直します。なお、大阪環状線の車両の検査等は概ね4両単位であり、戸袋窓閉鎖工事に限ったことではないので、その点は記さないことになると思いますから御了承下さい。105系については車番が違うようですので、私の方でも確認してみます。L25.203.l03.26 2007年8月27日 (月) 06:54 (UTC)返信

105系ですが、クモハ105-514+クハ105-4のようですね。番号は良く確認しておいて下さい。雑誌が間違っている例も少なくないので、一部の雑誌に書かれていれば、その内容が間違いであってもWikipedia的には良いのかも知れませんが、参加者は納得しないので、なるべく複数の資料を用いた方が無難です。書き換えはもう少し経ったら行います。それと話が逸れますが、羽衣線向けのワンマン車は、今年度に入ってから6両が改造されています。ですので、10両というのは現状とは異なります。また、阪神大震災の直後に運用されたサハ103(750台)もワンマン化改造(車外スピーカー取付)をされていたとの情報がありますので確認中です。よろしくお願いします。なお、Mc77他4連は7月に廃車回送されたようです。(だからと言って、スグに書いてはいけないのがWikipediaの難しいところですね。)L25.203.l03.26 2007年9月1日 (土) 12:31 (UTC)返信

WAU102は「分散式」か「集約分散式」かなど

Wikipediaの集約分散式冷房装置を見ますと、上記二種の違いは「ダクトの有無」とのことのようですが、JR西日本のWAU102の冷房改造車にはダクトがありません。そうしますと、分散式と表現するのが妥当ということになり、修正する必要があります。(なお、JR東日本のAU712とJR東海のC-AU711はダクトを併用しています。)また、JR東日本とJR東海では「冷房化改造」、JR西日本では「冷房改造」となっていますが、「冷房化改造」に統一したいと思います。冷房装置の定義も含め、御意見や情報のある方は、こちらに書き込んで下さいますよう、お願いいたします。L25.203.l03.26 2007年9月7日 (金) 01:53 (UTC) 補足ですが、集約分散式冷房装置でWAU102が紹介されていますので、こちらも削除することになるかと思います。それから、WAU102を同様の外観のクーラーを載せた秩父鉄道1000系(元国鉄・JR101系)はダクトがあり、JR西日本のWAU102搭載車とは内装が異なりますので申し添えます。L25.203.l03.26 2007年9月7日 (金) 02:16 (UTC)返信

双方修正しました。また「C-AU711に準ずる」というのが意味不明のため削除しました。L25.203.l03.26 2007年9月8日 (土) 07:05 (UTC)返信

101系からの変更点

ジャンパ栓(と栓納め)関係の記述がなされていますが、試作車では101系と同等のものでした。ですので、101系からの変更点ではなく、量産車登場時の変更点ということになりますから、該当の記述は、その項目から削除するのが妥当と考えます。また、テールライトに関しては、当時の101系が既に外嵌めになっていましたから、その部分は書いてはいけないと考えます。(それが書けるのでしたら、パンタグラフが最初からPS16だったなど、書き込むネタが不必要に増えます。) 御意見のある方は書き込みをお願いいたします。L25.203.l03.26 2007年9月12日 (水) 12:20 (UTC)返信

一連の改変での内容について

山本さんが手を加えて下さっていますが、検証可能性などで問題があると思われる項目もありますので、気づいた点を指摘します。
加古川線の3550番台の種車の選択について、「車齢の新しいクモハが少なかった」とされていますが、これは「貫通形の運転台を設置するため、中間車からの改造の方が工程が楽だった(骨組を変更する必要がない)」という点も考えられます。また、雑誌などでは「N40工事が終了していたので、既存のN40工事車を改造した」という表現も見受けられます。「3500番台の方法が非効率」という表現は避けるべきと感じています。
なお、その他にも事実誤認の内容が散見されます。少しずつ直していきます。L25.203.l03.26 2007年11月11日 (日) 14:26 (UTC)返信

それから、「○○番台」というタイトルを「△△線投入」変更したものの、本文の冒頭が「△△線に~グループである」と車両を紹介する文章になっています。全体として「車両を紹介するのか」・「△△線への進出を紹介するのか」 、文章の内容も考察(必要なら改変)した上でタイトルを変更しないと、内容を噛み合わなくなります。全体の改変を急ぐだけでなく、ここの内容の整合性にも充分配慮して下さい。
また、サハ103形3000番台は青梅・五日市線用に改造されたのに、タイトルが「川越線投入」とされて紹介されていますから、間違った内容に改変しています。このような例が増えるようでしたら、全面的にリバートせざるを得なくなりますので、充分な配慮の上、改変して下さい。(真剣に全面リバートを検討してます。)
それと、クハ103-194が黄色になった云々というような話は、103系で出すとキリがありませんので、追って削除します。ですので、クハ103-188をクハ103-180と誤記されているのも直しませんので、念のため。L25.203.l03.26 2007年11月11日 (日) 14:45 (UTC)返信

ご指摘ありがとうございます。確かに、文章的におかしいですね。以後気をつけます。今日はもう時間が無いので最低限の修正しか行いませんでしたが、なるべく早く3000番台等の編集にもかかれるようにしたいと思います。ただ、週があけてしまうのと、川越線の事をよく知らないのとで、明日・明後日というわけにはいかないと思います。

ところで、自分の中でサハ103形3000番台の青梅・五日市線投入は「『まあ余ったからとりあえず』という副次的なもの」という認識だったのですが、間違いでしょうか?山本輝雄 2007年11月11日 (日) 18:08 (UTC)返信

根本的な事で申し訳ないんですが
  • 川越線の事をよく知らない
それなのに、なんで、川越線関係の記事を手直しできるんですか?
ずっと以前もどこかに書いたと思うのですが、とりあえず間違っていても書いちゃえ、間違っていたら誰かが正しくしてくれるや・・・という感覚では編集して頂きたくは無いのですけど。
精力的に動かれてるのはわかりますし、それはすごいことだなぁと思いますが、間違いを見つけれなければずっと残ったままなので、できれば先に紙に書き出すなりして、まとめてからこちらの本文を書き直してもらえればと思います。ウィキペディア本文はメモ帳ではありませんので、ここに書くときにはきちんと内容をまとめてから行えば間違いを減らす事ができると思いますよ。どうも見ていると本文の「編集」でそのまま手直ししてアップしてるように見えるので。
いずれにしても、テキストエディタの使用が推奨されてるかと思いますが、いったん外に出して、そこで編集して、中身をチェックして、それをアップロードする形を取れば、頭を冷やす期間(こうかな?と思っても時間が経てば間違いに気づく)もできて結構効果的ですよ。--永尾信幸 2007年11月11日 (日) 23:27 (UTC)返信

Wikipediaを編集するには、103系に限らず、それ相応の見聞知識や資料が必要だと思います。

  • サハ103形3000番台の青梅・五日市線投入は「『まあ余ったからとりあえず』という副次的なもの」という認識

このような認識に基づいた書き込みで検証可能性を満たせますか?。また、前から気になっているのですが、山本さんがCS40を40段とした書き込みをなさった際に利用した資料を教えていただけますか?L25.203.l03.26 2007年11月12日 (月) 04:19 (UTC)返信

今、確認しましたが、3000番台に関しては、山本さんが手を加える前から「川越線向け改造車」とされ、不正確な状態だったようですね。それが「投入」という時期を限定するような書き方になったので、かなり問題のある書き方となってしまったようです。この項目については、サハを分離するかどうか、あるいは、タイトルを変更するかどうか、決める必要があると思います。それから、「加古川線への投入」というタイトルの後に、「(3550番台改造車)」などと書き添えた方が良いのではないかと考えています。L25.203.l03.26 2007年11月12日 (月) 14:51 (UTC)返信

引き続き失礼します。かねてより、国鉄113系電車において、クハ111-2333の記述が誤りであることがきになっていたのですが、このログを見ますと、正しく書かれていたものを、山本さんが不適切な記述に書き換えていることが確認できます。この書き換えの際、クハ111-2333関する内容の書き換えについて、どのような根拠と、どのような意図で行ったのか、説明して下さい。あなたの編集姿勢が問われています。L25.203.l03.26 2007年11月13日 (火) 01:25 (UTC)返信

とりあえず3000番台を段落名を「3000番台」に戻した上で整理しました。ただし、結局サハ103形の扱いをどうしたらよいのかわからなかったため、内容自体は整理前と大きく変えていません。また、塗装開設の位置を移し、ご指摘を受けてその他の部分に番台名のカッコ書きをしてみました。

ミスが多い事は申し訳ないと思います。クハ111-2333は2200番台の一員かと思っていましたが、違うのですね。あのあたりの誤記は、全てこの勘違いが原因です。また、CS40についてはどこかのサイトにそのような記述があったのを短絡的に移しただけです(昔の事でどこだったかは詳しく覚えていません)。これからは、知らない事柄に手を出す時はもう少し慎重に調べた上で編集にかかりたいと思います。山本輝雄 2007年11月17日 (土) 14:20 (UTC)返信

御返答ありがとうございます。JRRの電車編成表を見れば一目瞭然の事柄などを間違えているようでは困ります。それなりの知識と資料に基づいて書き込みをしている人には不愉快に感じられますから、周到に調査や資料集めを行なった上で加筆するようにして下さい。そうでなければ「アラシ」と見なされますよ。さて、今回の改変のポイントの一つに、JR化以後の改番を伴う改造を各社の項目に分けたことがあると思いますが、JR西日本については、延命工事、改番を伴う改造工事、広島や岡山への進出などが続けて書かれており、内容が掴みにくいように感じます。これらはテーマ別に分けた方が、判りやすいように思います。例えば「延命工事」・「その他の工事(冷房改造・戸袋窓閉鎖・羽衣線ワンマン化など)」・「(改番を伴う)改造工事」・「JR化後に103系が進出した線区」というように項目を分け、例えば3550台だと「改造工事」と「JR化後に103系が進出した線区(加古川線)」とに重複しますが、車両の形態については前者で、線区の状況については後者で書くようにすれば良いかと思いますが、いかがでしょうか。(他社については、追って提案します。)L25.203.l03.26 2007年11月17日 (土) 14:54 (UTC)返信
  • これからは、知らない事柄に手を出す時はもう少し慎重に調べた上で編集にかかりたい
じゃなくって、ウィキペディアって百科事典なんだから知ってること・わかってる事を書いて下さい。
知らない事を知ってる振りしてわざわざ書く必要はありません。
そのような行為のおかげで他の人が迷惑してるわけですから。
知らない事を書くなとは言いません。
知らない事を調べて書くには、当然慎重さが求められるわけで、それは複数の文献のチェックであるとか、最低限きちんと検証可能性を満たすようにしてください。
既に15ヶ月も前に、あなたの会話ページでこのような指摘を受けていながら、全く無視していたという事じゃないですか?
10 国鉄115系電車について
浅薄な知識でデタラメを書かないように!クモハ114形に新製車はありませんし、クモハ115形には新製車と改造車の両方があります。また、115系と113系は同時開発であり、親子ではなく兄弟です。あと、新製形式と改造形式は明確に区分すべきではないでしょうか?--Kone 2006年7月11日 (火) 14:03 (UTC)
国鉄103系電車においても、根拠不明瞭な記述が多いのが気になります。いったん本文に記載された内容を検証~削除するのにどれほどの手間がかかるとお思いでしょう。本来Wikipedia:検証可能性にもありますように、根拠は「加筆者」が明確にすべきものです。勝手な思いこみのために数多くの方がムダな時間を費やしている可能性がある点を認識下さい。また、書き込む前には「自分が書き込みをする内容が、どこかで発表されているかどうか」を十分確認して頂きたいと思います。苦言になりましたがよろしく御願いします。--永尾信幸 2006年9月29日 (金) 15:57 (UTC)
これだけ多くの編集をしてきたあなたが
  • CS40についてはどこかのサイトにそのような記述があったのを短絡的に移しただけ
という返答が来るとは思っても見ませんでした。
裏返せば、今まで編集してきた大量の加筆や修正の中にも、このような検証可能性を満たさないものが多数含まれている可能性があるということですね?
このノートの上に書いてある「冷房準備車」でも「自分はそう思っていた」程度の認識で加筆修正されていましたよね。
要は、そういうでたらめな書き込みを誰が検証して誰が正しい記述に直してくれるのですか?ということです。
どれだけ他の人に迷惑をかけているか認識されていないようですね。
実社会でこのような無責任なことをしたら、あなたは回りの人々から軽蔑の目で見られる事でしょう。
「恥ずかしくて外に出られない」そんな状態ですが、幸いウィキペディアはネット上の世界ですから、ここでこういう指摘を受けても、自分自身には何の制裁もなく普通にしていられるでしょうが、あなたの置かれてる立場は実社会では非常に恥ずかしい事だということは良く認識しておいてくださいね。
  • ミスが多い事は申し訳ないと思います
申し訳ないと思うなら、今まで自分が修正してきた内容が検証可能性を満たしているか全部確認して下さい。
えぇ、大変なことですよ。
でも、その大変なことを、あなたは他の人にやらせてるわけです。
間違いは誰にでもありますし、それを責めているわけじゃなく、あなた自身の編集に対しての姿勢の問題です。
この問題はあなただけの話ではないですが、これだけの編集をしてるのに、この程度の認識だったのかと、ちょっといきどおりを覚えましたので苦言書かせてもらいました。
これからは、是非とも検証可能性を満たすように、それこそ書かれてるように慎重に下調べをしてから加筆修正するようにして下さい。
それができないなら、参加は遠慮して頂きたいなと思います。--永尾信幸 2007年11月17日 (土) 17:26 (UTC)返信

なんか見ていて山本さんの編集は一部に適切な加筆がある反面、基礎的な知識の欠如に起因する誤記が目立ちます。加筆に関しては、間違いの無い資料に基づいた内容だけにし、あなたが「こうだろう」と考えている部分の書き込みは一切やめて、あとは文章の並び替えに徹していただけませんか。今回も「正しかった部分」を「間違った内容」に書き換えているところがあります。元々、間違っていた内容を私が正しく直したのに、そこを再度、山本さんが間違った内容に書き換えていますので、非常に立腹しています。

  • サハ103形3000番台が組み込まれた3→4連のクハは、0番台は殆んど組み込まれず、概ね500番台か900番台でした。この編成のクハが0番台だったと記載されていた資料を教えて下さい。それに、文章量を抑制するためにも、ここは編成は書かなくても良いと思います。
  • クハ79形600番台の運転台直後の戸袋部の窓は、元々存在しません。クハ103形ATC車と同様の設計で、そこにさらに保護板が設置されていたのです。改変前の文章が「最前部の戸袋部は窓が無く」だったのに、山本さんが「運転台直後の戸袋部の窓に保護板が設置され」と戸袋窓があったという文章に改変しています。この間違った文章を書く(正しく書かれていた内容を間違った内容に書き換える)のに使用した資料を教えて下さい。
  • 3000番台の置換えについて、「205系等の新車と交代」とありますが、3000番台を置き換えた車両の中で「新車」だったのは、209系3100番台のモハ2両だけです。他、輸送力増強用4両を含め、26両は転入車です。また、先の2両の「新車」も、りんかい線車両の編成替と埼京線の運用増に関わる所要数を満たすための増備車で、本来の目的は3000番台の置換えではありません。そのような状況において「新車」という言葉をお使いになった理由を教えて下さい。

通常の場合、ほんの2~3文字を直すにも、多くの資料に基づいた情報と、多くのエネルギーを費やしています。山本さんの場合、改変を急ぐだけで、裏付け的な部分が非常に希薄に感じられます。L25.203.l03.26 2007年11月18日 (日) 01:52 (UTC)返信

戸袋窓の件ですが、[2]などで「埋められた」という表現を目にしたため、それに倣いました。想像で書いたわけではありません。あの形状で製造時から無いとは・・・

青梅線編成ですが、あれは元々あった編成表をコピベして、3と2を入れ替えたり、300を消したりしていた関係で、追加し忘れたものです。ついでに、矢印の隣の方向が抜けていたり、は→歯だったり、リンクが不成立だったりもしていますね。確認したつもりなのですが、甘かったようです。とりあえず、純粋に直しておきます。

「新車」は「あの路線にとって」の意味です。あの車両群が改造車主体だった事は、205系の方の編集経験もあるので理解しています。一応、直接205系3000番台に飛べるようにしてはいますが、不親切でしょうか?山本輝雄 2007年11月18日 (日) 10:26 (UTC)返信

900番台の事は900番台の解説ですればよいと思い「500番台」とのみ記しています。山本輝雄 2007年11月18日 (日) 10:39 (UTC)返信

山手線を20年近く走った車両を「新車」と言う感覚が私には理解できませんが、「あの路線にとって」で良ければ、播但線の3500番台も、加古川線の3550番台も、みんな「新車」ということですね。つまり、103系には「新車」がいっぱい存在するということです。素晴らしい。あと、検証可能性は遵守願います。どこかのサイトの内容の引用で書くのは止めて下さい。L25.203.l03.26 2007年11月18日 (日) 14:50 (UTC)返信
205系の話で恐縮ですが、サハ204の連結位置を「10号車」という明確な表現から、「10両目」という曖昧な表現に変えた理由は何ですか。やはり貴方の編集方針には問題があると言わざるを得ません。L25.203.l03.26 2007年11月19日 (月) 02:27 (UTC)返信

