ハワード・ディオン・バトルHoward Dion Battle , 1972年3月25日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州出身の元プロ野球選手内野手)。

ハワード・バトル
Howard Battle
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミシシッピ州ハリソン郡
生年月日 (1972-03-25) 1972年3月25日(52歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1990年 MLBドラフト4巡目
初出場 MLB / 1995年9月5日
NPB / 2000年
最終出場 MLB / 1999年10月3日
NPB / 2000年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物 編集

1990年MLBドラフト4巡目でトロント・ブルージェイズに指名され契約。1995年9月5日にメジャーデビュー。その後はフィラデルフィア・フィリーズアトランタ・ブレーブスと渡り歩く。メジャーでの通算安打は9本であるが、ランディ・ジョンソンからヒットを打ったことがある。

2000年トニー・タラスコと共に阪神タイガースに入団し、来日。当初はブレーブス傘下の3Aリッチモンドで24本塁打を放った長打力に加えて、121試合で三振数が66という当時に監督に在任していた野村克也が好む確実性の高さ[1]を見込まれての入団となり、「4番三塁」として期待されたが、太りすぎのためキャンプも開幕も二軍スタートという有様で、来日直後からその実力は疑問視され、開幕二軍スタートが決定した時は、応援番組の『熱血!!タイガース党』2代目党首の福本豊に、「アカンな」と一刀両断されていた。

オープン戦の不振の為に開幕二軍スタートとなったが、ウエスタン・リーグ開幕から二軍は連勝記録を伸ばし、バトルが一軍に昇格すると今度は一軍が連勝し始めた。

三塁守備も巧くはなかったが、何故かバントは巧く、そのためか公式戦でも犠牲バントを決める場面もあった。成績は全くの期待外れだったが、彼がベンチにいるとなぜか連勝が続いたため『勝利の大黒様』と呼ばれた。しかし、チームの連勝が止まるとバトルの成績も急降下。再び二軍に落ち、成績不振で、日本ハムファイターズからマイカ・フランクリンを獲得することとしたこともあり、シーズン中に解雇された。

これで阪神の外国人選手がシーズン中に解雇されたのは1996年スコット・クールボーグレン・デービス1997年マイク・グリーンウェル1998年アロンゾ・パウエル1999年マイク・ブロワーズに続き5年連続となった。

NPBで挙げた唯一の打点本塁打は、阪神甲子園球場中日岩瀬仁紀から放ったソロホームランであった。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1995 TOR 9 19 15 3 3 0 0 0 3 0 1 0 0 0 4 0 0 8 0 .200 .368 .200 .568
1996 PHI 5 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1999 ATL 15 19 17 2 6 0 0 1 9 5 0 0 0 0 2 0 0 3 1 .353 .421 .529 .950
2000 阪神 13 51 44 4 10 2 0 1 15 1 0 0 3 0 3 0 1 14 1 .227 .292 .341 .633
MLB:3年 29 43 37 5 9 0 0 1 12 5 1 0 0 0 6 0 0 13 1 .243 .349 .324 .673
NPB:1年 13 51 44 4 10 2 0 1 15 1 0 0 3 0 3 0 1 14 1 .227 .292 .341 .633

記録 編集

NPB

背番号 編集

  • 14 (1995年)
  • 34 (1996年)
  • 51 (1999年)
  • 99 (2000年)

脚注 編集

  1. ^ 2000年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑

関連項目 編集

外部リンク 編集