東急8000系電車

東急8000系電車(とうきゅう8000けいでんしゃ)は、1969年昭和44年)11月30日に営業運転を開始した東京急行電鉄通勤形電車

東急8000系電車
赤帯貼付後の8000系未更新車(2004年12月23日 白楽駅)
赤帯貼付後の8000系未更新車
(2004年12月23日 白楽駅)
基本情報
運用者 東京急行電鉄
製造所 東急車輛製造
運用開始 1969年11月30日
運用終了 2008年2月22日
主要諸元
編成 東横線: 8両編成
大井町線: 5両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
最高運転速度 110 km/h (東横線・田園都市線)
75 km/h (大井町線)
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 5両編成 2.9 km/h/s
8両編成 3.3 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
車両定員 136人(座席定員56または48人)(先頭車)
144人(座席定員64または54人)(中間車)
自重 27.0 - 31.8 t (制御車
31.5 - 35.7 t (電動車
全長 20,000 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,145 mm
主電動機出力 130 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 85:16 (5.31)
編成出力 3,120 kW (東横線)、1,560 kW (大井町線)
制御方式 電動カム軸式抵抗制御+他励界磁チョッパ制御
制御装置 日立MMC-HTR-20A/C/D/Fなど(弱め界磁起動1段、直列13段他、並列11段他、弱め界磁無段階)
制動装置 回生制動併用全電気指令式電磁直通空気制動(HRD-2形)
保安装置 ATC-P
東急形ATS
備考 マスコンハンドルの力行、制動段数は力行4段、制動常用7段+非常
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2008年(平成20年)2月22日の運行をもって全車両が運用から離脱した[1]

本項ではインドネシアの鉄道会社であるPT. Kereta Apiに売却された8000系電車についても記述する。

なお伊豆急行への譲渡車については伊豆急行8000系電車の記事を参照のこと。

目次

概要編集

1970年代から1980年代にかけて、東急の主力車として大量に増備された。特に、機器などがほぼ同じとなる広義の8000系としては677両が製造された。

なお、広義の8000系は、

の3系列も含めるが、ここでは狭義の8000系のみを解説する。

東急では、渋谷大井町方の先頭車の車両番号 + F(Formation = 編成の略)で編成名を記述(例:8001以下5両編成 = 8001F)するのが慣例のため、本項でもそれに準ずる。

外観・性能編集

1962年(昭和37年)登場の7000系電車以来の流れを汲むアメリカバッド社ライセンスによるオールステンレス車で、機能最優先な直線基調の形態である。輸送力増強と将来の新玉川線での使用を念頭に、東急では初の20m級・両開き4ドア車体となり、在来型の18m3扉車に代わり、以降の同社の標準となった。

機器類については極めて先進的で、制御系には回生制動が可能な他励界磁チョッパ制御方式を世界で初めて実用化し、また、運転台操作系には、量産車としては日本初となる、マスコンハンドルとブレーキレバーを一体化した「ワンハンドルマスコン」が採用されている。

ワンハンドルマスコンの操作法については、“押して制動・引いて力行”と言う方法と、の御し方に基づいたその逆の2つの案があり、最終的には前者に決定したが[2]、これが“人間工学に基づいたシステム”と評価された。日本の鉄道車両は以降輸入車を除いてこの方式を踏襲している。また、ワンハンドル方式の運転台自体は高松琴平電気鉄道10000形帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)の6000系試作車などにも試験的に採用されていたが、普及することはなかった。

他にも、応答性に優れ、当時最先端であった「全電気指令式電磁直通制動」を装備し、補助電源供給には、保守に手間のかかる従来の電動発電機 (MG) に代え、静止形インバータ (SIV)を採用するなどの特徴が見られる[3]