久しぶりにやってきていきなり喧嘩売るようですが、自分は播但線の3500番台も、加古川線の3550番台も、みんな新車と考えています。素晴らしいかどうかは普段利用している路線ではないので分かりませんが、気動車からの転換用に特別な改造を受けた専用車として投入されたものですからね。もっとも、どこまでが新車でどこからが新車でないなんて明確に線引きしてるわけではないので、「じゃあ東日本の方の3500番台はどうなんだ」とか言われたら困ってしまいますが。

205系の話ですが、「~方から」などを付け加えるか、「10号車に挿入」とすべきでしたね。といっても、別にわざと曖昧な表現に変えたわけではありません。というか、指摘を受けるまでそれほど曖昧だという意識がありませんでした。私が鉄道系の編集者の中で異質なのは自分でも理解していますが、だからといって一言一句に自分ルールを作っているわけではありません。

ところで、戸袋窓閉鎖や前面の金属枠化などを「腐食対策」などとして一まとめにしてしまおうかと考えています・・・いつ編集に参加できるかの見通しすら立っていないので、具体的にいつかは分かりませんが。山本輝雄 2007年12月4日 (火) 15:03 (UTC)返信

  • 久しぶりにやってきていきなり喧嘩売るようですが
自分の置かれている立場を理解できていないようですね。
あなたの検証可能性を満たさない自分勝手な思いこみの改変で、多くの人が迷惑してるのです。
  • 自分は播但線の3500番台も、加古川線の3550番台も、みんな新車と考えています
なら、ウィキペディアの編集は止めて下さい。アラシ以外の何者でもありません。
どこに新車という記述がありますか?全く検証可能性を満たしていないじゃないですか?
何度も言いますがウィキペディアは己の考えを披露する場所じゃないんですよ。
そういう妄想が書きたいのならご自分でHPを開設して、そちらで思う存分やりなさい。--永尾信幸 2007年12月4日 (火) 15:08 (UTC)返信
まだパソコンつけていたので・・・
あれだけの編集をしておいて3500番台や3550番台が電化時に製造されたなんて思い込んでいるわけないじゃないですか。もう2回書いていますが、専用に用意され、在来車を一新した車両だからそのような表現を使っただけです。もっとも、鉄道界でそのような表現がなされない(あなたがそんな調子で書くのなら、きっとそうなのでしょう)ならば、今後は使用を控える事にしますが。山本輝雄 2007年12月4日 (火) 15:33 (UTC)返信
問題点がまるで理解できていないようですね。
  • 専用に用意され、在来車を一新した車両だからそのような表現を使った
じゃぁ、福塩線に入った70系は新車ですか?関西線電化時に入った101系や113系も新車?仙石線の205系も新車なんですね。
鉄道界でそのような表現がなされるかどうか以前に、常識で考えたらわかると思うんですけどね。
素人にもわかりやすくと言ってるわりに、素人を混乱させるような表現じゃないの?
普通の感覚ではよそから持ってきたモノがいくらキレイに磨かれていても「お古」という表現が使われます。
新車は新品と言う意味です。
新品と言うのは製造直後の状態をさし、決してお古ではありません。
山本さんの感覚だと、自宅にある自家用車の代わりに中古車屋から中古車を購入しても「新車」なんですかねぇ。(自分の家用に専用に用意され、自分の家の車を一新した車両・・・を山本さんは新車と呼ぶんですよね)
検証可能性がどうのとか言う以前に、もう少し言葉の意味を理解してから文を書くようにして頂きたいですね。
「新車並みに改造され」や「新車と見間違うほど」などの表現はよく見掛けますが、どちらも「新車みたいだけど新車じゃないよ」と書いてあるわけですから、こんな表現に惑わされていたらちょっと困りますけどね。
いずれにしても、新車でもないのに新車だと言うような嘘は書かないようにお願いしますね。--永尾信幸 2007年12月4日 (火) 16:04 (UTC)返信
>素人を混乱させるような表現
それは私の望むところではありません。そこで辞書を調べてみましたら、「新」には「新たに」という意味があるものの、「新車」となると「新造された車両」という意味しか無い事が分かりました。今まで誤用していたようです。すみませんでした。山本輝雄 2007年12月5日 (水) 14:12 (UTC)返信
  • 今まで誤用していた
そういうことです。というより、誤用のレベルが低すぎます。
何らかの制約で車両の座席の一部が欠けた車両を見て「あの車両の座席は欠席している」と説明していたようなもんです。(こんな使い方する人はいないはずですが、これと同じインパクトが山本さんの新車にはあった)
熟語の多くは、構成される漢字の意味に関連している事は間違いない事でしょうが、何度も指摘させてもらってるようにウィキペディアに記載するには検証可能性を満たさなければなりません。
検証可能性を満たすには、自分が今まさに書こうとしている内容が、何らかの文献に掲載されている必要があります。
2000近い編集をしていながら、今更そんな話をしなければならないのは残念ですが、山本さんの編集姿勢を問う声が多いのも、山本さん自身の思いこみによる編集が多いからです。(今回は、勝手に新車の意味を自分で作っていた)
「○○だと思っていた」という曖昧な時点で編集するのは止めて下さい。
その「○○だと思う」というのを書籍などで確認して、掲載されていたら編集するようにして下さい。
今まで山本さんがウィキペディアでばらまいてきた嘘は、多くの方によって正しい表現に戻されていますが、この編集の原点を理解できていなければ、これからも今まで同様に山本さんは嘘をばらまき、他のウィキペディアンにとって迷惑な存在になるわけです。
今まで何度か指摘されてきたように、編集を焦る必要などみじんもありません。
きっちりと裏付けをとってから編集するようにして下さい。
単に「私はこう思っていた」だけで文字にするのは止めて下さいね。
その辺さえきっちりとしていたら、多くの方から歓迎される存在になると思うんですけどね。
もちろん編集内容にもよりますけどね。
ここで書いた事は編集以前にウィキペディアに参加する資格があるかどうかというレベルの話なので軽く考えて欲しくないと思います。--永尾信幸 2007年12月5日 (水) 14:59 (UTC)返信

言葉遣いについてももっと慎重にならなければなりませんね。気をつけてゆきたいです。ところで、編集に関連してクモハ103-2500番台の画像を戻させていただきました。別にあの画像に愛着があったりするわけではないので、もっと良い物がありましたら差し替えてください。

今後もしばらくの間活動時間が定まりそうになく、返事をいつ書けるか分からないので、特に問題が無ければコメントしていただかなくても構いません。山本輝雄 2007年12月13日 (木) 09:04 (UTC)返信

すいません、それ何年ですか?百科事典にふさわしい記述ですか?
知らないことは書くな!迷惑だ!
今まで言われてきたことを反省していますか?このままだと、やはりあなたにはウィキペディアの編集は無理かもしれませんね。
2500番台は、もっと良いのがと言うことで5000番台をアップしました。113系の画像でもそうですが、なぜ画像を差し替えられるのか、まずそこを良く考えてみて下さいね。
相変わらず指摘されてる事を理解できずに同じ過ちを繰り返す姿を見て、ちょっとがっかりですが。--永尾信幸 2007年12月13日 (木) 10:14 (UTC)返信

関西地区所属車において、側扉の交換は延命工事が開始される以前から行われている一方、貫通扉の交換は延命N工事や延命NA工事などの際に行われているのものですので、同一の項目で記述するのは無理があります。本質を理解してから書いていただきたいと思います(修正は、もう少ししてから行います)。なお、国鉄末期のリニューアル車6両は特例的な存在で、201系や205系などに見られるステンレス地そのままの貫通扉となっています。
側扉のステンレス化の交換開始時期ですが、首都圏の103系については1978年度末からです(101系はそれ以前から)。残念ながら関西地区の車両については明確なデータはありませんが、1979年の夏には側扉がステンレス製のものに交換された車両がいることは確認してます。で、1979年って28年も前の話(交換開始はそれ以前)なんですが、何か参考になるような資料に基づいてお書きになったんでしょうか。関西地区にステンレス扉に交換した車両が登場したような雑誌記事は自分では見たことが無く、有ると大変助かるのですが。L25.203.l03.26 2007年12月13日 (木) 12:26 (UTC)返信

過去ログ化について

先ごろ「一連の改変での内容について」以外を全て過去ログ化という行為が行われましたが、一旦差し戻しとなりました。しかし、多くの項目を立ち上げた私としても、全体の項目数が多くなっているので(すみません)、議論が終了したものは過去ログに移動する一方、たとえ議論が膠着状態であっても必要な項目は残すべきと考えます。そこで27個ある項目について、過去ログに移すか残すかを提案いたしますので御議論のたたき台として下さい。特に異論が出なかったものについては2週間後程度を目途に過去ログ化したいと思います。

  • _1 1200番台を戻しませんか? - 議論が止まっているが、引き続き検討のため残す
  • _2 冒頭文について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _3 ラインカラーの件 - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _4 USJラッピング車の画像について - 過去ログに移すが、今後も同じ問題が問われる可能性があるので、要点を別途残す
  • _5 「関連項目」要りませんよね? - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _6 各項目の記述について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _7 1200番台について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _8 成立までの誤解について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _9 形式の紹介順序等の疑問点などなど - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 10 1200番台の記述を戻しませんか? - 「1」に絡んでいるため残す
  • 11 弱め界磁35% - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 12 冷房準備工事車について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 13 各項目を整理しましょう。 - 改めて整理しており不要と思われるので過去ログに移す
  • 14 私鉄の103系 - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 15 概要・基本性能 - まだ作業途中の部分があるので残す
  • 16 百科事典に編成番号や番号対照表が必要か? - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 17 JR西日本の103系3500番台のトイレ増設について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 18 基本性能:再開閉スイッチ - ほぼ1年経過しているので過去ログに移す
  • 19 保護解除依頼にあたって - ほぼ1年経過しているので過去ログに移す
  • 20 最終7ユニットについて - 最近のものだが議論は終わっているので過去ログに移す
  • 21 切迫した電力供給事情の所で疑問に思う所が有るのですが - 最近のものなので残す
  • 22 尾燈上の足掛けのズレと前面強化について - 過去ログに移す
  • 23 仮称105系について - 最近のものなので残す
  • 24 JR分社後の状況と改番を伴わない改造の項目内の、JR西日本窓閉塞について - 過去ログに移す
  • 25 WAU102は「分散式」か「集約分散式」かなど - 過去ログに移す
  • 26 101系からの変更点 - 過去ログに移す
  • 27 一連の改変での内容について - 改変自体が途上なので残す
  • 28 過去ログ化について - 併せて過去ログに移す

残すのが、1、10、15、21、23、27で、要点を別途残すのがラッピング関係、その他は過去ログ化ということです。L25.203.l03.26 2007年12月12日 (水) 13:43 (UTC)返信

先に菊地 英仁さんからも整理する時期ではという編集がありましたが、私自身過去ログ化に対しては賛成するところです。しかし先の編集はあまりにも機械的な感じを受けましたので菊池さんには悪いですが差し戻させて頂きました。
今回、103系の記事を編集し、またノートにも良く書いて頂いているL25.203.l03.26さんから整理の提案が出ましたが、過去ログ化する内容についてはほぼ異論はありません。
細かい点で残して欲しいのがあるかもしれませんので、もう少しじっくりと読み直してみます。--永尾信幸 2007年12月13日 (木) 14:49 (UTC)返信
二週間と書いてから一年半が過ぎていますね(汗)。一番重要であると思われた1200番台の復帰もしていただけましたし(Kuha455405さん、ありがとうございました)、現在ある内容を全て過去ログとしても大丈夫なように思います。残しておいた方が良いと思われる項目がありましたら、お知らせ下さい。よろしくお願いいたします。L25.203.l03.26 2009年7月27日 (月) 11:44 (UTC)返信

「製造」と「製作」について

現在、他の記事で標題の件が取り上げられているようですが、本記事において「製作」という言葉は試作冷房車の部分でのみ使用されています。ここでの使われ方ですが、「日立製作所」という固有名詞、および「新設計または再設計のクーラー」の製造に関して用いられており、「製作」という言い回しが妥当なものと考えますので、そのまま使用を継続します。L25.203.l03.26 2007年12月13日 (木) 01:37 (UTC)返信

主電動機節について

何か違和感があると思ったら、今箇条書きになっていてMT55がMT比1:1でなければ使えないような感じになってる事から、先の斎藤氏の記事のような部分が追記されたのでは無いかと思います。で、差分を調べると[3]ここで書き換えられたようです。元々、そういう線区を想定したが、それ以外の条件では使えない電動機では無いのですが、現在の状況では例えばMT比が3:2になったら元々の設計思想を外れてると言うような感じになってる気がします。もちろん1:1での使用は前提ではあるのですが、1:1でなければならない等とはどんな書籍を見ても書いて無いんですよね。あ、その斎藤氏の記事くらいでしょうか書いてあるとすれば。曽根さんも書いていたかな。8両編成(MT比1:1)が最適なのに云々と。なんというか、当時は101系を8両で使うなら6M2Tにしなければならないから103系では4M4Tにできるメリットが前面にありました。ですので、適してるという点は間違いありませんが、6M4Tになると途端にメリットが無くなると考えるのは如何なものかと思います。

MT55は低電流で高い加速度を得れる電動機なのですが、これは当時の首都圏の電力事情によって仕様が決められたモノで、それは別に4両編成でも6両編成でも編成両数に関わらず個別の長所として持っているものです。今の元になった文章が、101系の6M2Tから移行する点を強調していたために、現在の箇条書きにつながってる事から、もうすこし記述の見直しを考えてみます。--永尾信幸 2010年2月8日 (月) 07:31 (UTC)返信

参考文献について

記事を書くために参考に使った文献を書くための欄が参考文献欄なのですが、参考文献を書くだけ書いて本文の加筆が一切行われていない状態になっています。本文記述の出典として必要なものは脚注として組み込むなりしてください。参考文献欄は資料を列挙するための欄ではありません。2010年2月10日 (水) 13:13 (UTC)時点から1週間程度時間をおいた後、加筆に使用された痕跡のないもの、若しくは脚注形式で本文に組み込まれていないものは整理させていただきす。--Kazusan会話投稿記録 2010年2月10日 (水) 13:13 (UTC)返信

