制憲国民大会

中華民国国民政府(蔣介石政権)が「中華民国憲法」を制定するために招集した会議

制憲国民大会(せいけんこくみんたいかい)は、中華民国国民政府蔣介石政権)が「中華民国憲法」を制定するために招集した会議であり、民国35年(1946年)11月から12月にかけて南京国会大会堂で開催された。この会議に参加する代表は民選などによって選出された。主な参加党は中国国民党中国青年党中国民主社会党だった。

中華民国制憲国民大会
中華民國制憲國民大會
種類
種類
制憲議会
設立1946年11月15日
構成
定数2050議席
院内勢力
選挙
前回選挙
1936年
議事堂
中華民国の旗 中華民国南京市一区長江路264号
国民大会堂中国語版
南京国民大会堂
制憲国民大会の前夜、代表団が霊谷寺の墓に日中戦争の犠牲者を弔う

制憲国民大会は、中国近現代史発展に影響を与えた重要な出来事である。今日の台湾地区に適用される中華民国憲法、および2つの中国の問題に直接関係しているため、今も議論され続ける歴史事件である[1]

会議の背景 編集

国民会議運動 編集

1923年、曹錕による中華民国憲法中国語版が制定された後、孫文の国民党広州軍政府と中国共産党はこれに反対し、憲法の再制定を求めた。これは国民党北前の国民党運動だった。

1924年の北京政変で、馮玉祥は曹錕を倒し、孫文を北に招いて計画について話し合った。この時、孫文は国会を召集するために北上することを決意したが、1925年に亡くなり、国会は予定通りに召集できなかった。孫文が死ぬ前に、汪兆銘に「速やかに国民会議を召集するよう」を遺言に書き込むと命じた。

「五五憲草」 編集

中華民国は、国民党の北伐終結により「訓政時期」に入った。孫文国民政府建国大綱によれば、軍政、訓政、憲政の3つの時期に分けて国を建設する。中華民国政府は、訓政期間に入った後すぐ、中華民国憲法の起草と制定を開始した。

当時、中国の政治情勢は複雑で、内外の紛争が続き、さまざまな勢力の意見が異なり、誰もが認める憲法草案を起草するのが難航し続けた。民国25年(1936年)5月5日、「五五憲草」と呼ばれる中華民国憲法の草案がについに公表された。憲法草案が公表後、次にやることは制憲国民大会を招集し、審議、可決することであった。しかし、日中戦争の勃発によって、民国26年(1937年)に予定されていた制憲国民大会は延期を重ね、終戦後にようやく開催された。

1936年には全国の憲法国会選挙が行われ、ほとんどの地域の憲法代表が民選で選出、北東部満州国による占領下にいたので、国民政府は被占領地区で特別選挙を採用した。国民政府は民選に加えて、選挙に参加したくない多くの有名人を積極的に採用した[2]。また、訓政中の国民党中央委員会の委員を制憲国民大会の選挙を経ずに参加することができる。その後、日中戦争が勃発し、国民会議は1946年に延期されたが、10年前に選出された代表者の資格は依然として有効となる。1936年の国民党と共産党の内戦状態にあるため、共産党は地域代表の選挙に参加できず、政党の比例代表の議席しか持てなかった。そのため、1945年から1946年にかけて国共交渉した際、共産党はその議席数を増やすために旧代表資格の廃止を要求したが合意できなかった、このことが後の政治協商会議で焦点となった。

延期 編集

制憲国民大会の延期経過
予定会議日程 計画者 結果 理由
1936.11.12 国民党第5回全国代表大会 延期 各省代表を全て選出できなかった
1937.11.12 国民党第5回中央委員会第3回全体会議 延期 日中戦争の勃発
1940.11.12 国民党中央委員会第6回全体会議 延期 戦争による
1945.11.12 国民政府 延期 中共は政府の再編を要求
1946.5.5 延期 中共が参加者名簿提出拒否
1946.11.12 国民政府最高国防委員会 延期 共産党と中国民主同盟が参加者名簿未提出
1946.11.15 国民政府 開催 青年党、民主社会党参加者名簿を提出


















議会代表 編集

制憲国民大会の出席状況[3]
カテゴリー 定数 着任人数 備考
地方選挙 770 735 各省民衆による直接選挙
専門家選挙 437 406 各職能団体が選出
特別選挙 143 142 政府が選出
比例代表 中国国民党 220 216
中国共産党 190 0 中国共産党は参加拒否
民主同盟(民主社会主義者党を除く) 80 0 中国民主同盟は参加を拒否
中国民主社会党 40 39 民主社会党は民主同盟とは別に参加し、当初割り当てされた40のみを使用
中国青年党 100 99
社会各界有識者 40 39 主に無党派の国民参議員
合計 2050 1701 出席率82.98%

(3/4を超えた)




















脚注 編集

  1. ^ 李炳南《政治協商会議与国共談判》,永業出版社
  2. ^ 陈立夫在政协会议上的讲话,政治协商会议纪实,重慶出版社,1989
  3. ^ 荊知仁,中国立憲史,聯経出版公司

関連項目 編集