主電動機は複巻電動機のTKM-69形・TKM-80形・TKM-82形の3つで、日立製作所東洋電機製造東芝の三社競作である[4]。それぞれのモーターは音に違いがあり、TKM-69形は1979年までに製造されたモーターで高速域で低音を発し、TKM-80は1980年以降のモーターで、高速域が高音となった。TKM-82は1982年以降の製造で1M制御用、4個モーターを直並列制御し、低速域の音が大きく変わっている。高速域はTKM-80とほぼ同じ音を出す。

台車はほぼ7200系のものを踏襲しており、動力台車はTS-807形、付随台車はパイオニアIII系のPIII-708形である[5]。PIII-708形については乗り心地に難があり[2]、1990年から1993年にかけて動力台車に準じた構造のTS-815F形に交換された[6]

 
8001F非冷房時代
(1985年 緑が丘駅

冷房装置については1次車(8001F - 8009F・5両編成5本)は非冷房車で登場した。この時には屋根上にベンチレーター(通風器)が搭載されていた。2次車(8011F - )からは屋根上に冷房装置の外キセのみを装着した「冷房準備車」として登場した[7]。これは冷房車のように見えるが、実は非冷房車であることから、俗に「ニセクーラー」、「空(くう)ラー車」などと呼ばれた。これらの車両は後に本来の設計通り、冷房装置を搭載する改造がされている。なお、2次車最後の8019Fは東急初の冷房装置搭載車として1971年(昭和46年)5月19日より運転に入った。その後は4次車(8031F - 8041F・5両編成6本・冷房準備車)などを除きすべて新製時より冷房装置を搭載している。なお、冷房準備車は1970年代中期に冷房装置が搭載されたのに対し、1次車はこれより遅く1980年代後半に冷房化が実施されたために電源機器が異なる。

製造当初からしばらくの間、車体はステンレスの地色のままであったが、1988年(昭和63年)の春から夏にかけて7000系、7200系7600系7700系とともに、先頭車の前面に赤帯が配された。

運用編集

東横線大井町線合わせて26編成が運用されていたが、新型車両の導入により、2001年(平成13年)より廃車が開始され、東横線からは2008年(平成20年)1月13日のさよなら運転をもって、大井町線からは2008年2月22日の運行をもって運用を終了した。

大井町線の8005F(5両編成)は、2006年3月にドア誤作動事故を起こして以来、運用を離脱して長津田検車区に留置されていた。翌2007年1月31日には同線内で3往復の試運転を行ったが、その後も運用には復帰しなかった。この編成は2008年3月27日に長津田車両工場へと回送されている。また、最後まで大井町線で使用されていた8001F(5両編成)は運用離脱後、長津田検車区に留置されていた。こちらもその後の3月31日に長津田車両工場へと回送されている。

形式編集

搭載機器は下記編成表参照。

クハ8000形(Tc1・Tc2)
制御車。奇数番号車が上り向き(Tc2)、偶数番号車が下り向き(Tc1)に先頭に連結される。奇数・偶数番号車両方にATC・ATS、奇数番号車には140kVA出力の電動発電機(MG)を搭載する。ただし、1次車は170kVAの静止形インバータである。
デハ8100形(M1)
デハ8200形とユニットを組む中間電動車。パンタグラフと制御装置を搭載する。
デハ8200形(M2)
デハ8100形とユニットを組む中間電動車。電動空気圧縮機蓄電池・SIV等の補助機器類を搭載する。
サハ8300形(T1)
付随車。東横線の編成を7両編成 (4M3T) または8両編成 (5M3T) とするため、1980年 - 1982年に8両が製造された。その後、8両編成のMT比を6M2Tへ向上させるべく1985年から1986年にかけて全車デハ8200形へ改造されたため、短期間で形式消滅した。
デハ8400形(初代・M2)
1978年に製造された軽量ステンレス試作車。後に、機能が同じデハ8200形に編入され形式消滅している(後述)。
デハ8400形(2代目・M)
1982年に製造された単独制御(1M方式)の電動車。ユニットを組まないデハ8100形は、端子電圧の関係上、主電動機が永久直列接続となり、本来22km / h まで作動する回生制動が45km / h で失効するという欠点があり、その解消のために製造された。主電動機をTKM-69もしくはTKM-80(端子電圧375V時130kW)からTKM-82(端子電圧750V時130kW)に変更し、直並列制御を可能にし、回生制動が22km / hまで作動するようになった。9両が製造されたが後に7両がデハ8100形へと改造されている。改造により不要となった機器は8090系増備用に再活用された。