あのぉ、私は既に多くの編集を103系の記事について行っております。先にあなたによって、出典があるのにそれが明確で無いがために、強引とも思える差し戻しを受けた事もあり、このような自治厨的な性急な編集が行われる事を防止するという面もあり、過去に私が参考とした文献を羅列してるわけです。あなたは103系の記事に対して編集を行った事が無いようなのですが、いったいどういう感覚で絡んでくるのでしょうか?まず自治厨でも良いのですが、その記事を発展させるという行動を起こして下さい。
あなたの行動を見てると、ご自身が納得したいが為の編集に見えてきますがウィキペディアはあなたの理想を満足させるためのものではありません。そのあたりを、今一度見つめ直して見てはいかがでしょう?
また、先にもあなたのノートで指摘させて頂きましたがテンプレートをいきなり貼るというような嫌み的な行動を起こすのではなく、どういう意図でやってるのかとか、先に聞くべきでしょう。なんでもルールにのっとって自分が正しい行動を取ってると言う風には思わないことです。
何度も書かせてもらってますがウィキペディアは共同作業であるという点を良く認識して、十分に反省されることをおすすめします。
なんていうか、出典がなければ出典を明記しろと言う、そして、自分が扱いきれないほどの出典を出されてきたら、こんどは自分が扱える量程度に減らそうとする。なんかそういう風にしか見えないんですよ。もっと、103系の記事を伸ばそうとする意図があるのであれば自分がきっちりと資料を調べるという行動に出るなど検証・精査という本来、要出典と堂々と言えるだけの知識を身につける努力をしてください。おぉ、これを読めば知識が広がるのかと、逆に喜んでもらわなければならないと思うんだけどなぁ。せっかく私が今まで参考にした記事を紹介してるんだから。
なんか、今のあなたは、単に「僕、これ知らないから要出典貼っちゃうぞ」と言う、教えて&クレクレ君です。
それにしても
  • 加筆に使用された痕跡のないもの
の判断があなたにつくんですねぇ。神様ですかあなたは(笑)--永尾信幸 2010年2月10日 (水) 19:30 (UTC)返信
そうそう、普通、何か検証精査する場合、一つの文献に記載があるからと言って、それを鵜呑みになどしないですよね?他の文献に同様な事が書かれていないか、他の記事に関連する項目が無いか、そういう外堀を埋めるような非常に手間暇な作業を続けていくわけです。自ずと参考となる文献は増えていくわけですね。百科事典の編集なら多くの文献を当たるってのは当然の作業ですね。しかも、参考文献とは言え、見ての通り今加筆してる部分は、記事名の羅列です。おわかりですか?鉄道ファン各号などという記載のしかたではなく、タイトルからある程度の内容がわかるようになっています。本来、参考文献だけではわかりにくいと言うのは、本のタイトルだけ書かれていても、何につかったかわかりにくいという部分から、できるだけ本文とリンクさせろと言う事でしょう。しかし、まぁ、103系の記事を精力的に編集していた私に対して、編集のやる気を無くすような事をよくもぬけぬけと書けるもんだなぁと・・・・こういう人が減らないから編集合戦も減らないんでしょうねぇ。ルールを盾に取った保安官気取りなんでしょうが、ちょっとは記事を発展させるために何か調べたりしてみたらどうです?
それに、そこまで言うなら、他にも指摘できる記事は山のようにあるんだから、他の記事も指摘しまくれば?(笑)
なんかねぇ、ネットで顔が見えないからだと思うんだけどさ、ちょっとネット環境(この場合はウィキペディア環境)に慣れたからと言って、自分が偉くなったと勘違いする人がねぇ多くて。そういう人がいろいろと問題起こすわけなんだけど、言ってる事が正しかったり良く話し合えば賛同できるような事でも、感情的な行動に出る(先の出典を良く調べもしないで差し戻したり、今回のような内容をよく聞きもしないうちにテンプレートを貼ったり)と、それだけで相手に対して心証を悪くします。それだけ自分が損をしてるってのがわかってないようですが、あなたのように他人のアラを探して指摘だけしてる自治厨とは違い、記事を発展させようとしてる人の邪魔はしないで欲しいんですよね。あなたがそれだけきっちりと記事を調べる努力をしていたら別ですが、先の斎藤氏の記事すら見てないみたいですしねぇ(見てたら101系6M4Tを中央線と思ったなどと言うわけがない)要はあなたは口だけで行動を伴っていない、それなのに他人には指摘するというような行動をとってる風にしか見えないのです。(差し戻しまでの5分程度の時間で過去の出典を調べたと言い切れる怖さ!ホントは何も見てないでしょ?自分の思い込みだけで差し戻してるのバレバレやん。普通一つの記事を読み直すだけで10分15分かかるんだが・・・)
こういう自治厨も中には必要でしょうが記事破壊につながる事やその記事を発展させるために活動してるウィキペディアンのやる気をそぐ行動などは逆にウィキペディアに損失を与えてる点をきっちりと認識して行うようにしてください。
ほんと、今のままだと「こいつ、何もしないのに、何突っかかってきてるねん、発言したいんやったら、ちゃんと編集の一つでもしてからにしろ」「その記事の事をよく知らないくせに、要出典まがいの事をやって、自分の知識不足を要出典で満たそうとするなよ」「てか、あんた、何様」くらいにしか思えないです。
  • 参考文献を書くだけ書いて本文の加筆が一切行われていない状態
しかし、私がこの記事を過去に編集していたという事実すら検証せずに書き込んでるんですかねぇ。。。相手にもの申すには、相応な調査をしてからにしてくれよなぁ。相手のアラを探せるほどあなたはヒマなのでしょうが、こっちは忙しいんだから、手間取らさないでくれ。--永尾信幸 2010年2月10日 (水) 19:56 (UTC)返信
なんか、見てたら103系に関連する部分しかこの頃加筆してないようですが、何ですか?先にあなたのページに「差し戻しが性急だ」というような苦言を言った事を根に持ってるんですか?
斎藤さんの名前を間違えたからと要約欄に「失礼だ」と書いたりしたわりには、自分自身も齋藤か斎藤かの確認をしていなかったり。もし齋藤だったらあれだけ大きな口を叩いたんだから、当然それなりに謝罪とかするつもりではおるんでしょうねぇ?というか、そういう間違いというのはネットで漢字変換して使ってる状態であれば比較的多く発生するわけですよ。それに対していちいち「失礼だ」的に書く必要は無いでしょう。単に「原本には斎藤とあるので修正」とでもすれば良いんです。あの要約見て思いましたね。一言多いなって。また、その時に、こいつ私怨的に絡んでるのかぁとも思いましたけどねぇ。なんか、ストーカー的に私のやってる事を指摘しまくるって気持ち悪いんですよ。
でさ、根に持ってるなら、根に持ってるで良いんだけど、自分は何をしたのかもう一度思い出してみてよ。103系に対して知識も無いのに「これは独自研究だ」という判断を勝手にしてしまい、記事を差し戻したわけです。しかもその出典は参考文献の中にあるのにです。で、そういう話をしたら「斎藤氏が知らないはずはない」みたいな、これも独自研究なのですが、そういう点から差し戻してるような感じを受けたんですね。こっちは資料を多く見ての判断なのに、あなたは例えば「星氏だから知ってるはず」「斎藤氏だから知ってるはず」「島氏だから知ってるはず」という独自研究の上での判断であるように見えるんですよね。「その方々が知っていたのか?要出典」とでも言いたい気分ですが(笑)
自分は独自研究的な判断で行動を起こしたくせに、他人に何を偉そうにと、まぁそう思われても仕方ないよねぇ。とにかく、私怨的に絡まれると迷惑です。
いえね、今朝だったかテンプレート見て、嫌みだなぁ、ちょっと会話ページで苦言でも言おうかなと思ったけど、大人げないしイイか、と思ってたんですよ。それに、今まで103系の記事を加筆修正してる事をわかってる人なら、これらの参考文献を見て加筆修正した事はバカでもわかってもらえると思ったってのもあるし。手が空いたら、またわかりにくいのは本文とリンクするなりしていけば良いかと言うのも思っていたんですけどね。それがわかってない方一名発見って感じです。
テンプレートの嫌みだけでは満足できずに、こうやってノートにまで書いてきたので、もうこれはきつく言うしか本人わからんのだろうなと言う事で書いてますが・・・これでわかってくれたら良いんですけどねぇ。
自分自身がもっと調べる努力をすればこんな事は絶対に言わないと思うんですが、何もせずに他人のあら探しだけだとウィキペディアにとって邪魔な存在にしかならんですよ。そのご自身の持ってるルール遵守という想いの他に、それを活かした記事作りというのにもチャレンジしてみてください。調べると言う事が簡単じゃないと言う事もきっとわかると思いますが、だからこそ参考にした資料が増えると言う事もわかってもらえると思います。
こういうストーカー的自治厨じゃなく、是非とも記事を発展させるために活動する事を願っています。--永尾信幸 2010年2月10日 (水) 20:14 (UTC)返信
検証可能性的には「自主公表された情報源」として私のサイトを使えるので、そっちに書いて引用しても良いんだけどねぇ。手前味噌になるからイヤなのよ。だから、できるだけ他の方も確認できるように出典などを出したりしてるんだけど、あまりにこういうつきまといが増えるようだと、そういう自衛策も考えなきゃならんなぁ。--永尾信幸 2010年2月10日 (水) 21:16 (UTC)返信

何か勘違いされていませんか?だれも削除とはいっていないのですが、あくまでも整理です。ソートしたり欄を変えたり、それぐらいの整理しかする予定はありませんが。--Kazusan会話投稿記録 2010年2月10日 (水) 22:13 (UTC)返信

面白い事言いますね。詭弁というか。で、あなたにその整理とやらが出来るだけの103系に対しての基礎知識がおありなのか?私も「削除は困る」なんて書いてないとでも返しますよ(笑)
いえねぇ、 1月26日にも「姫路市企業局交通事業部」で、(rv. 本文の加筆に使われた形跡がない文献を除去)なんて要約入れてるのよね。そういう行動も取る方とも言えますよね?
先にあなたのノートでも書きましたが、勇み足ってのはウィキペディアでは多く見られるわけですよ。これ出典無いぞと思っていても、ちゃんと出典があったり。それは人間がやることだから仕方ない部分もあるけど、そういう状況になったら、ちゃんと自分自身反省して、その編集で被害を受けた方に対してフォローする必要があるのでは?要はちゃんと挨拶ができるかどうかという人としての基礎知識まで問われてるわけなんですよ。
そういう礼の部分が比較的ちゃんとしていれば、保安官的に加筆修正する事もイイでしょうが、そういう事もできず自分の間違いなどはごまかそうとするような方には、そういう保安官的な役割は無理です。トラブルを併発するだけじゃないかな?
この頃、本文に対しての編集をあまりされていないようですが、まずウィキペディアとは百科事典を作り上げるんだというプロジェクトである点をもう一度思い出し、加筆者の立場を思い出してみたらどうでしょうか?
その上で、ルールを適用していくのは良いと思いますが、今のあなたはちょっと法律を知ったから、それを使いたくて仕方ない勉強初心者が陥る慢心に似てるんですよ。例えばその法律でもこういう判例があるから、この場合は使えないよって場合でも「法律ではこうなってるからこうなんだ」と勇み足してしまうようなね。
だいたいさ、先にあなたのノートで「やり方」を書いたと思うんですよ。今回もそうやって整理したいのであれば、どういう整理の仕方が良いのかとか、提示するとか、そういう相談をすべきじゃないの?本文にいきなりテンプレートは貼る、ノートページに半ば強引なメッセージを残す。それが一緒に記事を作り上げていこうと考えてる人のやることには到底思えませんねぇ。
で、ソートしたり、欄を変えるって、今どこが問題なのよ。当然、問題点が出てるから、テンプレート貼り付けとかしてるんでしょ?問題も整理出来てないのに、先に貼っちゃったの?先の記事差し戻しのように「○○だと思った」というような独自研究的な自己中心的考えですよそれじゃ。今、とりあえず発表ごとの時系列にしてるんだけどね。
なにか、ルート78さんを思い出しましたよ。--永尾信幸 2010年2月10日 (水) 23:24 (UTC)返信
とりあえず、やって欲しいことだけ書いておきます。
  1. 参考文献への追加ですが、出来るだけ本文に脚注の形で組み込めるものは組み込んでください。これがテンプレを貼り付けた理由です。
  2. 資料の重要度にウェイトをつけてソートしてください。欄単位のソートなのですが、国鉄資料を上にした方が良いのでは?
  3. 文献の書き方のなのですが、フォーマットを統一した方が読みやすいのでは?追記された部分は統一されてますが、既存の部分とは違ったものになっています。
  4. 欄の構成ですが、地下鉄に関する部分だけ文献の分野ではなく、記事の内容にあわせたものになっています。分野か記事構成かどちらかに統一した方が良いのでは?個人的には記事の内容にあわせて、構造の部分の参考文献はこれ、改造の部分の参考文献はこれ、と記事内容にあわせたものの方が見やすいとは思うのですが。
あと、ぱっと見たときに何の部分に対するものかがわからないものがあります。例えば「大沢健(日本鉄道建設公団計画部調査課) 「運転曲線の作成(1) -パソコンによる-」『電車』1986年1月号、1986年、26-31頁。」なのですが、文献のタイトルだけでは103系と関係あるようには見えません。後ろの部分若しくは1段インデントをつけて、文献の内容について短く説明を入れていただきたいのですが。
とりあえずやって欲しいことはこれらです。103系に詳しい人ならどの文献がどれに対するものかすぐにわかるのでしょうが、わからない人の方が多いでしょう(少なくとも私はわかりません)。資料の内容にいくら価値があったとしても、今の状態では価値を殺しているようにしか見えないのです。
あと、ノートの履歴を見たところストーカーやら自治厨やら書かれていますが、一方的に決めつけるのはどうなんでしょうかね?当方のノートで共同作業という言葉を出されていましたが、それらの言動で共同作業を拒絶しているようにしか見えないのですが。当方にも似たようなニュアンスのことを言われていましたが、その言葉そのままお返しします(売り言葉に買い言葉になってしまうのでいいたくなかったのですが)。ノートに一言書けと言われたので一言書きましたが、この有様・・・当方はこの記事からは手を引かせてもらいます。どうぞ、自分の思うがままに加筆をしてください。--Kazusan会話投稿記録 2010年2月11日 (木) 00:42 (UTC)返信
あのね「やって欲しい事」って、やってもらう以上「お願いします」って言うんだよ。
文献の内容ね、他ので(注:xxx)という書き方をしてるのあるよね。全く配慮してないわけじゃない点はよく見ればわかると思うんだけどね。こういう部分が揚げ足取りに感じるのよ。他でやってて、これが出来ていない場合は、記載忘れとか考えられないのかなぁ?その程度だったら「これも注釈お願いします」とか簡単にノートとか会話ページに書いてくれるだけで良いのよ。やれ整理だとか言われるとね、なんじゃこいつって思うからさぁ。
  • 資料を殺してる
そりゃそうでしょう。自分がその記事に対しての編集意欲が無い方にとっては、全くわからん部分でしょうに。
で編集意欲のある方なら「え、運転曲線?」あ、そうか、性能的な面の記事に反映されてるんだな、とか考えたりもするんじゃないの?ま、その辺も踏まえて内容がわかりにくいのはまた見直して注記入れるけどさ。
ストーカー云々は、些細な名前間違いで余分な小言を書いたり、この参考文献についてもピンポイントで攻撃してるようなのを見たら誰だって感じるわな。まぁ得てしてやってる方は感じないからあなたにはわからんのだろう(笑)
この言葉で拒絶?当たり前や無いか、そんな事もわからんのかなぁ。まず自分がやった事を反省して出直してこいって感じ。
どうも、書き方見てると反省は表面上だけって感じやね。
なんか謙虚な姿勢が見えないからさ、相手はどんどん怒るよな。そりゃ当然の話ちゃうか?そんな事もわからないのかなぁ・・・加害者は痛みが無いから良いよね。あれこれ指摘されたら逆ギレですか?
共同作業って言葉を出したのは、相手を怒らせるなよって事なの?わかる?あなたの一連の流れから考えても手遅でしょう。
今回ももう少しきちんと会話が帰ってくるかなと思ったけどね。
  • 一言書けと言われたので
あら、意味わかって無かったんだ?本文に加筆する前に相談をしろと言ってんだよ。テンプレート貼るってのは既に本文で編集してるじゃないの?
  • 当方はこの記事からは手を引かせてもらいます
って、記事の編集してないジャン。もっと貢献してからにしてくれるかなぁ。元々存在してないんだからどこに行こうがどうとも思わないが、編集者の邪魔だけはしないで欲しいと思うな。
それにしても、テンプレそのまま放置なんだね。ほんま自分が悪いことをしたって認識ゼロかよ。--永尾信幸 2010年2月11日 (木) 03:30 (UTC)返信
さっき2ch見たら本人が何か書いていてちょっと笑えてしまった。完全に反省ゼロですな。もうちょっとマトモかと思ったが、あーいう風に書かれるとね。誰のせいでこうなったのかって罪の意識が無いってのがなおさら怖い。しかし、普通はこうやって他人の迷惑になってしまったらもっと恥ずかしいはずだけどなぁ。自分が間違っても大目に見てね、でも他人の間違いには厳しいよじゃぁねぇ。ま、そういう奴もウィキペディアに生息してると言う事がよくわかったかな(笑)


