ローレンス・アダム・フランク (Lawrence Adam Frank 1970年8月23日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市生まれ、ニュージャージー州ティーネック出身のバスケットボール指導者。NBAの数多くのチームでコーチを務め、現在はロサンゼルス・クリッパーズの球団社長を務めている。

ローレンス・フランク
Lawrence Frank
デトロイト・ピストンズHCでのフランク (2012年)
ロサンゼルス・クリッパーズ CEO
ポジション PG
役職 球団社長
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1970-08-23) 1970年8月23日(53歳)
出身地 ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州ニューヨーク市
キャリア情報
出身 インディアナ大学
指導者経歴
1992-1994
1994-1997
1997-2000
2000-2004
2004-2010
2010-2011
2011-2013
2013-2014
2014-2016
マーケット大学 (AC)
テネシー大学 (AC)
バンクーバー・グリズリーズ (AC)
ニュージャージー・ネッツ (AC)
ニュージャージー・ネッツ
ボストン・セルティックス (AC)
デトロイト・ピストンズ
ブルックリン・ネッツ (AC)
ロサンゼルス・クリッパーズ (AC)
経歴
エグゼクティブ時代:
2016-ロサンゼルス・クリッパーズ (副社長)→(社長)
受賞歴

エグゼクティブ部門

経歴 編集

ローレンス・フランクは1970年にニューヨーク市ユダヤ系移民の両親の元で生まれ、ニュージャージー州ティーネックで育つ[1]。高校も地元の高校で活躍し、大学はインディアナ大学に進学。名将ボブ・ナイトの下で1992年にはNCAAトーナメントでFinal 4まで勝ち上がるもデューク大学に敗退。在学中は同じインディアナ州パデュー大学との対戦でも活躍した[2]

フランクは大学までで選手としての活動に区切りを付け、インディアナ大学卒業後にマーケット大学のアシスタントコーチに就任し、1994年のNCAAトーナメントのベスト16入りに貢献[3]。1994年から3年間はテネシー大学のアシスタントコーチを務めた。

1997年、ブライアン・ヒルの誘いを受けてバンクーバー・グリズリーズ (当時) のアシスタントコーチに就任し、NBAでのコーチ業を開始。2000-2001シーズンよりニュージャージー・ネッツのアシスタントコーチに就任。2004年1月26日には解任されたバイロン・スコットの後を受けてヘッドコーチに昇格。就任後13連勝を記録し、NBAルーキーヘッドコーチの連勝新記録を樹立。その後もネッツを毎シーズンプレーオフに導いたものの、ジェイソン・キッドを放出した2007-2008シーズン以降プレーオフ不出場が続き、更に2009-2010シーズンは開幕16連敗を喫し、2009年11月29日に解任された[4]

2010-2011シーズンはボストン・セルティックスのアシスタントコーチを務め、2011年8月2日にデトロイト・ピストンズのヘッドコーチに就任。しかし、2009年以降プレーオフ不出場が続いているピストンズを立て直すことが出来ず、2012-2013シーズンは開幕8連敗からスタートする有り様となり、シーズン終了後に解任された[5]

2013年7月26日、ブルックリン・ネッツのアシスタントコーチに就任するも、ヘッドコーチのジェイソン・キッドと意見が対立し、同年12月に解任。

2014年9月26日、ロサンゼルス・クリッパーズのアシスタントコーチに就任した[6]。2年間コーチを務めた後、2016年6月30日に同チームの球団副社長に就任[7]。更に2017年8月4日には球団社長に就任した。

その他 編集

ニュージャージー・ネッツのヘッドコーチ時代、当時マイアミ・ヒート所属のシャキール・オニールを非難した際、オニールからローラ (Rola) 【ローレンス (Lawrence) の女性名】と罵倒された。因みに、両者は2010-2011シーズンにボストン・セルティックスで共にしている。

脚注 編集

外部リンク 編集