細かな形態変化編集

本系列の外形は一見、極めて画一的であるが、雨樋・屋根周辺処理・非常口のドア枠・側面行先表示器の横幅の相違で、多様なバリエーションが存在する。

  • 10次車から側面行先表示器が大型化された。
    • 当初の行先表示器は前面が手動式、側面は小形の電照式種別表示器であり、「快速・急行」のどちらかを点灯するもの(各停は消灯)であった[8]。その後、1980年(昭和55年)より前面・側面ともに電動式の方向幕への改造・使用が開始された。当初は8500系編成から復帰した先頭車を両端に配した編成から実施され、それ以外の編成でも順次改造が進み、1985年(昭和60年)までに全車の電動化が完了した。
  • 田園都市線用として登場した5次車は(8043F - 8051F)4両編成で落成した。該当編成に組み込まれたデハ8100形8143 - 8147は離線対策としてパンタグラフ2基(通常は1基)搭載で製造され[9]主抵抗器も通常より容量が大きいものに変更された。5両に増車された後もしばらくは2基のままであったが、後に下り方のパンタグラフが撤去されている。
 
軽量ステンレス車体の試作車
(2003年7月12日 多摩川駅)
  • デハ8200形8254・8255号はステンレス軽量車体の試作車である。この2両は、車体側面のコルゲート板がなく、ローラープレスによるビードが入り[10]、裾に大きなアールの絞りがある[11][12]ことで容易に判別が付いた。新造時には新形式のデハ8400形8401・8402号とされたが、1M車デハ8400形の製造に伴い8281・8282号に改番、さらに8090系の増備に伴い再改番された[13]。2両とも譲渡されることなく解体されている。この車両の実績を踏まえた量産車として、8090系が製造された[13]
  • 8090系の量産以降(12-3次車以降)に製造された車両は、外見はそれほど変わらないものの、軽量ステンレス車となった[14]。屋根の断面形状が変更され、肩部にアールが付いたほか、屋根の絶縁材の範囲が狭まり屋根肩の一部がステンレスむき出しになった。しかし編成美の関係から14次車以降は再び屋根肩にも絶縁加工が施された。この時期以降に先頭車は製造されていないため、このタイプの車両は中間車にのみ存在していた。
  • 大井町線用車両はパンタグラフがシングルアーム式に変更されていた(廃車直前に通常の菱形パンタグラフに戻された車両も存在する)。
  • 一時期に、8500系の新造両数を抑制するために田園都市線の同系編成に組み込まれて運用されていた車両が存在していた。中間車の代用として使用された先頭車両(8033 - 8044)には晩年まで貫通幌を取り付けていたボルトの跡が残っていた(更新車は撤去された)他、8033 - 8042には半蔵門線用の誘導無線アンテナ設置跡があった[15]。これらは後に東横線などの8000系編成に復帰するが、このうちのクハ8000形と新製中間車を組み入れた編成を皮切りに方向幕が電動化されている。
  • 当初は、とにかく多くの人が座れるようにという設計思想から扉間の座席は8人掛けとし、他は4人掛けとした。だが、踊り場スペースと1人あたりの座席幅が狭くなり不評だったため、1980年製の車両から止めている。

改造・改修編集

クハ8000形の台車のみ軸バネを省略したパイオニアIIIタイプのPIII-708形台車であったが、乗り心地の向上を目的として1990年 - 1993年に電動車に準じたTS-815F形に交換された。
東横線用の8000系では1990年代に入り、電源装置の集約化を目的にクハ8000形のMGと6号車のデハ8200形に搭載した170kVA-SIVに統一し、従来の10kVA-SIVはすべて撤去されている。
8031Fのクハ8031号車は2001年(平成13年)に当時国内最大容量の250kVAのIGBT-SIVを試験的に搭載した。この結果を元に新5000系において同タイプのSIVが正式に採用された。