横レスすみませんが、自分が編集に関わったことが無い、大して知識も持ち合わせていないような記事に関し、「参考文献の書き方が気に入らん。反応が無かったら一週間で整理だ。」などというような態度で乗り込んでこないことですね(これは、どの記事でも同じでしょう)。「手を出さず(編集をせず)、口だけ出す(クレームはつける)」というのは有益な行動とは思えませんから(「お願いする」という態度ではなく、明らかに命令調でしたものね)。まあ、少なくとも編集履歴くらいは見て下さい。L25.203.l03.26 2010年2月11日 (木) 01:14 (UTC)返信
L25.203.l03.26さんご忠告ありがとうございます。最初から詳しく、丸く書いておけばよかったと後悔・・・。参考文献に関しては、103系に詳しい永尾信幸さんにお任せします。ただの書籍のリストにならぬように願うばかりです。--Kazusan会話投稿記録 2010年2月11日 (木) 01:55 (UTC)返信
私も横から失礼。
なかば編集合戦のような状況を呈していたかと思えば、referenceで関連づけることもなく、大量の参考文献の追加がなされる。端から見ていても、ちょっとおかしな状況だと思いますよ。
また、当該記事はすでに200KBに近づいています。このような状況で、再度各節にrefで組み込んでいくのは大変な作業になります。ウィキペディアは備忘録ではないのですから、記事ではなくどこかにまとめておき、順に各節にくみこんでおくのがよろしいのではないでしょうか。老婆心ながら、ご忠告まで。--ikaxer 2010年2月11日 (木) 02:00 (UTC)返信
ついでのレスですが、この大きくなった記事を「国鉄時代」と「JR発足後」の2つに分割するというのはどうですかね。現在の内容を見ますと、この分け方なら、さほど支障が無いようにも思えます。もちろん、「大きくても1つの記事が良い」という意見が多いようでしたら、わざわざ分割するつもりはありませんが…L25.203.l03.26 2010年2月11日 (木) 02:36 (UTC)返信
今回の事の発端は、kazusanさんが、ロクに加筆内容が検証可能性を満たすのかどうかの確認もせずに、わずか数分にて記事を差し戻した事にあります。そして、出典が無ければ云々というような事を言い出したわけですが、差し戻した時点で参考文献に記載のあった鉄道ファンに検証可能性を満たす文がありました。もちろんkazusanさんの疑問に思った点の全てを満足させるものではありませんでしたが、差し戻しという記事破壊という行為を行っているにも関わらず、それが検証され精査されて行われたものではなく、単に自分の感覚的に「こんなの独自研究だから差し戻しじゃ」と言うような感じで行われていたと言う事です。
ですので、こんな自治厨に対抗するには、相応な参考文献を用意しておき、差し戻すにも、まずそういう文献を調べるという動作を行わせるという防衛策をとったわけです。しかも、ウィキペディアでは参考文献や出典を明確にする事は悪いことではありませんので、加筆をすすめてると言う状態です。もちろん、参考文献欄だけでいっぱいになると言うのはありますが、逆に考えて見て下さい。この程度は見ておく必要があるとも言えるわけですよ。それだけ大きな範囲を扱ってる記事だと言う事です。単に本を1冊2冊読んで、そこに書いてあるからと乗り込まれるのが悪いと言う訳じゃないですが、例えば常に検証の繰り返しである歴史などの記事に対して、数が多くなるのはむしろ当然で、常に新しい事実や過去の常識の検証を繰り返していく作業が必要になってきますが、そうなると当然のことながら参考文献も増えるのは当然でしょう。同じ103系が出たときの記事で同じ人が書いていても、電気車の科学と鉄道ピクトリアルでは文体が違っていたりするんですよ?そう考えた時に「参考資料が重複してる」なんて口が裂けても言えません。多くの文献がある事、そしてそれがどういう書籍に記載されていたかを知れるというのは、他の編集者にとってこれほどのサポートは無いと思いますけどね。だって、私は103系に関連する記事があるかどうかわからないような昭和30年代の本を高い金を出してオークションで落としたり、記事があるかどうかもわからないのに交通科学館の図書館で闇雲に本を開いて探したりしてるんですよ。それが最初からこの本にこういう記事があるとわかるわけですからね。
今回の件で、今後もいつ発生するかもしれない自治厨の差し戻しなどの記事破壊などには、出典を明確にしておく事が有効である事がわかりました。まず、出典を調べて差し戻したのかどうかを問えるからです。今回、それをkazusanさんに問うたら明確な回答はなく、まぁ5分で差し戻しという状況から見ても、全くそういう動作を行っていなかった事も明白ではないかと思いますが、こういう結果になった場合に「おまえ、出典があるのに何してくれたんだ」と強く言えると言う事は本人の反省を促せる点でも今後も有効だと考えます。過去にも多くの方が「ロクに記事の内容を知りもしないくせに、自分が知らないからと言って要出典を貼り付ける行為」を見ていて違和感があったわけですが、こういう防衛方法があるのかと今更ながらに今回の件は良い方法だなと、まぁそう言う感じで思ってます。そもそも、自分の専門外の部分に、何を乱入してきてるんだっていつもそういう方には思ってましたから。--永尾信幸 2010年2月11日 (木) 03:05 (UTC)返信
ずいぶんとヒートアップなさっているようですが、慌てなくても記事は逃げませんので、まずは落ち着いてみてください。
永尾さんがたくさんの資料に目を通され、それを基本に書かれていることはよく存じています。ただ、ここで申し上げたいのは、どの文献がどの記述に関連しているかを明確にしていただきたいということです。
繰り返しますが、200KBにせまろうという大きな記事です。永尾さんの論調ですと、編集に加わりたければ、この文献すべてを読んでからにしろとも取れかねません。
また、あるくだりをめぐって、除去・追加の繰り返しが起きた場合でも、その部分にrefを付けておけば、簡単に除去されることもなくなります。これは永尾さんにとっても有利なことでしょう。詳しくはHelp:脚注をご覧ください。繰り返しますが、あわてなくても結構です。--ikaxer 2010年2月11日 (木) 03:40 (UTC)返信
えぇ、ヒートアップしていますね(笑)出典をリンクしたいという想いはありますが、取り急ぎ今回のように機械的に差し戻すような方が出てくるのを防ぐ目的で大量の参考文献はあげています。今回も私の書き込みからわずか6分後に差し戻しを受けていますが、私が書き込んだのを横で見ていてであればその6分の間で対象になってる記事を見たりして少しは検証もできたでしょうが、実際には6分というのは改変を見つけて、その改変をチェックして、差し戻しの編集をするとして、ほとんど発見と同時に差し戻してるわけです。本人の会話ページでも対象となっている記事を見た形跡が見受けられず、逆に「どうにも103系優位主義的な立場からの記述に見えてしまった」との記述がある事から、独自研究だと偉そうに差し戻してる本人が「彼はきっと103系を擁護して書き込んでるんだ」「間違いに違いない」「斎藤さんが書いてるんだから斎藤さんの書いてる事が正しいはずだ」という独自研究で行動を起こしてるんですよ。
ですので、自治厨と化した場合、こういう怖さがある点をまざまざと見せられた感じがするわけです。
今回、少し大げさに書いていますが、対象は「差し戻し」や「大幅改編」などの編集をする方が対象で、そこまでするなら比較的多くの文献には目を通してるよね。と言いたいわけです。
で、多くの方が完璧に記事を構築できてるわけじゃなく、間違いもあれば勘違いもありますから、そういう場合で自分が知識的に完全じゃなければ、まずノートとか会話ページを活用する「相談」から入って欲しいわけなんですよね。言われて気がつくこともありますし、意味のはき違えがそこで発覚する場合もありましょう。
ま、そういう「ちゃんと考えずに、自分の知識不足を他の人に求め、強硬手段を執る」方に対しての防衛策ですので、普通に編集される方は特にどうこうとは思ってません。
注釈については、本文で表現できている所には出来る限りリンクする予定にしていますが、参考文献の内容を検証するための参考文献もあるので、全部と言うわけにはいかないです。また、kazusanさんが書かれてる重要度とか例えば関連する部分をまとめるなども必要ではないかと思ってます。ただ、今は時系列にしておかないと作業上困りますのでそのままにしてますが・・・一応、L25.203.l03.26さんが提案した分割も視野にいれても良いかなと思ってます。どうせ、refをつけるにしても、ボリュームが増えるのは間違い無いですから。--永尾信幸 2010年2月11日 (木) 06:01 (UTC)返信
国鉄とJRとで分割するのではなく、参考文献のみ何らかの形で分割することはできないでしょうか。国鉄であれJRであれ同じ103系なのですから、保有する組織の改組で記事が分かれるというのは非常に見づらいような気もします。--都市高502 2010年2月11日 (木) 09:33 (UTC)返信

(左に戻します)「国鉄とJR」ですが、「組織の違い」ではなく、「時系列の分割点」と考えていただきたいと思います。また、現在の記事は、塗色関係を除きますと、前半の「国鉄時代の改造」までが「国鉄時代」、後半の「JR分社後の状況と各社ごとの改造」以降が「JR化後」と分けられるような状況になっています。塗色部分も項目で「国鉄」と「JR」に分かれています。ですので、「前半 + 国鉄時代の塗色 = 国鉄時代」、「後半 + JR化後に登場した塗色やラッピング = JR化後」と、内容を改変したり、流れを大きく損なうことなく分割が可能ではないかと考えました。分量的にもバランスは悪くないようです(これからの加筆で多少変わる可能性もありますが)。

以前の「1200番台だけ301系の記事に書かれていた」というのは不便がありましたが、今回の提案は、解りやすく申しまして「JR化時を境に前半・後半への分割」という提案と考えていただければ幸いです。L25.203.l03.26 2010年2月11日 (木) 11:14 (UTC)返信

外部リンクについて

「個人サイト」という理由で全て削除されてしまいましたが、Wikipedia:外部リンクの選び方(ガイドライン)には、個人サイトを理由にした不掲載のような記述は見当たりません。個別に吟味する必要があると思います。また、上記ガイドラインには「記事の執筆に関わった人間のサイトは記載すべきでない」とありますが、参考文献の執筆者のサイトであれば、記事にとって有益と思われ、記載に問題は無いと考えております。これらに関して御意見がありましたら、御発言をお願いいたします。L25.203.l03.26 2010年3月17日 (水) 02:35 (UTC)返信

本人に意図を確認しなければ、どういう意味があっての行動か判断しかねるのですが、たぶん「自分としてこの編集が良いと思った」的に機械的に処理されたんじゃないかなと思います。L25.203.l03.26さん等は、何か行動を起こす前には確認のためにきちんとノートページを活用しているのを良く見かけるのですが、ウィキペディアにはそうでない方が多数おられます。要は自分の知識レベルでのみで判断されるという方で、あたかもウィキペディアが個人サイトが如く、編集者の主観にて書き換えが発生する要因を作っています。
常識的に考えて参考文献欄のトップに記されてる書籍の執筆者のサイトを削除するという行動自体が不可解です。もちろん本人には本人なりの言い分(これが、こうだからこっちのほうが良いに決まってる。○○の記事もそうやってきた)みたいなのもあるのでしょうが、閲覧者の事を考えた時にこの記事を見て、更に深く知識を得たいと思った時に外部リンクを活用できるように仕向けるのが編集者として大事ではないかと思うんですよね。
ですから、例えば外部リンクのウェブページを精査して「この外部リンクは閲覧者が見て、記事の補完になると思えない」というような理由であれば削除提案とかもアリじゃないかと思うんですが、いきなりばっさりと何の説明も無く削除ってのはびっくりです。上のkazusanさんの加筆内に示した出典を調べずに差し戻したのもびっくりしましたが、ウィキペディアでは特に少し慣れてきてルールに精通すると自分がエライと勘違いする輩が多いようです。実社会では個々が顔を合わせるので少し天狗になってもすぐに鼻をへし折られるのですが(笑)
こういう方々は「記事が良くなること」よりも「自分が思ったウィキペディア像に近づける」事が大事だと思ってるんでしょうから、ある意味読者無視とも言えましょう。
いずれにしても、ガイドラインに抵触してるとも思えませんし、削除前された多くのサイトは記事の補完になっていた事実を考えると、元の形に差し戻しても良いと考えます。
  • 記事の執筆に関わった人間のサイトは記載すべきでない
の部分は中立的な観点を維持するためのものだと説明がありますがウィキペディアの利用者名やIPだけで外部リンクの作成者と同一人物であることをどうやって確認するのか?を考えると、かなり不思議なルールです。私のように本名を利用者名にしているのであればわかりやすいですけどね。でも、私がCLUB103の作成者である永尾信幸とは別人だと主張した場合に調べる術は誰も持たないわけで(笑)
この文言は、ある深く研究してるグループが複数有り、その片一方のグループが自己の主張を広めたいが為の宣伝活動としてウィキペディアの外部リンクを使う事を嫌った部分じゃないかと思います。もともと個人リンクの内容を参照にして記事は書けない(私のサイトのように自己公表された情報源として認められている場合は別でしょうけど)訳ですから、外部リンクに恣意的な文言があっても記事としては困らないんですよね。
ですから、あるとすれば、自己公表された情報源として認められるサイトを持つ複数のグループによる意見争いを防止するという、ある意味高度な編集合戦の防止のためではないかと感じます。 
まぁ、よっぽど意図的に事実をねじ曲げるような内容が書かれていない限りは問題無いでしょう。
このルール自体「要出典」と同じで記事内容に精通した方でないと判断できない部分ですから安易に使われる事は普通はあり得ませんが、ウィキペディアには「ルールに書いてあるから適用した」と機械的に行う方々も多いためトラブルが多発するんでしょうねぇ。要は「このウェブサイトは意図的に読者に対して不利益になる情報が書かれている」(誤りが多い)なんてのは、記事内容に精通してないと判断つきませんから。
ウィキペディアのガイドラインを適用するには、その書かれてる言葉だけでなく、そのガイドラインを適用できる場合かどうかを判断する記事内容に対する知識が必要ですが、先の「少し慣れてきたら」じゃないですが、たぶん楽しいんでしょうね、人の指摘をしたりするのが(笑)そういう人が居なくならない限りは、今回のような事も何度も何度も発生する、つまりいたちごっこに貴重な時間が費やされるって事になってくるんだと思います。--永尾信幸 2010年3月20日 (土) 02:56 (UTC)返信
問題の提起があってから約一ヶ月経ちましたが、他の方の意見も無く、また当該編集をされた方はこの間もウィキペディアにログインして編集してる事から「当事者がノートを見れていないという可能性も低い」点と照らし合わせ、上記内容について執行したいと思います。ウィキペディアのルールは杓子定規に考えずに様々な影響も考えて適用すべきではないかと思っています。まず編集者の自己満足ではなく閲覧者を意識して考える必要があるのではないかと言う点が上げられましょう。ルールを公然と無視しろと言う事ではなく、編集者のウィキペディア像を押しつけるのではなく、閲覧者の利になる部分は例えば結論を先送りするなどの対応もまた必要ではないかとも感じます。
今回の件は、削除理由が直接的にルールに記載されてるわけではないので元に戻すとは言え、「個人サイトなので」と言う部分は「じゃぁ俺のサイトも」「私のサイトも」とリンク増殖を招く恐れがある問題は残されています。
しかし、数多くのサイトは閲覧に当たってトップページやいくつかのページが出来ていても、その他のページに工事中が多かったり、単一ページがいくつかあるだけだったりと、きっちりと精査すれば利用者の役に立つと言えないと言う判断がつけれます。今後もリンクとして掲載するサイトについて個々に精査していけば良いのでは無いかと思いますね。
で、利用者に有益かどうかは、その記事について少し深い知識が必要になろうかと思います。ですので、やはり基本的には当該記事についての編集履歴の多い方などの意見を中心に考えなきゃならんだろうと思います。今まで編集もしたこともない(つまり103系という記事に興味の無かった)ような方が百科事典という大きなプロジェクトにひょっこり出てきて指摘をするという事自体が一般常識では考えられない事ですので、仮にそういう状況で疑問点があればノートなどでの議論が先に必要であろうし、仮にそう思われたくないのであれば当該プロジェクト(該当する記事編集)に積極的に参加して、その記事における知識を実証してもらいたいと言うのはありますね。いずれにしてもウィキペディアというプロジェクトが世間に与える影響の大きさを考えるとノートを活用したいですね。--永尾信幸 2010年4月16日 (金) 15:41 (UTC)返信

