梁 女瑩(りょう じょえい)は、後漢桓帝の1番目の皇后。義理の姑であった順烈皇后梁妠順帝の皇后)の妹、また梁冀の妹である。

梁皇后
後漢の皇后
在位 建和元年8月18日 - 延熹2年7月8日
147年9月30日 - 159年8月9日

全名 梁女瑩
別称 懿献皇后
出生 不詳
安定郡烏氏県
死去 延熹2年7月8日
159年8月9日
洛陽
配偶者 桓帝
氏族 安定梁氏
父親 梁商
兄弟 梁冀
姉妹 梁妠(順烈皇后)
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生涯 編集

安定郡烏氏県の人。初め、蠡吾侯劉志(後の桓帝)と婚約した。本初元年(146年)、梁冀は質帝を毒殺した後、権勢保持のため桓帝を擁立した。建和元年(147年)、女瑩は皇后に立てられた。

当初、女瑩は桓帝の寵愛を一身に受けた。しかし女瑩は尊貴をたのんで驕慢であり、奢侈濫費を重ねた上、梁冀の専横が続いたため、桓帝は女瑩をも恐れはばかることになった。梁太后(順烈皇后)が崩御した後、桓帝は他の妃嬪を寵愛するようになった。女瑩は嫉妬し、妊娠した妃嬪をみな死に追いやった。結局、女瑩は桓帝の信頼も寵愛も失った。延熹2年(159年)、女瑩は憂憤のうちに崩じた。「懿献」とされ、懿陵に葬られた。

梁冀が誅殺された後、貴人へ追廃された。懿陵も貴人冢と改められた。

参考文献 編集

梁女瑩を主題にした作品 編集

  • 楊慎の『漢雜事秘辛』は、梁女瑩の婚前裸体検査を題材とした。