更新編集

 
8000系更新車
(2007年6月7日 自由が丘駅

東横線所属編成を対象に行われ、1992年から1997年までに11編成が施工された。

  • 更新編成の全車両に実施された改造
  • 前面の配色を中央が黒・その両隣にL字形の赤帯という独特なものに変更、側面の低い位置に赤帯を追加[16](最初の2編成8021・8023Fは通常配色で出場し、更新後の1993年に変更。更新車の正面の赤黒配色は歌舞伎隈取〈くまどり〉に似ていることから、「歌舞伎塗装」とも呼ばれる[17])。この意匠は後の7700系池上線用ワンマン対応編成や更新後の7600系にも受け継がれたが、現在は池上線・東急多摩川線用7700系の一部でのみ見ることができる。
  • 種別・行先表示器のLED化(1993年8月更新の8019Fから)
  • 1992年度に更新した2編成8021・8023Fは字幕式のまま(前面は英文字入りに交換)であったが、8023Fは前面のみLEDへ交換されている[18]
  • 1994年3月更新の8011Fまでの3編成(8011・8017・8019F)は前面にドットの粗いLEDを使用していたが特急運転が開始される2001年3月改正を機にドットの細かいものに交換されている。
  • 未更新編成も1999年頃に実施。
  • 腰掛けの表地を2000系と同様の花柄に交換(同上)
  • 汚れが目立つため、1995年8月更新の8025Fまでの5編成(8011・8017・8019・8025・8031F)で終了し[19]、交換した車両もその後元のマルーンとオレンジに戻された。
  • 更新編成中の1979年以前(10次車以前)に製造された車両に実施された改造
  • 更新対象外だった8043F2号車デハ8252と未更新編成も後に設置
  • 腰掛を短縮してドア脇スペースを確保(ドア間8→7人掛け、車端部4→3人掛け)
  • ドア間の腰掛けを仕切り板とポールで3人掛けと4人掛けに分割して定員を明確化
  • 腰掛け幅を420mmから440mmに拡大

また大井町線には、外観はそのままに早期の廃車を見越して東横線の車両よりも更新内容を簡略化(座席定員が原型のままなど)した簡易的な更新車が4編成 (8001・8003・8005・8047F) 存在した。

  • 大井町線所属編成に実施された改造
  • 室内化粧板の交換(乗務員室内は除く)
  • 化粧板の模様は8500系に施工されたものと同一
  • 車椅子スペースを4号車に設置
  • 未更新編成も後に設置している。

運行編集

運行形態編集

東横線・大井町線・田園都市線で運行されていた。詳細は各路線の項目を参照のこと。

東横線では8090系導入以降、ダイヤが乱れた時以外は基本的に各駅停車運用だったが、2001年3月28日のダイヤ改正で全系列が共通運用になると特急急行にも多く使用されるようになった。なお、特急運行開始直後にはそれを記念してかつての急行表示板を掲出していた所に青地にをデザインした「特急」マークを期間限定で掲出していた。

5050系の導入後は老朽化による廃車が進み、2006年(平成18年)9月25日ダイヤ改正から基本的に平日ラッシュ時のみの運行となっていた。

特別な運行編集

これも前述したが、過去には8500系に組み込まれて使用されていた車両も存在した。中間車代用として組み込まれたクハ8000形は、貫通扉と乗務員扉で運転台を締め切り、隣の車両との通り抜けが可能であった。

大井町線の車両は、こどもの国線の多客時や同線専用の7000系の検査時に臨時で同線の運用に入ることがあった。主に「こどもの国」の行先表示幕を持つ8001F・8003F・8005F・8049F・8051Fが使われ、運用時には先頭車の前面に「こどもの国」のシンボルマークが掲出された。