「2.1.3.1 電動機に関する101系との比較」部分の削除に関して

斎藤氏の記述は他の文献との整合性がとれていない部分が大きいと考えられます。特に現状の引用部分が6M4Tだと103系より101系で十分であったと言うように103系の設計思想自体を配慮しておらず、また「出力的に十分」と称される斎藤氏の意見は、101系が今後の標準通勤電車として使えない理由となった主電動機の熱容量問題を全く考慮していません。
つまり、誤った認識を閲覧者に与えかねない記述であると考えます。
斎藤氏の意見が誤解を多く含む点は既に出典付きで提示していますが、運転理論的な部分を理解出来ていない方にはわかりにくいかも知れませんが、多くの専門家が101系は使えないと結論付けてる事実を考えれば、斎藤氏の意見がふさわしくない部分も見えてこようかと思います。
歴史的に見て6M2Tで制約があった山手線の101系が更にT車を2両つなげて運転出来ると考えてる時点で何か誤解されてるようです。京浜東北や中央・総武で6M4Tで走っていたからと言って、それをそのまま山手線に当てはめて良いかどうかは少し速度などの査定をしていればわかろうはずかと思うのですが、これについてはインタビュー記録(たぶんレコーダーを用いてると思いますが)を文字起こしする際に斎藤氏の意図と違う意味で文面にした可能性もありえましょう。
この部分については、明らかにおかしい記述と考えられますので、おかしい理由を今は書いて斎藤氏の意見を閲覧者に否定させる形を取っていますが、削除してしまえばそういうまどろっこしいこともする必要はありません。そんなことから、この部分の誤解を招くであろう部分を削除したいと考えますのでご意見をお願いします。--永尾信幸 2010年4月16日 (金) 19:33 (UTC)返信
(コメント)当該部分を加筆した者として、一応見解を示しておきます。自説との論理的整合性が確保できないからと言って、「かつてそういう見解が公の場で示された/公刊雑誌に掲載された」という事実そのものの記述を抹殺するような方針は小生個人としては正直感心しません。
Wikipedia:記事を執筆するにもありますが、
記事には個人的な意見を書くのではなく、出典から得られた事実を中立的な観点から書いてください。特定の意見をさも一般的であるかのように書かないでください。題材について論争がある記事では、対立するそれぞれの主張を取り入れてください。 これは、中間になりそうな論を採用することではありません。誰がどんな主張をしていて、誰がそれに反論しているのかなど、論争そのものを正確に描写してください。
というWikipediaの基本的な方針からすると、そういう「誤解」がこのような形で一般に出回る状況であったことと、それを十分納税者であり利用者でもある国民に周知理解させる努力を国鉄当局が皆目行っていなかったことは、一つの歴史的事実として記載されるべきでしょう。そもそも、国鉄が投入開始の時点でその導入の背景について公に周知する努力をしていれば、103系についてここまで様々な批判が浴びせられることもなかったと思います。失礼を承知であえて申し上げますと、現状の本記事については(そうなったことについては過去の小生の加筆にも幾分かの責任があるのですが)、客観的な事実の枠を大きく踏み外し、ある一つの結論に読者を誘導することだけを目的として構成されようとしている、と小生には見えます。永尾氏におかれましては、103系に対する偏愛が過ぎる余りネガティブな意見を排除することに執心しすぎて視野狭窄に陥ってはおられませんでしょうか?
このあたりの記述を削除されるならば、いっそもっとばっさりと性能云々に関して記述している部分を切り飛ばして、単純に電動機定格出力などの「動かせない」数字だけの記述にとどめた方がよろしいのではないか、とも小生は考えます。--HATARA KEI 2010年4月16日 (金) 22:30 (UTC)返信
ご意見ありがとうございます。自説との論理的整合性ではなく、当時の文献による記述との整合性です。例えばここに10の文献があったとしましょう。うち9つが右という表現をし、残り1つが左という表現をしていた場合、どちらを選択するかという意味で整合性と称しています。今回の斎藤氏の意見、特に6M4Tであれば101系でも良かったという部分は鉄道ファンの当該記事を再度見直していただければおわかりかと思いますが、直近に山手線の話題が出た後の話です。つまり101系6M4Tを山手線で使う場合にどうであるかと言う話で語られています。101系の熱容量問題については既に1959年に問題点として出されておりますが(当時の電車誌やJREA誌に多く記載があります)当時101系が走っていたのは中央線快速でした。限流値設定は当初計画の応荷重装置使用で480Aリミットにするという部分が応荷重装置未使用で8M2Tで350A・6M4Tで380Aと抑えられていましたが、これは変電所絡みのピーク電流制限があった点の他、主電動機の熱容量がフル性能運転するには足らない点とも関連します。中央線での熱容量不足は限流値を落として走っていたから問題として出なかっただけでしょう。
もちろん、左と称した1つをないがしろにせずに、そこを検証し直すという道を否定するというものではありません。例えば常磐線の新性能化として1970年夏と称された本は1971年4月と称した本より多いのが現状(史実は1971年4月)ですが、趣味誌の特徴として、過去の趣味誌の記述を引用して書き直すケースが多い事から、ある書籍で○○と一度間違って書かれた物が広まるという部分もあります。ですので、その1を切り捨てるのではなく、1について調べるという道もまた百科事典の編集においては必要な部分であるとは考えています。
今回の事例についてですが、103系の設計思想を考えた上で、流れとはちょっと違う意見を書かれています。上の例では左という表現をしてるわけです。ですから、その1についての深い検証を行った後であれば左と言う表現を表沙汰にしても良いかも知れませんが、現状では例えば消費電力量の問題にしてもそうですし熱容量的に不可であるという1961年の判断もそうですし、それらの大きな流れから逸脱してるんですよね。このあたりで、整合性の取れるような状態であれば(仮に消費電力量は101系の方が少なくて済んだとか、熱容量的には本当は6M4Tでも大丈夫だったとか)この左と言う記述を出してきたも良いでしょうし、百科事典である以上はやはりそこまで深く調べていかねればならないと感じます。
MT46Aは絶縁が低い上に、定格速度が高く設定されています。70%界磁に置かなければならなかった理由を自然通風では全界磁だと若干風量が足らなかった(電車1989年9月号P.26))からとしており、MT46では全界磁定格で52km/hであったのがMT46Aでは全界磁だと45.5km/hにしかならず、この速度だと風量的に少なくて熱的に苦しい、だから70%界磁に定格を置いたと言うわけで、それだけ熱問題には苦労していると言う事がMT46Aが出た当時から考えられてると言うわけで、これらの状況を知っていれば、T車を増やしていく事や、定格速度以下の平均速度で走る事がどれだけ危険かと言う事は早期に問題点として出されてのは当然のことでしょう。
そららの問題点があったから、結果的に101系は量産を開始して2年を待たずした1959年末には新しい通勤電車を設計する方向で歴史は動いているんですが、特に1959年から実用化されているRMS電流計算によって致命傷を与えられたとも言えるんじゃないでしょうか?この頃はまだRMS電流をもとに運転速度査定は行われてなかったと思いますが、これらの考えは1965年には既に活用している記述(電車1965年6月号P.14)も見られます。そうそう、そこで中央線101系6M4T300%乗車時の三鷹-立川のRMS電流計算が出ていますが260Aとのこと。MT46Aの連続定格は255Aで、後の運転可能な基準となる一時間定格電流の80%だと240Aとなり、中央線101系が300%乗車時であれば既に限界を超している事がわかります。
中央線の限流値が6M4Tにした際に380Aに引き上げられましたが本来は425Aにしたかったそうで380Aは暫定だったのですが、380AでもRMS電流が制限を超える状況ではこれ以上の限流値アップも出来なかったと言う点もこれらからはっきりとわかります。この辺は全く史実通りですね。
手元には1972年のものしかありませんが、速度査定基準規程と言う国鉄の規程の中に、列車が運転出来る条件として主電動機の熱を考慮して、RMS電流が一時間定格電流の80%を超えないようにと明文化されています。こう考えると駅間が長く風量を確保しやすい中央線ですら限界を超えていたのに駅間が短く風量の確保は出来ない、惰行時間が短い山手線で運転したらどうなるかなんてのは、専門家でなくてもわかろうものです。
これらの根拠は、斎藤氏が左と言っても、右とする記述の信憑性が高い事を示していると言えるわけで、そういう検証を経て左と称した斎藤氏の記述は整合性がとれないと結論付けて今回の提案に至ったわけです。
  • このあたりの記述を削除されるならば、いっそもっとばっさりと性能云々に関して記述している部分を切り飛ばして
これはどうなのでしょう?例えば検証した結果としてふさわしくないという意味であれば検討に値するかと思うのですが「斎藤氏の記述を外すなら他も同様に削除すべき」ってのは受け入れがたいですね。
101系の熱容量問題については、103系開発の非常に大きな部分であったわけですから、その部分を端折ってしまうと大きな幹の部分を切り取ってしまう結果になろうかと思います。この部分の理解が薄いから103系は山手線専用であるなどという愚説が広まってしまった訳ですから。
  • 国鉄が投入開始の時点でその導入の背景について公に周知する努力をしていれば、103系についてここまで様々な批判が浴びせられることもなかった
批判は鉄道ファンが行ってる部分が大きいでしょう。それに合致するような記事を見つけては「ほらみろ」的に出してきていたのが今までの鉄道ファンの103系像に見えます。本質を理解しようとせずに、何かアラを探してそれを出す事を多くの鉄道ファンが行っていたように思いますね。
そもそも国鉄が周知する努力っていうのがよくわかりませんが、仮に宣伝をしなきゃならないとして、101系で大々的に宣伝した後に「101系は失敗だったから新しいのを作り直した」なんて国鉄関係者が公の場で言えますか?今でも趣味誌などでの記述でも気を遣ってる部分は感じますけど。101系の失敗というのは状況に合致しないものを作ったってだけで、システムそのものの話ではないですが。
それに納税者論がここで出てくる事は少しおかしいように思えますね。だって問題にしているのは一部の事情を知らない(調べない)鉄道ファンの方々(しかも感化されやすい学生が批判してるケースが多く、親と同居であれば納税するどころか、扶養控除で親の納税額が減るような方々です。そういう人達に納得してもらうために国鉄自身がプレゼンを行うってのも変な話じゃないかと)であって、多くの納税者は別に103系でも201系でも違いはわかりません。形や色が違うから違うのかって思う程度です。そんなことよりクーラーが付いていたら嬉しいとか、そういう感覚だと思うけどね。○○系の説明をされても一般の人は別に興味は無いでしょう。103系批判の多くは鉄道ファンから出ていて、鉄道関係者(当時の工作局や車両設計事務所など)からはそんな意見は出てないんですけど、ではそれらの方々の意見を鉄道ファンが折り曲げたって事でしょうかねぇ。
良く駅間距離が長い区間がどうこう、平均速度がどうこうとも言われたりしますが、当時のダイヤを見て貨物列車と線路を共通にしてる線区も多いんですよね。貨物列車って当時65km/h運転のものもあったわけで、線区最高速度が100km/hなんて路線自体探すのが難しい時期ですからね。103系を延々と作り続けなきゃならなかったという問題点はあったかと思いますが実質的な性能向上車である301系(アルミ車体で編成重量を軽くできた関係で高速性能等の改善が見込める)がコスト面で量産出来なかった点を考えると、電力消費量との兼ね合いもありMT54の歯車比1:5.6車なんかも作れなかったですから、選択肢はすごく狭いんですよね。その中で活路を見いだしていたのは回生ブレーキでしょうが、それも複巻が使えない(複巻に適しているMGをわざわざ直巻モーターに変えるほどですからよっぽど複巻を敬遠していたのでしょう。国鉄は民鉄と違って日本全国様々な条件下の架線の下を走りますから民鉄での保守と国鉄での保守を一緒に考えてはいけない点がある)以上、直巻での回生には少し時間がかかったわけですが、それでも電機子チョッパの現車試験は1960年代後半に行っていますし、いろいろがんばっていたとは思いますが、様々な条件が絡み合わさった結果として、103系が延々と作られちゃったんでしょうねぇ。もっとも省エネという観点では経済運転というジャンルから103系を見れば非常に優秀な車両なんですよ。ほらまた来たとおっしゃるかも知れませんが、これはランニングコストに関わる大事な部分です。103系は回生ブレーキが無かっただけで、力行のみの比較であれば回生ブレーキ付き(要は定格速度を高め出力を大きくした形式)電機子チョッパ制御とも引けを取らないです。これは交通技術のどこかに書いてありましたがちょっと号数は失念しました。
延々と作ったので、性能ヲタ系にはやはりジレンマ的に感じる部分が強かったんでしょう。特に学者さんとかは最新の技術を語っていくのが好きですから余計にそうなってくるんだと思いますが、その学者さんがすすめるMT54の通勤電車ってのが常磐快速や東海道緩行では使えても他の路線で使えない電車だって事は隠してるわけで(笑)ねぇ。そういう形式を本人が国鉄に提案したが受け入れられずと言う記述(鉄道ピクとリアル1987年11月号P.23)もあるので、余計に103系に対して嫌悪感を持つようになったのかも知れません。
だいたいスーパーひたちが103系の邪魔だからスピードアップできないなんて口があんぐりですが(笑)、それでもそれが文献に記事になっていたら信じる人も多いでしょう。現在E531系だのE231系だのが走ってますが、スーパーひたちが劇的にスピードアップされましたか?103系がいた頃の上野-取手間の最速は24分でしたが、現在のダイヤの最速は23分30秒、それも数多くのスーパーひたちの中で1本だけ、他は24分以上かかっています。103系時代と変わってないじゃん(笑)
ただし、条件を与えれば103系は邪魔になっていたと思います。スーパーひたちを20分時隔で運転する、快速を1時間に8本運転するなどです。列車運転速度は、緩急列車の最高速度、閉塞長さ、待避駅など様々な条件を元に算出されますから、待避しきれない状態まで列車を詰め込まれると(阪和線などが良い例です)緩行列車の性能が大きく関わるでしょうが、常磐線のように毎時2本の特急に待避駅が実質4駅ある状態では緩行列車の性能とはそう関わりはありません。それを大々的に103系のせいで遅いんだと書かれたら、それに対して逆説的というか否定的に書く必要性もあるでしょう。(もちろん根拠を示してですよ。斎藤氏の記事のように闇雲にであれば逆効果だと思う)
民鉄の高性能車に匹敵するような、高性能車だなんて思ってませんが、なぜこの性能になったのか(101系との関係と当時のインフラ事情)、そしてその性能で生き残れたのはなぜか(経済運転的な論点や財政悪化の面)についてはきちっとした記述が欲しいなと思います。
ただ、本当の高性能って何かと言えば、ある特定の条件ですごい性能を出せる事じゃないんですよ。それはスペックを追う方々にとっては必要な点でしょうが、実際に管理をしてる方からすると、例えば故障が少ないとか、例えば転配も特別な配慮をする必要が無いとか、余計な事を考えなくても良いようなものも高性能と言われるんです。その感覚の違いもあるかも知れませんね。
  • 「かつてそういう見解が公の場で示された/公刊雑誌に掲載された」という事実そのものの記述
これを抹殺することが是であるとは考えていませんが、要は取捨選択の部分です。あからさまにおかしい記述を「○○に載っていた」と言って転記すべきではないでしょう。今回の斎藤氏の記事はそういう危険性が潜んでいると言う事です。
また、当初加筆された部分である「10両ならば103系は不要で101系でいいわけです」にしても、その部分だけを転記しても誤解を招くのではと言うのは、上で少し説明した6M4Tでの消費電力量や熱容量問題を考えると101系の何で良いのか?がわからないんですよね。
では仮に101系で6M4Tをくんだとしましょう。冷房装置を載せれますか?スピードアップが出来ますか?熱容量的にあっぷあっぷの状態で何ができようかと思いますし、このことについては電車1962年7月号においてMT55のRMS電流を計算すると78%と余裕がある事から(MT54の1:56車は93%)将来のスピードアップにも対応出来ると書かれているのですが、これらの熱的余裕が冷房装置を載せる事も可能になっているわけです。
ですので、引用自体を否定するわけでは無いですが、その引用の内容を十分精査する必要はあるのではないか、その問題点が出たのが今回では無いかと考えます。
最後に、先日のkazusanさんも書かれていましたが、私が103系に入れ込んでいるからという部分に何か意識しすぎてませんでしょうか?要は「あぁ、永尾は103ヲタだから103を擁護する風に書き込んでいるに違いない」という思い込みをお二方には感じます。まず私が書いたような内容が事実なのかどうかをしっかりと検証していただき、その上で「あなたの言われた部分を見直してみたが、それはちょっと103系有利に導き過ぎじゃないか」などの意見であればとも思うのですが、お二方の意見を見ていると、最初から何か決めつけてるような感じを受けます。このあたりは逆に盲目になられてるのかなぁと少し危険な感じを受けます。--永尾信幸 2010年4月17日 (土) 03:55 (UTC)返信
うーん、[4]こういう記述を見てしまうと、前回の時のkazusanさんが2ちゃんねるで陰口を言っていた時のような感じを受けてしまいますねぇ。上でも書いたように「そういう思い込み」をまず切り替えてみる必要があろうかと思います。「誘導している」と考えている事から、103系の記事で私が書いている内容は、どうもHATARA KEIさんの思っている103系像とは違うようですね。自分の考えが正しいと思い込んでしまってるんでしょうが、ウィキペディアで数多くの編集をこなしていると、自分が一番物知りだと考え違いをしてしまう事もあります。もちろん、多くの編集をこなすと言う事は、それだけ造詣が深い事なのでしょうが、だからと言って自分の思い込みの部分を基本にして、自分の解釈通りでは無い部分を見て誘導していると言うのは言い過ぎでは無いかと思いますね。
少なくとも参考文献というより参考にした記事などの出典類は提示しているわけですから、そういう資料に目を通してから頭の中をフラットにして考え直してみてもらえればと思います。
私が103系の記事で書いている事は、あまりメジャーではないので当時の文献を見ないと出てこないような事が多いのですが、だいたい開発から半世紀も経った今、当時を振り返って見る記事と、その車両を設計している最中の記事とを見比べればどちらが真実に迫った書き方になるか、多くの資料を見聞きしているのであればどちらが有利で信憑性が高いかは明かじゃないかとは思います。もちろん、当時はタブーだったけど、今だから言うけどねみたいなのも中にはありましょうが、101系から103系への流れなんてのは、当時の通勤輸送にかかわる問題としてかなり多くの箇所で語られています。今の記事を見るのも良いでしょうが、当時の記事をまとめてみると言うのも面白いものですよ。
逆に多くの方がそういう資料を見比べ、その中で「この意味は」「これとの関連性は」というような有意義な形を期待しているのですが、この文献のこの記事を参考にしたと言っても、なかなかその記事を見て話をしてくれない。そういうのを見るのには苦労もするでしょうが、ここウィキペディアが百科事典の編集をしている場所だと言う事を念頭に置くならば、その中の文言についての議論を行う以上は極力行わなければならない行動ではないかとは思ってます。
見れないなら見れないで良いのですが、一番困るのが見ていないからその内容がわからず、結果的に全否定をしようとする姿勢です。こういう資料があるからと示している意味がないばかりか、じゃぁ結局「自分の知ってる範囲以外の事は受け入れられないのか?」とも思ってしまいます。
今回の提案に対して具体例を示さずに書き込まれていた点から、HATARA KEIさんは当時の記述を多く読まれていないように推察します。
同じ資料を見ても人によって受け止め方は様々でしょうから、そこでまた新しい記述方法というのも見えてくるかも知れません。そこには、この資料のこの意味は、こちらの資料のこの部分と相関関係にあるのではないか等、少し突っ込んだ会話も必要かも知れませんし、この部分はこの図表を見ることで証明できるなど多くの目で見ることで、多くの礎が出来ると思ってます。もちろん、これらをなぜするのかと言うと、間違った記述をスムーズに排除するためのものです。あまり関連が無い資料を引き合いに出してきて加筆すると独自研究になりますが、そういう資料の積み重ねで得た部分は間違った記述を排除する部分では非常に有効なんですよ。
ですので、思い込みだけで「間違いだ」とか言うのではなく、そこにいたる十分な根拠の裏付けを持って対応して頂きたいと切に願うところです。これは当然私自身もそういう風にしていかねばならないと思ってますが、思い違いの部分などが建設的に議論できればそれで良いのでは無いかと感じています。--永尾信幸 2010年4月17日 (土) 16:17 (UTC)返信
なんだか、HATARA KEIさんの利用者ページを見てから幻滅だなぁ。そういえば過去ログを見てたら、昔こんな編集してるのよね。
  • 「私鉄各社へのMT比1:1の普及はことさら103系の影響という訳ではありませんし、同時代の大手私鉄各社の通勤車群と比較した場合に103系の性能が低いのは厳然たる事実です。嘘は書かないように。また、72系などの旧型国電と103系を比較した場合、京阪神緩行線のように大出力なMT30・40搭載の旧型車の方が有利なケースもあったので、一律に「はるかに高性能」とするのも妥当ではありません。」[5]
なんてコメントを本文中に入れた事があるんですよね。京阪神緩行での旧形電車の最高速度と103系の最高速度、どちらが上かと言う点などに言及せず、また1972年3月改正で新快速が15分間隔で運転されるようになると旧形国電だと新快速から逃げ切れないから日中は103系に統一されている(それでも串刺しダイヤになってるのは有名ですが)点などもあるんですけどね。MT30や40の出力が大きいとは言え、弱め界磁を60%までしか使っていない場合、高速域での引張力は103系に分がある、更に車重を加味すれば加速力は103系の方が上になるんじゃないの?そういう点があったからこそ、旧形国電じゃなく103系が日中走っていたわけだからねぇ。更に電気ブレーキも使えないし。もちろんもともとそんな高速でブレーキを掛ける事は想定してなかったから、初期トラブルはあったけどね、その後明石電車区の方で対策を講じて、好成績をおさめて乗務員からも大変喜ばれているという記述(電車1973年7月号P.6-P.11)もあったなぁ。こういうのを見ると「誘導してる」のは一体どちらなんだろうって思いますが(笑)
これなんかも面白いよ
  • 「特に、所轄局である大阪鉄道管理局が、性能的に明らかに不適合であるとして反対していたにもかかわらず、本社が導入を強行した京阪神緩行線では、運行開始直後から担当乗務員より、本系列の走行性能について「こんな走らない電車を投入して定時運転に努めろというのか」といった非常に厳しい意見や苦情が続出したといい、乗客からもその乗り心地について少なからぬ苦情が寄せられたという。にもかかわらず、国鉄本社は量産効果と仕様統一を優先して、それらの苦情は全く無視したまま各線区への大量投入を続け、本系列は長期にわたり快速電車などとしても使用されることとなった。」[6]
って、検証可能性を満たさない創作を書き綴ってるじゃないの?すごい103系に対しての悪意を感じる編集ですよねぇ。あ、この件は上で出典として出した電車誌の内容とも相違していますねぇ。
なんか、そういう編集をしてきた人だって観点から、今回の斎藤氏の加筆部分を見ると「103系悪者ありき」から書いたようにも見えますねぇ。自分の考え通りに記事をもっていこうとしてるのはHATARA KEIさんの方に見えるんですが(笑)
こっちは過去の資料を丹念に調べて検証していってるのに、自分の想いと違うし内容が気に入らない、だからちょっと困らせてやれ、というような気持ちで加筆されても困るなぁ。自己満足は自分のブログやホームページでやってもらえればなぁと感じます。--永尾信幸 2010年4月17日 (土) 18:57 (UTC)返信


この記述は必要だと考えます。山手線が10両編成化されると変電所負担が増えることは、MT比だけで考えれば斎藤氏だけでなく誰でも思うことだと思います。まず、誰でも思いそうなことを冒頭に書いておき、「しかしその考えは間違っている」ということを解説する現在の構成には何も違和感を感じません。

ただ長い文章が読めない人などには、冒頭の斎藤氏の意見だけ読んで「やっぱり10両なら103系は不要なんだ」という誤解を与えてしまいかねません。ですから、「なお、変電所負担が過大になる点であるが~斎藤の意見が正確ではないことを示している。」の部分は、斎藤氏の意見の近くに持ってくることを提案します。--都市高502 2010年4月17日 (土) 06:11 (UTC)返信

ご意見ありがとうございます。そうですね、記事を削除してしまうのではなく、現状の記事から発展させる方法も考える必要があるかもしれませんね。HATARA KEIさんも書かれていますが「誰がどんな主張をしていて、誰がそれに反論しているのかなど、論争そのものを正確に描写してください」の部分として残しても良いかもしれません。せっかくタイトルとして101系主電動機との比較としているのですから、MT46→MT46A→MT55に達した部分を示す事、MT46Aの熱容量が不足している点を指摘すること、それらの史実にのっとった記述を行った後に斎藤氏の意見を書いておくというのも一つの方法かも知れません。そうすれば斎藤氏の意見が「なんで?」と読み手は感じるでしょうから。
あと、これは私にも責任がありますが、103系はMT比1:1に特化した形式では無いのですが、ついつい説明時に101系6M2Tを置きかえるために4M4Tにした事から引用するケースが多く、103系がMT比1:1で無ければ不経済と思われている節もありますので、その部分について何らかの記述が必要だとは思うのですが、これは知ってもらうにはノッチ曲線や運転曲線を見ろと言うような事になり一般的ではありません。そのあたりが見れればすごく簡単に理解できる部分ではあるのですが、端的な記述があればそういう点も注釈として与えておきたいと思います。
電力問題も一言で○○と称する事ができるほど簡単でも無いような感じです。つまり運転性能なんて何でもそうですが、どういう条件で運転するかによって結果は全く変わってくるわけです。片やフル性能を出せる設備を前提に話しており、片や現状の施設での上限を前提に話すとなると、同じ事を語っているつもりでも差が出たりするわけです。この部分は慎重に考えていかねばならないと思います。斎藤氏の101系で十分ですという表現も、山手線ではなく他の駅間が長い路線を想定したのであれば一理あるかも知れません。101系は103系より高速運転は苦手なので駅間が長く最高速度が比較的低い路線であれば十分だとは思いますが、こう言う条件であれば斎藤氏の記述でも通じる事になります。それ以外に「わざわざ性能の高い(101系に対しての相対評価ですんで突っ込みはなしで・・)103系を入れなくても101系程度の性能で十分だ」と言う意味で語ったとすれば整合性を持たせる事もできます。しかし、現状の記述では6M4Tだとどんな路線でも101系の方が有利であるとの誤解を招きかねないと考えます。そもそも変電所負担が過大になることが問題となっているというのは良く知らないのですが、逆に考えたらそれって都市高502さんが書いたように当然の事象ですよね。M車が増えるわけですから。だから101系で良かったと文が続いているのが違和感がある理由かも知れません。そのあたりが改善できれば、確かに記事を削除する必要も無いかもしれません。
電力消費量は実際には運転曲線を元に計算されますが、何キロまで力行してその間に何秒かかったかと言うのを、その速度速度ごとに電動機に流れる電流値から求めていきますから、モーターに流す電流が大きいと消費電力量も増えます。103系は101系に比べて弱め界磁最終速度が若干低く、101系より加速が良い事と相まって、早い段階(時間)で電流が落ち始めます。このあたりは技術的な内容ですので前面に出すつもりは無いのですが、出力の大小が単純に消費電力量の大小にはつながらない事もあるという点はどこかで一筆必要かも知れません。--永尾信幸 2010年4月17日 (土) 07:19 (UTC)返信
そういえば、大事な事を忘れていました。
  • 山手線が10両編成化されると変電所負担が増えることは、MT比だけで考えれば斎藤氏だけでなく誰でも思うこと
この部分ですが、実は101系は8両編成で6M2Tなんですよね。そういう編成が多数入っていた所に103系4M4Tが入ってM車数が減った訳ですが、その103系を101系と同じ6Mにしたからと言って、どの程度変電所負担が増えると言うのでしょうか。先ほど、記事に要出典が貼られていたので良く考えて見たのですが、101系6M→103系4M→103系6Mという流れだから、とりあえずM車数の話であれば、そう大きくなっていないのではなかろうか?単純に4M→6Mと考えると電動車数が1.5倍になっている感覚を受けるが、もともと6Mだったという事実が抜けていますね。
ただし101系と103系では限流値が違いますからそのあたりも加味して考えなきゃならない部分かも知れませんね。いずれにしても、電動車数が4M4Tから6M4Tに1.5倍になっているというのが根拠であるなら少し検証する必要があるかも知れません。--永尾信幸 2010年4月18日 (日) 05:27 (UTC)返信
「誰でも」は言いすぎだったかもしれません。101系は全電動車を前提として(M車が多い方が有利)、103系はMT比1:1を前提として(M車が少ない方が有利)設計されているとすれば、当然1:1よりも電動車が多くなる6Mは101系の方が適してる、と考えやすいということです。しかし、実際は6Mでも103系の方が高性能ならば、やはりこの考え方は間違っていることになります。--都市高502 2010年4月18日 (日) 10:20 (UTC)返信
いえ、言い過ぎというより、普通に考えたらそう思える部分であるなら、これは他の閲覧者も間違える可能性がある事ですから、記述に何らかの配慮が必要な部分かも知れませんね。
また、斎藤氏の記事では103系のメリットを活かすにはT車を2両増結して6M6Tにすれば良いと言うような書き方をしているのですが、このメリットというのは比較対象が101系であると仮定したら意味は通ります。6M4Tより6M6Tの方が加速も運転速度も遅いですからメリットと言うのは普通に考えると無いんですが、ただ101系を12両で走らせようとすると8M4Tとせざるを得ないので、それと比較したら6M6Tで走れる103系はメリットがあると語ったとすれば帳尻はあいます。それ以外に6M4TからT車2両分60t近い重量を増やして性能を落として運転するメリットって何があるんでしょうねぇ。輸送力増強というのであれば別に4M8Tでも良いんですよ。103系のMT55は熱容量的に余裕があるので、少し無理をしても運転できますから。もちろん加速は落ちますけどね。ま、これをポンと出したら独自研究ですが、こういう運転もできるというのが運転理論的に証明できるのですよ。103系非冷房車4M8Tの加速度は1.4km/h/s程度になるので当時の101系よりも遅いですが、変電所能力と言うのであればこういう方法もあるでしょう。ただRMS電流(ランカーブを持ってない・・・何キロでノッチオフするか等がわからない)を計算すると限界ギリギリじゃないかとは思いますが・・・普通に走る上では4M6Tでも走れますが、国鉄の場合は「1ユニットカットして起動できるかどうか」なんて条件もつけていたようで、さすがに2M8Tや2M10Tだと運転出来ない(笑)
ま、そんな事でちょっと余談(数字遊び)でした。--永尾信幸 2010年4月18日 (日) 13:27 (UTC)返信


とりあえず、簡単に代替文を考えてみました。[7]ただ、一通りの説明をした後に斎藤氏の意見を書くと「斎藤氏ってバカなのか?」と思われかねない部分もありますね。--永尾信幸 2010年4月19日 (月) 03:36 (UTC)返信

大幅な改稿について

IPの方の改稿により、箇条書きが増えているようですが、冒頭のタグに従いますと、箇条書きは避けて本文に組み込むべきとあります。問題ありませんでしょうか。

また、サハ103-758に関することなど、内容が改変され、事実と異なる間違った内容に変えられてしまったものがあり、これは重大な過失と言えると思います。改変部分が多いため、まだ全体を精査していないので、再修正はしていませんが、表現方法はともかく、間違った内容に改変した部分があることから、(部分的にしろ)再修正は不可避と考えておりますので、一応、発言させていただきます。L25.203.l03.26 2010年12月23日 (木) 12:24 (UTC)返信

箇条書きは、並列のものを列挙するには適している場合もありますが、現状を見ると列挙でもない部分に箇条書き(というかリスト)がかなり使用されているようです。私も、基本的には文章で書き進めていくスタイルのほうがよいと思いますので、コメントします。--Hanabi123 2010年12月24日 (金) 12:13 (UTC)返信
コメントありがとうございます。行頭の「*」はリスト用のタグですので、「改造内容の列挙」のような場合は適していると思いますが、文章を書くような場合には適していないと思います。リストではなく、文章として表示すべき部分は、追って少しずつ戻していこうと考えています。いずれにしましても、テンプレートが貼られていますように「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」に即した体裁にしていこうと思います。L25.203.l03.26 2010年12月25日 (土) 14:06 (UTC)返信

箇条書きに関しては、別の方が修正して下さいましたが、サハ103-758に関する記述を虚偽内容に変えられてしまっていた部分がそのままでしたので、修正いたしました。L25.203.l03.26 2011年1月4日 (火) 14:10 (UTC)返信

一度に多く変更されるとわかりにくいですね。ガイドライン的にはあまり何度も短時間に編集するなって事になってるようですが、数百行もあるような記事を一度に編集される方が視認性が悪くなるように思います。箇条書き部は文章を分けるためのものではなく、あるテーマに関連するものを抽出して並べるものですから、文章を単に分割すれば済む話とはちょっと違うように感じています。箇条書きにしたために話が見えにくくなる場合もあるようですので、そのあたりも踏まえてまた改変していかねばならないのではと感じます。--永尾信幸 2011年1月5日 (水) 02:12 (UTC)返信
全然関係無いですが、記事の統合と分割を目的としてWikipedia活動をしているログインユーザーがいるようです。この記事なども注目しているのではないでしょうか。本記事に関しては、仮に分割するとした場合、「製造開始の頃から国鉄分割民営化まで」と「JR発足後以降」に分けるのが妥当ではないかと考えています。ただ、今すぐ分割等を提案したり実行したりするつもりはありません。何らかの事情で分割が避けられなくなった場合の対処法として留意しているだけの状態です。また、実際に分割しようとすると、かなり手を加えなければ内容の整合性に問題が生じると思われますので、本記事や鉄道関係の記事の加筆実績の少ない方が提案した場合は、その内容や方向性の良し悪しに関係無く、反対する可能性が高い旨も申し添えておきます。L25.203.l03.26 2011年1月6日 (木) 14:40 (UTC)返信
補足ですが、分割に反対しているつもりはありません。また、当系列に詳しくない方から分割の提案があった場合でも、短い期限などの条件が無ければ、協力いたします。ただし、上記にありますように「量の大きい記事を見つけ次第、機械的に分割提案をする。」という行動を繰り返しているユーザーには協力いたしません。
それと、この「大幅な改稿について」以外は、一年以上動きがありませんので、この項目だけを残し、他を過去ログ化してしまった方が容量も削減できて良いかと思うのですが、いかがでしょうか。L25.203.l03.26 2011年6月23日 (木) 10:04 (UTC)返信

雑多な箇条書きについては、昨日より少し整理しましたが、それでも読みにくいところが見られます。--Super0420会話2012年12月30日 (日) 04:39 (UTC)返信

脚注冒頭の記述について

わざわざ注意を喚起する必要なんかないでしょう。wikipediaである以上、残念ながら虚偽記述が書かれてる可能性は0ではありませんし、すべて本当の事が書かれてます、なんて保障は本来どこにもないはずですので、二度手間だと思われます。問題がある可能性を考慮すれば、すべての記事について同様の記述をしなければなりません--あな34(須魔寺横行)会話2012年5月28日 (月) 18:33 (UTC)返信

久しぶりにウィキペディアを覗いてみましたが、もともとある注釈に対し、それを、わざわざ外す必要性を感じません。
  • wikipediaである以上、残念ながら虚偽記述が書かれてる可能性は0ではありませんし、すべて本当の事が書かれてます、なんて保障は本来どこにもないはず
「〜はず」と書かれてますが、確かに本当の事が書かれていない事も多いわけで、それは検証可能性に基づいて記事が構成されている以上、当然のことですが、その当然を当然だとわからない人に対しては説明は有効でしょう。
だれもが、あなたのようにウィキペディアに精通している訳ではないのですよ。もっと読者に対して優しさがあっても良いと思うんですけどね。--永尾信幸会話2012年7月6日 (金) 04:17 (UTC)返信

個人のHPについて

ウィキペディアは何でないか、検証可能なことだけ書く、独自研究は載せないを遵守し、これにそぐわない、百科事典的で無い記事は修正・削除するべきではないか?これは「個人攻撃」ではありません。

まぁ署名をつけるというルールも守れない上に、記事の内容を精査すること無く単に自分の嫌いな奴が書いた記事が出典になってるからと言って出典を削除するような人にとやかく言われたくはありませんが[8]、こちらでも、半年ほど前にリンクの是非について議論をしており、その際に外部リンク存置の根拠を示しておりますのでご覧ください。--永尾信幸会話2012年12月26日 (水) 12:19 (UTC)返信

個人的なホームページを掲載することにルール違反があることには間違いなし。半年前にも削除されたのに、自分のもの載せ続ける理由を説明しなさい。その時に書き込み禁止になっているでしょう。--121.95.230.91 2012年12月26日 (水) 13:42 (UTC)返信

ルールに則った行為です。Wikipedia:外部リンクの選び方を熟読してくださいね。--永尾信幸会話2012年12月26日 (水) 13:50 (UTC)返信

ルールにのっとった行為で、自分のホームページを載せる人間が他にどこにいる?--121.95.230.91 2012年12月26日 (水) 14:04 (UTC)返信

保護依頼しました。是非はともかく長期に渡って安定していた内容を一方的に削除する前にノートで調整を取ってください。参加人数が少ない場合はWikipedia:コメント依頼などもご活用下さい。--Tow会話2012年12月26日 (水) 14:11 (UTC)返信

↑ 了解です。ただ以前から、他の人も指摘していることを理解せず、繰り返し自分のホームページを掲載する当の本人に問題があるのでは?--121.95.230.91 2012年12月26日 (水) 14:15 (UTC)返信