その他、1987年1988年の夏に大井町線の8001F - 8005Fと東横線の8011F - 8015Fとで上り方制御車のみ交換されたことがある。このうちクハ8011は1988年夏季にこどもの国線にも入線した。

東横線の8007Fは、2005年6月24日より前面赤帯・側面無帯から伊豆急行譲渡車と同一の伊豆急カラーとなり、臨時急行列車「伊豆のなつ号」として翌7月2日から24日までの日曜日17日は除く)に東横線と乗り入れ先のみなとみらい線で運転された(詳細は伊豆のなつ号を参照)。その後は伊豆急には譲渡されず、インドネシアのPT Kereta Apiに、伊豆急カラーのままで売却された。

さらに同月からは東横線の8039Fが先頭車前面の赤帯を撤去するとともに、前面行先表示器をLED式から先に運用終了した8021Fの発生品である幕式への交換(側面はLED式のまま存置)、優等列車で運用する際の通過標識灯(急行灯)点灯など、登場時に近い形に復元されて運行された。その8039Fも2007年6月22日に定期運用を離脱し、それを記念して同月30日7月1日にイベント列車「リバイバル急行8000系号」として運転した。このイベント列車のために、先頭車前面左側への「急行」プレートの装着や過去に存在していた「渋谷」「急-渋谷」「元住吉」のほか、過去の運転時には実在しなかった白地に黒字の「元町・中華街」や赤地に白字の「急-元町・中華街」と表記された前面行先表示が用意され、クハ8039の前面窓ガラス支持Hゴムは白に近い色のペイントがなされるとともに、車内には8000系の歩みを振り返るポスターが掲出された。この表示はイベント列車としての運用終了後に「急行」プレートを「8000 Thank You!」と表記された特製プレートに交換して元住吉検車区に入庫した後、通常の表示に戻された(リバイバル急行8000系号(東急電鉄))。その後長津田検車区に回送され、同月11日鷺沼車両基地に疎開回送されたが、同年8月12日に再び長津田検車区に回送、そして同月17日に長津田車両工場に回送された後、PT Kereta Apiに売却された。

東横線に残った8019Fについては、2007年12月17日・18日に「さようなら8019F 1971-2007」(クハ8019)・「8019F引退 1971-2007」(クハ8020)と表記されたヘッドマークを掲出して運用に就き、18日をもって営業運転を終了した。その後、27日には長津田車両工場へ回送された。

もう1本の8017Fは、2007年12月以降急行運用に入る際には「急行」プレートを装着して運行された。また、2008年1月1日・2日には新年を記念して土休日ダイヤにおいて運行され、前面には「元旦(1日)・賀正(2日)」(クハ8017)・「謹賀新年」(クハ8018)と表記されたプレートを装着して運転された。これは日中特急指定運用の17運行において運転されたが、両日とも14時台に車両交換により運転を終了している。

そして同年1月13日に、臨時特急としてさよなら運転が実施された。(8000系さよなら運転(東急電鉄))。この際には、先頭車前面の行先表示器はLED式から幕式に交換され、過去に存在しなかった特急運転開始時のデザイン(全体が橙地に白字)の「特急 元町・中華街」表記が用意された。また、通過標識灯が点灯されたほか、「ありがとう8000系」(クハ8017)、「8000系 さようなら 1969-2008」(クハ8018)と表記されたヘッドマークも掲出された。運行番号は「39」であった。車内には8000系の歩みのほか、ヘッドマークの製作状況を記載したポスターが掲出された。そして、同月23日に先頭車前面の行先表示器を幕式からLED式に戻し、長津田車両工場へ回送された。これをもって東横線・みなとみらい線での8000系の旅客営業運転を終了した。