私は参考リンクの是非については中立です。このままでは収まりそうにもないので保護依頼したまでですので。ただ、保護依頼のテンプレートを貼った直後に再度差し戻しを行ったIPさんに良い感情は持っていません事はお伝えしておきます。また、Wikipedia:Three-revert rule(通称3RR)を案内しておきます。IPさんはいつブロックされてもおかしくない状態であると指摘します。--Tow会話2012年12月26日 (水) 14:34 (UTC)返信
あらら、書いてる間にブロックされちゃいましたね。念のためにお伝えしますが、IPは固定では無いようですので1週間待たずに書き込める可能性がありますが、それをやると今度はブロック逃れとして明確に荒らし認定されるのでご注意を。--Tow会話2012年12月26日 (水) 14:40 (UTC)返信
もともとは別の方がリンクを張ったんですけどね。今までいろんな草取りの方がチェックしてきていますが、ルール的な面や記事を補完できるであろう内容だという事など、リンクを外す理由が見当たらなかったから、そのままリンクが残ったわけです。私自身のサイトとはいえ、有用性としては世界中で見ても3600両の103系の画像が見れるサイトは存在しません。
閲覧者が記事に書かれた車両の画像を実際にリンクをたどって見れるというメリットがあるわけです。
そのようなメリットがある点も多くの編集者が考慮に入れられているので、継続して残っているのではと推測しますが、7月に私のノートページでDr.Jimmyさんからの指摘を受けたときにも書いていますが、私がこの外部リンクを存置させている根拠についてはWikipedia:外部リンクの選び方の「掲載してよい外部リンク」に基づいています。
Dr.Jimmyさんの会話の中でも「自主公表された情報源」についての説明をしましたが、即時削除の対象にはなりえない事は自明です。
私のノートでも記載をしていますが、このリンクについて有用性が無いとの定義の元に103系の記事を編集している方々からの意見が多数寄せられたら、それはリンク削除なども考えなければならないでしょうが、少なくとも継続してリンクが残っており、一時的にIPさんのようなアンチ永尾的な方がリンクを削除している一定期間はリンクが無い状態はありましたが、それらの期間以外を考えますと何年もの間ずっとリンクはされてるんですよね。
それに、IPさんの問題はリンクの削除以外に[9]このように出典を注釈形式で記載している内容まで、永尾信幸が気に入らないからと削除している点です。
そういう本人が、ウィキペディアのルールをどうこう言って強引な編集をするというのは、善意でやっているとは思えないのが本音ですし、理由などを問われて過去のやりとりを示しているにもかかわらず、そういう内容を読まずに自分の考えだけで行動を起こしている点で、対話というのがIPさんができていないのも問題ですね。--永尾信幸会話2012年12月26日 (水) 15:13 (UTC)返信
そうですね。IPさんがリンク除去と言いつつ写真や出典を除去するのは問題であると思う一方で、ずるずると編集合戦が継続しそうであったため保護依頼をだした次第でして。
外部リンクに関しては先に述べたように私は中立なのですが、外部リンクの方針からすると積極的に除去する要件も見当たらないとは思っています。リンク自体は古くから「写真の紹介」として貼られておりまして、その写真に中立性が無い(=イデオロギーの発露がある)とは言い難いためです。(キャプションという手段があるので不可能ではないのですが現在のところその危険性は低いように思います)
ただ、今まではほぼ沈黙をもって容認されている(少なくともこのノート上では)といういささか後ろ向きな情勢でもございますので、少し論点整理をしておくと宜しいんではないかと存じます。すでに永尾信幸さんは根拠を表明していますから、現状はIPさんが論理的に反論できるかどうか、といったところでしょうか?
また、現時点で本文を編集合戦前まで差し戻す事に関しては反対しませんが、再度の編集合戦を誘発する危険性もございますので、一定の期限を設けてIPさんの意見をお待ちしたほうが良いかと存じます。--Tow会話2012年12月26日 (水) 16:06 (UTC)返信
このIPの方は、アンチ永尾として私のブログに中傷の書き込みをしており、ウィキペディアでの編集が、ウィキペディアを良くしようという観点からのものではなく、単に個人的な感情だけでの行動である点は、出典をつけている部分のうち、永尾信幸の著書によるものを削除したり、私がアップした103系の広島地域色の画像を削除したりと言う点からも明らか仮名と感じます。
単なる好き嫌いだけでの幼稚な行動であるわけですから、どこまでIPさんが理論的に語れるかと言う部分は期待しにくいかなと感じます。
そもそも、12月2日に同様な行動を行い、要約欄に汚い言葉を記載しブロックを受けてる方で、反省の色がほとんど見えない今回の行動ですから、なかなか難しいかとは思います。とは言うものの今までそうだったからだけでは存置するのに根拠が乏しいので5ヶ月前にDr.Jimmyさんから外部リンクに対する問題提起があった際に、存置する根拠を自主公表された情報源のルールを用いていると説明したわけです。
ルール上は、推奨はされてはいませんが禁止もされていないと言う状況ですから、リンクが必要かどうかは、編集者等の合意の元でよいとは感じています。
ただ、ここで言う合意は、当然103系の記事を建設的に編集されていた方々の合意でなければ意味がありません。それは、要不要の判断は当然に専門的知識があって初めて語れるからです。
ですので、Dr.Jimmyさんとの会話の中でも、そういう方々から「このサイトの利用価値は低い」との判断がなされるのであればリンク削除を拒むものでは無いと言う話はしております。
ブロック明けに、どんな行動をとるかは見物ですが、ノートで単に自分の感情だけを書き綴るという行動しかできないのであれば、会話は難しいのかなと感じます。私のブログの方でも、人からの質問にはきちんと答えれない上に、勝手な思い込みで相手が言っていないことを、言ったと思い込むような部分もあるようですから。
差し戻し編集については、会話のできる方であればブロックを待ってと言う部分もありますが、単に「永尾信幸が嫌い」→「嫌がらせをしよう」が編集の目的のようですから、あまり配慮はしていません。むしろ、このままだと追加の編集ができず編集作業が止まってしまいますので、さっさと元に戻させて貰いました。--永尾信幸会話2012年12月26日 (水) 22:10 (UTC)返信
私は121.95.230.91さんではありませんが、気になったことを書きます。
永尾信幸さん、「もともとは別の方がリンクを張ったんですけどね。」などとなぜ嘘をつくのですか?一番最初にリンクが掲載されたのが2006年2月25日 (土) 10:10[10]ですが、これはあなたの編集です。そしてWikipediaへの最初の投稿でもあります。あなたの二度目の編集は除去されたリンクの再度の掲載です。[11]その後も除去されるたびにあなたが差し戻しています。[12][13][14]あなたのおっしゃる「もともとは別の方がリンクを張ったんですけどね。今までいろんな草取りの方がチェックしてきていますが、ルール的な面や記事を補完できるであろう内容だという事など、リンクを外す理由が見当たらなかったから、そのままリンクが残ったわけです。」というのは間違いです。あなたが差し戻しているから残っているのです
永尾信幸さんのサイトへのリンクを残しておくかどうかは、Wikipedia:外部リンクの選び方#宣伝目的のリンク行為、自分が運営にかかわっているサイトへのリンク行為で判断されます。このガイドラインでは、自らが運営に関係しているサイトは排除すべきとあります。しかし、Wikipedia:外部リンクの選び方#一般的にリンクしてよいの第1項『公式サイト』もしくはWikipedia:外部リンクの選び方#考慮に値するの第1項『情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト』は例外として扱ってよいとされています。永尾信幸さんのサイトは公式サイトではありませんが、書籍や論文などと同等の水準で出典や参考文献を示している質の高いサイトなのであれば残してもいいと思います。永尾信幸さん、御自身のサイトはWikipedia:外部リンクの選び方#考慮に値するの第1項に当てはまるかどうかどう思いますか?--112.68.48.8 2012年12月27日 (木) 00:29 (UTC)返信
編集履歴をさかのぼって見てみました。私の最初の編集ですね。。
誰かが私のサイトをアップしてくれたのに消えていたから戻したという思いが残っていたのですが、その直近の編集をみてみても、それらしきものは残っていません。よって、私の思い違いだった可能性が高いです。そうであったら、申しわけありません。
リンクの選び方ですが私のノート頁からですが、このようなやりとりをDr.Jimmyさんとのやりとりのなかでしております。下記はその一部です。
  • 「自主公表された情報源」は[Wikipedia:信頼できる情報源]と認められていますから、リンク先は[Wikipedia:外部リンクの選び方#何にリンクするか]の2番に該当します。「3番と4番は掲載すべきでない外部リンクでないことを確認すべき」とありますが2番は「#掲載すべきでない外部リンクは中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せない、などのポリシーに適合するかどうか考える手がかりを与えてくれますが、#掲載すべきでない外部リンクのどれかに該当するからといって、直ちにそのサイトへの外部リンクが排除されるわけではありません。大切なのは、情報の信頼性、検証可能性など、リンク先の内容の質や、似たような外部リンクをいくつも掲載しないことなど、上記「基本的な考え方」の各項目について慎重に吟味する事です。」とあります。
  • 慎重に、じっくりと吟味してほしいと言うようなことを最初の返信から書かせてもらっていますが、このことを示しているのですよ。
  • だから、即時削除自体がまずおかしいわけなんです。
基本的にはその際にDr.Jimmyさんからも第一項と第二項の話は出ておりますので興味がおありでしたら、少し前の返信コメントでも書きましたが、ノートページご一読いただければと思います。--永尾信幸会話2012年12月27日 (木) 01:43 (UTC)返信
『「自主公表された情報源」は[Wikipedia:信頼できる情報源]と認められていますから』まずここが間違っています。Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源には「自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。」とあります。このセクションはWikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源のサブセクションだということからも自明です。例外となるのは「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。」とあります。
次にWikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンクの第2項にはこうあります。「検証不可能な記述によって読者に誤解を与えるようなサイト。これはWikipedia:検証可能性のガイドラインを外部リンク先の内容にも準用することを意味します。」つまり、永尾信幸さんのサイトを外部リンクとして掲載し続けるには、サイト内の記述に出典や参考文献を示してあるか、永尾信幸さんが専門研究者である必要があります。
これらは、あなたも書いてらっしゃるWikipedia:外部リンクの選び方#何にリンクするかに書かれていることも読んだ上でのものです。私としては、
  1. 永尾信幸さんは専門研究者なので専門家のサイトとして掲載可
  2. 永尾信幸さんは専門研究者ではないが、出典や参考文献が豊富なサイトなので有用なサイトとして掲載可
  3. 永尾信幸さんは専門研究者でなく、出典や参考文献も示されていないサイトなので掲載不可
このどれかだと思います。--112.68.48.8 2012年12月27日 (木) 23:04 (UTC)返信
申し訳ないのですが、私のページにおけるDr.Jimmyさんとのやりとりは確認していただけたでしょうか?「自費出版物、個人のウェブサイトやブログ」にて自主公表された情報源だと言ってるわけじゃないのですが。一度ご確認をお願いします。
また、この時にDr.Jimmyさんとの会話にも出てるのですが、112.68.48.8さんは103系の記事にたずさわった事がおありですか?
というのも、私がこの記事の参考文献欄の真っ先に載っている文献の著者であるということの認識が出来ているかどうかです。また、幾つかの文献にも記事を掲載しており、それはこの記事の出典欄にも出てきていますし、今回の編集合戦時にも私の記事を出典にした部分の削除をIPさんが行っていたりするので、ここを導き出すのはさほど難しい事では無いかと思うんですね。
この記事にたずさわる方なら、少なくともこれらの文献を見たりしてるケースがあるわけで、個人サイトはバツだから除去だと言う風潮にはなりにくいのですがDr.Jimmyさんの時はこの記事を編集されている方の意見としてではなく、草取り時にルールを単に適用しようとしたようで記事の内容などは吟味されていなかったようです。
Dr.Jimmyさんにもその際にお願いしたのは、ルールがこうだからってのは良いのですが、相手がこれに当てはまっているという観点から見ずに、間違ってるはずだという観点から先に見ているのではないかなと思うわけなんですね。だから、その際に言ったのは、慎重に内容を吟味して欲しいと言う事だったのですが、相手がそれを適用しようとしているのであれば、相手がそれに合致しているのかどうかを調べる必要が最低限あるのでは無いかと思います。
だからこそ、同様な間違いをしてもらいたくないので、私の会話ページのDr.Jimmyさんとのやりとりを参考にして欲しいと書いたわけですが、そのあたりは読まれずに進められたわけですね?このあたりで、もう少し慎重な議論をお願いしたいと思います。--永尾信幸会話2012年12月27日 (木) 23:36 (UTC)返信
念のため、私のノートページへのリンクを張っておきます。[15]
ちなみに「自主公表された情報源」[16]とした場合であっても、今度はその著者がウィキペディアの編集に携わっている事に対する中立性の問題も発生します。その部分は、掲載すべきでない外部リンク[17]の4番として明記されています。
が、その当たりは杓子定規に考えずに、普段の編集でその弊害が出ているかどうかを周りがチェックしていれば良いでしょう。
  • 掲載すべきでない外部リンクのどれかに該当するからといって、直ちにそのサイトへの外部リンクが排除されるわけではありません。
とあるように、問題があるのか無いのかは、多くの方が参加編集しているのですから、そういうチェック機能によって判断されます。
つまり、その本人が普段からどのような編集をしていて、その編集で問題が出ているのかどうか、そして自己のサイトを用いて中立性を脅かすような試みをしているかどうか等を判断していけば良いかと感じています。
私はこの103系の記事を中心に編集しており、編集履歴を見ていただければわかると思いますが、かなり多数の加筆修正を過去に行ってきています。私の編集でそのような問題があれば、既にどこかで問題視されているかと思いますが、今までそのような事例が発生していないという点は考慮すべきかなと思います。もちろん、今現在が大丈夫だから永遠に大丈夫であるという風には思っておりません。問題が発生したら当然にその是非は問われるべきです。
あと、今年の夏以降、外部リンクの選び方のこの差分[18]にて、私の会話ページで語られている
  • 「自主公表された情報源」は[Wikipedia:信頼できる情報源]と認められていますから、リンク先は[Wikipedia:外部リンクの選び方#何にリンクするか]の2番に該当します。
の2番は現在はなくなっているようです。
現在は「考慮に値する」[19]という節にまとめられているようです。私は7月中旬から12月に入るまでウィキペディアに参加しておりませんでしたので、この変更について全く気づいておりませんで案内が不親切になっておりましたが、私がDr.Jimmyさんとのやりとりで言っていた2番に該当するという部分は、「考慮に値する」節と読み替えていただければと思います。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 01:44 (UTC)返信

↑ なぜ、自分が書き込んだ時にすぐ消されたり、インターネット上で色々と喧嘩になったりすることについて、自分の方にも原因があると考えたことはないのですか?「自分は103系の知識があり、それを自慢したいだけ」だと受け取る人もいるでしょう?控え目に書き込めばみんなが尊敬しますが、攻撃的なことを書き込むとそのしっぺ返しが来てもしょうがないでしょう。--ABC9801会話2012年12月28日 (金) 12:56 (UTC)返信

ABC9801さんは、ブロックされている121.95.230.91さんご本人ですか?ウィキペディアだけでなく、前段の書き込みに対しての返信等で「↑」を使う人をあまり見たことがありません。ましてや、ウィキペディアの一記事のノートという狭い範囲でそういう方が二名、どうちらも私に対しての反論の立ち位置で参加されるという偶然というのは、非常に考えにくいのですが。
ブロック時の対応や多重アカウントの扱いについては詳しくないのですが、あまりよろしくない状況に陥ると思いますが、仮に自作自演をするような方であるなら、他人にどうこう言う前に、まず自分が襟を正す必要があるかと思います。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 13:16 (UTC)返信

→失礼な方ですね。IPアドレスの人と同アカウントの人間だと勝手に推測して批判をする、根拠もないことをするから荒れるのは当然のことです。上にも書きましたが、今回のことだけではなく、あなたが原因でWikiの103系ページだけではなく、2chや他のHPでも荒れたことは何度もあるでしょう?「103系に関しては自分の上をいく人はいない」と自他ともに認めてほしいのならば、そちらこそ自分の襟を正す必要があります。--ABC9801会話2012年12月28日 (金) 13:48 (UTC)返信

ちなみに、私がインターネット上で口論になる場合というのは、ごく一部の方からの誹謗中傷があったり、それこそ攻撃的な事を書いてきたりする事に対しての自己防衛です。
ですので、口論になるとしても、そういう方々としかなっていませんし、そういう方々に対しては今後も考え方は変わらないでしょう。
また、私の方から口論を仕掛ける事は皆無で、常にそういう誹謗中傷などがあった後に、言われたから反論しているという状況なんですよね。
で、私の誹謗中傷している方は、その反論に対して論理的に反論できないために、すぐにアホだ、バカだというような子供のケンカのような事しか言えなくなってしまうわけですが、自分からケンカを仕掛けてきておいて、反論されたら捨て台詞しか言えないような、そういう方々ですから私からそういう対応をされたとしても、自業自得ではないかと思いますね。
また、そういう方々は自作自演がお得意で、同一人物なのに、あたかも複数の人間が意見を言っているかのようにハンドルネームを変えて投稿するような事も珍しくありません。
アクセスログなどで同じIPなのに別人を装ったりとか、見ていて可笑しいケースもあるのですが、結局私を攻撃してくるような方というのは、面と向かって何か言う人は皆無で、周りもそう言っているというような、周りがもそう思ってるから代表で俺が永尾に文句を言ってるんだ的な行動しかとれないようです。よっぽど自分の意見に自信がないんでしょうね。
私に対して誹謗中傷してくる方は、傾向としてそういう方が多いので、ハンドルネームで10人の方から同じ事を言われても、10人から言われてるなんて事はまずありませんしね。
  • 自分は103系の知識があり、それを自慢したいだけ
別に人がどう思おうが構いませんが、どういうところが自慢に思うんでしょう。たとえば運転理論一つとってみても、その値になった解き方なども説明しながら書いたりする場合も多いです。
もし自分が自慢だけしたいなら、なぜ解き方をわざわざ一緒に書きますか?
  • 控え目に書き込めばみんなが尊敬します
これも、別に尊敬されるためにイロイロやってるわけでもないんですよねぇ。
というよりも、私を誹謗中傷する方は、鼻から尊敬するなんてのは無くて、最初から永尾信幸が気に入らないんですよ。
で、あれこれ言ってくるわけなんですが、本当に尊敬するという気持ちがあるなら、相手に対しての最初の書き込み時に現れるはずです。挨拶などがあるのかとか、下手に聞いてくるのかとか。そういうのは社会常識なのですが、それが出来ないと言うのは、少なくとも善意でコンタクトしてきたのではないと思われても仕方ないのではないでしょうか?
また、こういう方々の特徴は「~しろ」とか「~すべき」と言うようなことを言うんですね。勝手な思い込みで何、人に指図してるんだって話で。常識がある人ならちょっと考えにくい行動ですよね。
同様に「~とみんなが思ってる」とかも先の自作自演の時にも書きましたが、自分の意見なのに、みんなも言ってるという風に架空の応援をつけないと自信がないんでしょうね。
ま、尊敬云々は置いておいて、今の生き方でも一緒にあれこれやろうと言ってくれる人は多いですから、特に困っておりませんのでお構いなく。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 13:50 (UTC)返信
  • あなたが原因でWikiの103系ページだけではなく、2chや他のHPでも荒れたことは何度もあるでしょう?
そうですね。私もとっても迷惑してるのですよ。私に対しての誹謗中傷をすると言う行為が原因で荒れてしまうのですが、誹謗中傷している側は、自分が悪いのではない、悪いのは永尾信幸だと思い込んじゃってるようなんですよね。
自分の嫌いな奴を刺し殺した後に、殺人事件が起こったのは嫌いな奴がいたからだ。と言ってるようなもんで、世間では全く通用しない理論ですが、荒らす人はそこがわかってないんでしょうね。
  • 「103系に関しては自分の上をいく人はいない」と自他ともに認めてほしい
ちょっと意味がわかりませんけどね。たとえば私が「103系に永尾あり」「103系の事なら私に来たら何でもわかるよ」みたいにネット上で触れ回っているのであれば、そういう心配をしていただいても結構ですが、私は103系に関しては別に回りからどう思われようが構いませんが。。。
わかる人はわかってくれるだろうし、わからない人はわからないだろうし、それでイイと思いますけどね。
私がやってきた何十年という積み重ねというのが消えるわけじゃありませんから心配ご無用です。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 13:58 (UTC)返信