末期の編成表編集

東横線・みなとみらい線編集

 
← 渋谷
桜木町・元町・中華街
運用離脱時期 概要・備考
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
形式 クハ8000 デハ8200 デハ8100 デハ8200 デハ8100 デハ8200 デハ8100 クハ8000
搭載機器 SIV,ATS/C CP,[車] P,CONT CP P,CONT CP,SIV P,CONT,[車] ATS/C
車号 P8007 (1) P8245 (12-2) P8107 (1) P8260 (12-2) P8137 (4) P8204 (1) P8108 (1) P8008 (1) 2005年7月24日 最終運用は「伊豆のなつ号
X8009 (1) X8242 (11-2) X8109 (1) X8257 (11-2) X8139 (4) X8205 (1) X8110 (1) X8010 (1) 2004年4月6日  
I8011 (2) X8227 (5) I8111 (2) X8220 (4) X8133 (4) X8206 (2) I8112 (2) I8012 (2) 2004年1月30日  
I8013 (2) X8228 (5) I8113 (2) X8221 (4) X8134 (4) X8207 (2) I8114 (2) I8014 (2) 2006年9月13日  
I8015 (2) X8229 (5) I8115 (2) X8222 (5) X8135 (4) X8208 (2) I8116 (2) I8016 (2) 2006年8月29日  
I8017 (2) X8230 (5) X8117 (2) X8235 (6) I8136 (4) X8209 (2) I8118 (2) X8018 (2) 2008年1月13日 [* 1] 東横線さよなら運転編成
I8019 (2) X8232 (6) X8119 (2) X8236 (6) I8138 (4) X8210 (2) X8120 (2) X8020 (2) 2007年12月18日 最終運用時はヘッドマーク取り付け
I8021 (3-1) X8233 (6) I8121 (3-1) X8217 (4) X8140 (4) X8211 (3-1) I8122 (3-1) X8022 (3-1) 2005年3月24日  
I8023 (3-1) X8234 (5) I8123 (3-1) X8262 (13) X8141 (4) X8212 (3-1) I8124 (3-1) I8024 (3-1) 2005年3月4日  
I8025 (3-1) X8237 (10-1) I8125 (3-1) P8263 (13) P8142 (4) P8213 (3-1) X8126 (3-1) X8026 (3-1) 2005年5月24日  
X8027 (3-1) X8254 (試) X8127 (3-1) X8264 (13) X8143 (5) X8214 (3-1) X8128 (3-1) X8028 (3-1) 2003年3月4日  
I8029 (3-2) X8255 (試) I8129 (3-2) X8219 (4) X8162 (13) X8215 (3-2) I8130 (3-2) I8030 (3-2) 2004年1月31日  
I8031 (4) X8231 (4) X8131 (4) X8256 (16-3) X8169 (18-2) X8216 (4) I8132 (4) X8032 (4) 2005年2月24日  
I8033 (4) X8243 (11-2) X8152 (11-1) X8258 (11-2) X8165 (13) X8240 (11-1) I8153 (11-1) I8034 (4) 2003年1月29日  
I8035 (4) X8250 (12-2) X8160 (12-3) X8259 (11-2) X8163 (13) X8241 (11-1) I8155 (11-1) X8036 (4) 2003年1月30日  
I8037 (4) X8246 (12-2) X8156 (12-3) X8261 (12-2) X8166 (13) X8247 (12-2) I8157 (12-3) X8038 (4) 2003年1月30日  
P8039 (4) P8248 (12-2) P8158 (12-3) P8218 (4) P8164 (13) P8249 (12-2) P8159 (12-3) P8040 (4) 2007年7月1日 [* 2] 赤帯撤去編成
X8041 (4) X8244 (11-2) X8154 (11-1) X8238 (10-1) X8148 (10-1) X8251 (12-2) X8161 (12-3) X8042 (4) 2001年6月 - 7月  
I8043 (5) X8252 (13) I8150 (10-1) X8239 (10-1) X8149 (10-1) X8253 (13) I8151 (10-1) I8044 (5) 2004年4月2日  
  1. ^ 定期運用離脱は同年1月7日
  2. ^ 定期運用離脱は同年6月22日