今回に限らずインターネット上で色々な誹謗中傷の言葉を掛けられたり、口論になったりすることが多い原因を考えたことがありますか?紳士的な態度を取れば、そのようなことはありません。また、103系のページだけ異常に長いということにも何かの原因があるわけです。確かに113系や115系と比べても製造両数が多いために、年数が経つにつれ多くの形態が生じるのは否定できませんが、ここは百科事典であってあなたの独自研究を述べる場ではありません。色々なところであなたの話を聞きますが、「103系に対して彼と異なる意見を言った時は必ず長い文章で返ってくる。強引に認めさせようとする」という声も聞くくらいです。上の意見もそうですが、まず相手に聞いてほしいのならば、「私がやってきた何十年という積み重ねというのが消えるわけじゃありませんから心配ご無用です。」のように刺激することを書かずに、「○○の意見もありますが、……という理由だから私は●●だと思う」という謙虚な姿勢を見せない限り、「インターネット上でのトラブルメーカー」という評価は変わらないと思います。--ABC9801会話2012年12月28日 (金) 14:06 (UTC)返信

相手が気に入らないという理由で誹謗中傷されたらたまったもんじゃないですよ。で、相手のせいにするんですから卑怯ですよね。
  • ここは百科事典であってあなたの独自研究を述べる場
で、独自研究はどこにあるのでしょうか?具体的に示して貰えますか?一応出典も記載するようにしているのですが。出典がなくて誤解を招くような部分は加筆しないといけないだろうし。
  • 上の意見もそうですが、まず相手に聞いてほしいのならば
  • 刺激することを書かずに、「○○の意見もありますが、……という理由だから私は●●だと思う」という謙虚な姿勢を見せない限り、「インターネット上でのトラブルメーカー」
そっくりそのまま、誹謗中傷する方に返します。
それに、これが刺激的って。一般常識を書いてるだけですけどね。常識的な行動が取れない者が、常識的な事を言われて腹を立てたとしても、それは常識的な行動が取れない方が改心すべき事だと思いますけどね。
で、ABC9801さんは、何の議論のためにここに書き込みをしているのですか?--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 14:16 (UTC)返信
誹謗中傷の原因と言っても、たとえばウィキペディアのこの編集[20]なんて、私は全く何も関係ないのに121.95.230.91さんがいきなり現れて、いきなり汚い言葉を書き込んでるのですよ。
直前に私が何かを言ったとか、言わないとかそういうのが関係なく、単に気に入らないから誹謗中傷していると言うのがよくわかると思います。
この方は、すぐにブロックされ、編集も元に戻されましたが、ブロックあけにまた同じような事をして編集合戦で二度目のブロック。
こういう方々なんですよ。誹謗中傷する方の行動ってのは。一般の常識から外れてるというか。
それを永尾の日頃の行いが悪いからだと、人のせいにするなんて世間では考えられませんよね。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 14:22 (UTC)返信


イギリスでは鉄道趣味は上流階級の趣味でありますが、「そっくりそのまま、誹謗中傷する方に返します。」と紳士的な態度を取れない人が、あなたに限らず日本の鉄道趣味者に非常に多いところに大きな問題があるのです。誹謗中傷の言葉を掛けられた時に、あなたがどのような対応をするのかで紳士か「大きな子供」かに分かれます。それをそのまま誹謗中傷仕返したら、「大きな子供」に過ぎないでしょう。周りの人間はあなたに対してどのような態度を取るべきか方向性は決めます。いい年をした大人であるのならば、「そういう言葉を使われるのですか。それではあなたとは会話できませんね」とさえ言って無視しておけばいいものを、我慢できずにやり返すのは如何なるものかを思います。 また、「ABC9801さんは、何の議論のためにここに書き込みをしているのですか?」と言われていますが、あなたは「誹謗中傷する方が悪い」と一方的に決めつけて、自分が誹謗中傷される原因を省みずに、反対意見には強引にねじ伏せる態度でもって長文攻撃をするところに大きな問題があります。自分のやっていることを「一般常識」として決めつけずに、紳士になるべきです。--ABC9801会話2012年12月28日 (金) 14:30 (UTC)返信

  • ここは百科事典であってあなたの独自研究を述べる場ではありません
先も書きましたが、これはどこの事を言ってるのでしょうか?
永尾の人格論などここではどうでもいい話なのですが、独自研究については記事の品質に関わる部分なので先にお願いしましたように、該当部分を具体的に示して貰えますか?
また、ここは、外部リンクにある私のホームページの是非についても話をしているところですので、そちらの意見もおありでしたら(ノートの過去の投稿では121.95.230.91さんと連動して書き込みをされていたようですので)よろしくお願いします。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 14:36 (UTC)返信

IPアドレスの書き込みが酷かったので、私自身がその書き込みを削除しようかどうか迷っていたところです。あなたのホームページとも照らし合わせて、彼の書き込みを消そうと考えましたが、やっぱりここは管理者に任せたらいいだろうということで戻しました。だが、このページでは書き込み被害については述べる場ではありません。 上で別の方が書かれている通り、あなたの写真自体が独自研究に抵触するものと考えられてもおかしくはありません。そこはRMやRFなどの編成表やその他の資料で裏付けを取ってください。--ABC9801会話2012年12月28日 (金) 14:47 (UTC)返信

121.95.230.91さんの書き込みが醜いからと言いながら[21]この差分で
  • →その通り、個人的なHPを掲載する場合は、議論を重ねてからにするべきです。
と加筆しているのはABC9801さんなんですけどね。
  • あなたの写真自体が独自研究に抵触するものと考えられてもおかしくはありません
すいません、それはどのルールによるものですか?そしてどの写真のことを言っているのですか?
もう少し具体的に話をしていただけると助かります。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 14:53 (UTC)返信
  • 書き込み被害については述べる場ではありません
この意味がよくわからないのですが、書き込んだのは紛れもなくABC9801さんですから、ABC9801さん自身も私のホームページを外部リンクに残すかどうかを気になさっているという事ですよね。
でしたら、当然議論というのは、その関連の話をお願いしたいわけです。書き込み被害ではなく、ABC9801さん自身が書いた「個人的なHPを掲載する場合は、議論を重ねてからにするべき」という部分の意見をお聞かせください。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 14:58 (UTC)返信
  • ここは百科事典であってあなたの独自研究を述べる場ではありません
こちらの方も、よろしくお願いします。どこで独自研究を述べているのか具体的に示してください。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 15:06 (UTC)返信

上で他の人が指摘している通り、Wikipediaでは、個人のブログやホームページ、自費出版物では自分自身のホームページを掲載するべきではないという観点から「その通り、個人的なHPを掲載する場合は、議論を重ねてからにするべきです」と書き込みました。『情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト』との規定からも、IPアドレス書き込み者の考えはある意味正しく「その通り」とも言えます。百科事典は紙媒体であっても電子媒体であっても出典明記が厳しいので、あなたが大丈夫だと思ってもダメ出しされることは少なくありません。だが、私自身トラブルに巻き込まれたくないので、ここは管理者に任せるべきと判断しました。 ホームページに掲載している写真と同じ写真はそのルールにも抵触しますし、二重に使用すると自分のものであってもマナー違反となることがあります。他のものに差し替えるなどした方がいいかと思われます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JNR_EC_Tc103-580-2.jpg

このノートでは、あなたの103系のホームページではありませんので、「そこで誹謗中傷された」ことを書き込むべきではありません。IPアドレスと書き込みがほぼ同時刻であることから、同一人物によるものであるとは推測出来ても確証を持てるものではありません。百科事典ですから、公的な内容に限定するべきです。

--ABC9801会話2012年12月28日 (金) 15:18 (UTC)返信
  • 永尾信幸(会話) 2012年12月27日 (木) 23:36 (UTC)
  • 永尾信幸(会話) 2012年12月28日 (金) 01:44 (UTC)
の私の書き込みは読んでいただけましたか?一応、サイトを外部リンクに置くことについてルールに抵触しないのは、これらが理由としている点を記載しております。他の方も書かれていますが「個人のブログやホームページ、自費出版物」をもって「自主公表された情報源」を主張しているのではありません。まだ私のコメントを読まれていないのであれば一読して意見の方をお願いします。
  • ホームページに掲載している写真と同じ写真はそのルールにも抵触
これは、どのルールでしょうか?
この写真は、私の写真の中から、ウィキペディア等で誰彼無く使っていただけるように著作権フリーにしてアップしたものです。勝手に人のホームページの写真を取ってきてウィキペディアにアップしたのであれば著作権法違反になりますが、著作者である私がウィキペディアに対してどうぞご自由にお使いくださいと提供している写真ですので、ルールに抵触するとは思えないのですが、今一度、どの部分がルールに抵触するのかお聞かせください。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 15:32 (UTC)返信
  • このノートでは、あなたの103系のホームページではありませんので、「そこで誹謗中傷された」ことを書き込むべきではありません
意味がわからないのですが、ここで永尾の人格論について書き始めたのは下のようにABC9801さんなのですよ。
  • --ABC9801(会話) 2012年12月28日 (金) 12:56 (UTC)
で、誹謗中傷については、ブロックした管理人自体が
  • 2012年12月2日 (日) 08:55 Chatama (会話 | 投稿記録) が 121.95.230.91 (会話) を1週間ブロックしました。ブロックの詳細:(匿名利用者のみ、アカウント作成のブロック、自分のトークページの編集禁止) (暴言または嫌がらせ)
暴言または嫌がらせとの書き込みをしております。そういう人も居るという話をしただけでABC9801さんの事ではありませんよ。
何か誤解をしてるようでしたので、一応説明させてもらいました。--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 15:42 (UTC)返信

言葉足らずだったようで、「このIPの方は、アンチ永尾として私のブログに中傷の書き込みをしており……」との書き込みがありますが、この点については100%の確証がない限りは断定した言い方を避けるべきだし、あなたのブログの問題であってこの板で述べていいものかと考えます。また、決して人格について色々と言っているわけではなく、下品に罵られた場合には先に述べた通り、腹が立つことがあっても下品な言葉で罵らずに大人の対応をするべきだと述べているのです。あなたのブログを見ていても下品な言葉が書き込まれたら削除すればいいだけで、同じような言葉で下品に罵倒し返したら次から次へと書き込まれるだけで何の解決にもならないだけでしょう?それをすればするほど、あなたのブログが荒れたり、ここへのあなたの書き込みが嫌がらせで削除されたりするだけです。最近の偏向した報道のせいで鉄道ファン全体のイメージが悪くなるなか、頭に来ることがあってもファン一人一人が紳士の対応を取ることがイメージ改善につながるのはいうまでもないでしょう。--ABC9801会話2012年12月28日 (金) 16:59 (UTC)返信

というか、ここは私のホームページを外部リンクとして残すかどうかの議論なんですよね。
なのに、なぜか121.95.230.91さんとABC9801さんだけは永尾信幸の素行について書いてきてるんですよね。不思議ですね。それこそ、このノートのこの議論には不要なんですけどね。
100%確証・・・えぇ、そうですね。100%確証があるので書いたわけですが、ここは外部リンク等のウィキペディアに関連する話の場ですから、詳細は避けます。
さて、人格がどうのとか、ここと直接関係ない話をどうこうしても仕方ないので、話を元に戻しましょう(笑)
先に質問した部分についてお答え願えますか?--永尾信幸会話2012年12月28日 (金) 17:23 (UTC)返信

言い方はどうであれ、あなたの素行について反感を持っている人は、管見の限り少なくありません。121.95.230.91さんのやり方には賛成しないものの、反対意見に対しては長文でもって強引にねじ伏せる姿勢に「あいつ、何様のつもりだ?」怒りを持つ声さえも聞かれるほどです。彼のように下品な言葉で持って言わないにしても、同様の意見を持つ人が複数いることについても肝に銘じてください。--ABC9801会話2012年12月29日 (土) 01:24 (UTC)返信

あなた自身も「このノートでは、あなたの103系のホームページではありませんので」等と書いているはずですが、あなたや121.95.230.91さんの投稿は、ここで議論すべき「外部リンクの是非」についての事ではなく、単に永尾信幸への反感からの意見ですね。
すいませんが、そういうのはヨソでやっていただけますか?ここはウィキペディアのノートですので。
また、上で批判が好きな方は自作自演的に周りのみんなが言ってる的に誇張すると書いたのですが
  • 怒りを持つ声さえも聞かれるほどです
  • 同様の意見を持つ人が複数いる
などがまさに当てはまりますね。
たとえ、そういう声が100人いたとしても自作自演であるなら複数居るとは言わないんですよね。一日一万アクセスあるような掲示板のシスオペを2000年頃にやっていましたが、荒らす人の傾向としては先に書いたように「自分個人の意見なのに、その意見に自信が無いからか、周りもそう言っているとか、他にもそんな声があります」などと、周りが言っている(との妄想)から正義の味方を決め込むんですよね。
誰もあなたに永尾信幸の成敗をお願いしたわけでもないのにね。
また、ここはそれを行う場所でもないわけですが、そういう行動がウィキペディアに迷惑を掛けているという認識が少し欠けているのではと感じますね。
で、ここは、そういう話をする場ではない点についてはABC9801さん自身も認めているわけですから、そういう話は他でやってもらうとして、まずあなた自身が問題視された
  • ここは百科事典であってあなたの独自研究を述べる場ではありません
  • ホームページに掲載している写真と同じ写真はそのルールにも抵触
  • 「個人のブログやホームページ、自費出版物」をもって「自主公表された情報源」を主張しているのではありません
について具体的な返答をいただいておりません。ノートの内容と関係ない私感を述べる前に、まず問題解決の議論の方をお願いします。
このまま、議論を続けずに、ここと関係ない話を続けるのであれば、あなたが良いように思って貰えなくなりますよ。--永尾信幸会話2012年12月29日 (土) 02:32 (UTC)返信

あなたが「単に永尾信幸への反感からの意見ですね」というようなことを書くから、「大きな子供」だというのです。実際、あなたについては2chや他のところで、「あいつ、何様のつもりだ?」と書かれているでしょう。あなたに対して、こうしたことが書かれているのは15年以上前からずっとですよね?今回のことだけでしたら、相手が悪いということになりますが、永年書かれるということはあなたの方にも大きな問題があるわけです。自分が全て正しいなどとは考えずに、御自身に対する風当たりが強いことも留意するべきです。上にも指摘しましたが、あなたのコメントが長すぎることに対する反感や、強引に自分の意見を押し通そうとするところが、大人ではありません。他系列のページと比較して、103系だけが異常に長いというのも何が原因か、お考えください。--ABC9801会話2012年12月29日 (土) 12:54 (UTC)返信

(注意)2ch等をあげて意見することは、Wikipediaの目的に沿わず、個人攻撃にあたります。そのような行為は行わないで下さい。--Los688会話2012年12月29日 (土) 13:03 (UTC)返信

これを個人攻撃だと申されるのであれば、どのように注意したらよろしいのでしょうか?そもそも、彼が「私のブログにも同一人物とみられる人間から誹謗中傷があった」などと書き込むから、「では、あなたの方には問題がないのか?」ということを提起すべく、下品な言葉で応酬し合うところに大きな問題があると考え、て言及したのみです。この103系のページだけ書き込みが異様に長いのは、彼の書き込みが原因の一つであることには間違いはずです。--ABC9801会話2012年12月29日 (土) 13:12 (UTC)返信

ならば、永尾さんの会話ページに書き込めばいいのではないでしょうか?記事のノートは個人の糾弾に使う場所ではありません。関係のない話でノートを埋めるべきではないです。--LEFR会話2012年12月29日 (土) 17:09 (UTC)返信

項目の整理について

いろいろと出典を明記されたうえで、さまざま論点から記述をまとめているとは思いますが、ちょっと情報過多のような気もします。

歴史の項目で、開発の経緯から、他形式とのさまざまな比較まで掲載されていますが、歴史の項目では、時系列に簡潔にまとめ、開発の経緯などは、別の見出しで構成するほうがすっきりすると思います。 MT55主電動機の概要についても、構造の欄に移動した方が、重複箇所が少なくできるかとも思います。

改造形式、JR化後の動向などは、他項目の文章と重複する部分も多いので、この部分は削除が適当かと考えていますが、いかがでしょうか?--Tokacyan会話2013年12月26日 (木) 16:30 (UTC)返信

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