大井町線・田園都市線編集

 
← 大井町
二子玉川・鷺沼
運用離脱時期 概要
号車 1 2 3 4 5
形式 クハ8000 デハ8400
デハ8100
デハ8200 デハ8100 クハ8000
搭載機器 SIV,ATS/C (8400) P,cont
(8100) P,Cont
SIV,CP,CP P,CONT ATS/C
車号 X8001 (1) X8409 (13) X8201 (1) X8102 (1) X8002 (1) 2008年2月22日  
P8003 (1) P8103 (1) P8202 (1) P8104 (1) P8004 (1) 2005年11月1日  
X8005 (1) X8408 (13) X8203 (1) X8106 (1) X8006 (1) 2006年3月11日 ドア誤作動事故発生編成
X8045 (5) X8167 (13) X8223 (5) X8144 (5) X8046 (5) 2003年4月  
X8047 (5) X8168 (13) X8224 (5) X8145 (5) X8048 (5) 2003年2月  
I8049 (5) X8105 (1) X8225 (5) X8146 (5) X8050 (5) 2003年5月  
X8051 (5) X8101 (1) X8226 (5) X8147 (5) X8052 (5) 2003年2月  


凡例
  • 一番上の段:形式
  • 上から2段目:搭載機器など
    • CONT:1C8M―ユニット式制御器(2両分8個のモーターを制御)
    • Cont:1C8M―片ユニット式制御器(自車分4個のモーターのみを制御・他車を制御する能力もある)
    • cont:1C4M―単独制御器(自車分4個のモーターのみを制御・他車を制御する能力はない)
    • P:パンタグラフ
    • CP:空気圧縮機
    • [車]:車いすスペース設置車
  • 車両番号のスタイルが0123の車両:更新車
  • 車両番号のスタイルが0123の車両:軽量試作車
  • 車両番号後ろカッコ内の数値:製造次数―(その数値)次車。試作車は(試)と表記。
  • 枠内の色・記号:状態
    • 水色(I):廃車後伊豆急へ譲渡
    • 緑色(P):廃車後PT. Kereta Api(インドネシア鉄道会社)へ売却
    • 灰色(X):廃車後解体済


他鉄道事業者への譲渡・売却編集

 
伊豆急カラーの8007F
 
インドネシアへ譲渡された8003F

本形式の運用離脱車は、当初売却交渉の難航や廃車体の留置スペースの不足から解体されていたが、2004年以降になって一部車両が譲渡・売却されている。

  • 2004年度から8000系(系列名そのままに、車両番号を8001 - に振り直し)として譲渡が開始され、1年間に10両のペースで譲渡され続けた結果、2009年度までに45両が譲渡され、塩害により老朽化した200系全車と2100系(リゾート21)の1・2次車を置き換えた。当初は50両が伊豆急行へ譲渡される予定であったが、当初予定されていた2100系3次車の廃車を見合わせたため5両削減され、逆に譲渡予定だった5両の8000系が改造を受けることなく長津田工場から解体・搬出された。
  • 8049は、8500系の8723と組んで2両編成化の試作車として2004年11月に先行改造されていた。その後地方鉄道会社への展示会に使用された後、翌2005年7月 - 9月に追加改造が行われた上で伊豆急へ譲渡された。
  • 2005年度に8両編成2本がインドネシアの鉄道会社「PT. Kereta Api」へ売却され、首都ジャカルタ近郊の通勤電車で使用されている。このうち1本は上記の「伊豆のなつ号」で使用された8007Fをそのままの外装で[20]、もう1本(8003F)は現地で窓上黄帯・窓下黄帯+赤帯・前面窓下「黄帯の中に細い赤帯」という外装に変更されて、それぞれ使用されている。東急のCIマークはPT Kereta Apiのものに貼り替えられたが、車両番号は東急時代と変更がなく、車体に取り付けられた車番表記プレートもそのまま使用されている。なお、現地でもtokyu8000といわれている。
  • 現地では冷房付きであることから、Ekspres(急行)やEkonomi AC(エアコン普通)として使用されている[20]。車内はほぼ原形のままだが、外部は障害物対策で前面下部にオレンジ色のスカート(排障器)が、投石対策で側面窓ガラスに飛散防止フィルムが、前面窓ガラスに金網が、低床ホームからの乗降対策で側面にドアステップがそれぞれ取り付けられている。

脚注・参考文献編集

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  1. ^ 『鉄道ダイヤ情報』2008年4月号79ページ
  2. ^ a b 土岐實光「ある車両技術者の回想3 ワンハンドル運転台のできるまで」『鉄道ファン』1992年9月号(通巻377号)、交友社。
  3. ^ 斉藤, 秀夫 (1970年1月1日), “8000系車両の概要”, 鉄道ピクトリアル 20 (1): 72-75 
  4. ^ 宮田道一「東急8000系ファミリーの記録1」『鉄道ファン』2006年8月号(通巻544号)、交友社。
  5. ^ 飯島巌「新車ガイド 東京急行・新玉川線用8000系」『鉄道ファン』1970年2月号(通巻105号)、交友社
  6. ^ 荻原俊夫「私鉄車両めぐり〔151〕東京急行電鉄」『鉄道ピクトリアル』1994年12月臨時増刊号(通巻600号)特集・東京急行電鉄、鉄道図書刊行会。
  7. ^ 荻原二郎・荻原俊夫「私鉄車両めぐり〔111〕東京急行電鉄」『鉄道ピクトリアル』1977年6月臨時増刊号(通巻442号)特集・東京急行電鉄、鉄道図書刊行会。
  8. ^ 亀田慶之・寺沢新「東急ファンから見たプロフィール8000」『鉄道ピクトリアル』1985年1月号(通巻442号)、鉄道図書刊行会。
  9. ^ 荻原俊夫「東京急行電鉄8000形系車両の近況」『鉄道ピクトリアル』1974年9月号(通巻297号)、鉄道図書刊行会。
  10. ^ 土岐實光「ある車両技術者の回想10 軽量ステンレス車両開発の苦心談」『鉄道ファン』1993年4月号(通巻384号)、交友社。
  11. ^ 市村昇一「東京急行電鉄8400形について」『鉄道ピクトリアル』1979年3月号(通巻359号)、鉄道図書刊行会。
  12. ^ 荻原俊夫「かるーいステンレスカー 東急デハ8400形」『鉄道ファン』1979年4月号(通巻216号)、交友社。
  13. ^ a b 荻原俊夫「東急8000系ファミリーの記録2」『鉄道ファン』2006年9月号(通巻545号)、交友社。
  14. ^ 荻原俊夫「私鉄車両めぐり〔127〕東京急行電鉄」『鉄道ピクトリアル』1985年1月臨時増刊号(通巻442号)特集・東京急行電鉄、鉄道図書刊行会。
  15. ^ 高橋英樹「東京急行8000系グループ形態解析1」『鉄道ピクトリアル』2000年11月号(通巻693号)、鉄道図書刊行会。
  16. ^ 荻原俊夫「東京急行電鉄8000系更新工事」『鉄道ピクトリアル』1994年10月臨時増刊号(通巻597号)特集・新車年鑑1994年版、鉄道図書刊行会。
  17. ^ 歌舞伎座写真ギャラリー 電車歌舞伎 - 株式会社歌舞伎座
  18. ^ 金子智治・焼田健「東京急行電鉄現有車両プロフィール2004」『鉄道ピクトリアル』2004年7月臨時増刊号(通巻749号)特集・東京急行電鉄、鉄道図書刊行会。
  19. ^ 高橋英樹「8000系グループの足跡」『鉄道ピクトリアル』2004年7月臨時増刊号(通巻749号)特集・東京急行電鉄、鉄道図書刊行会。
  20. ^ a b 斎藤幹雄「インドネシアへ行った日本の電車」『鉄道ピクトリアル』2006年12月号(通巻783号)、鉄道図書刊行会。

関連項目編集