沼津貝塚(ぬまづかいづか)は、宮城県石巻市沼津字出外・八幡山にある縄文時代の代表的な貝塚。別称出外(でと)貝塚ともいう。1972年(昭和47年)10月21日、国の史跡に指定される[1]

座標: 北緯38度26分44.9秒 東経141度22分39.5秒 / 北緯38.445806度 東経141.377639度 / 38.445806; 141.377639

沼津貝塚の位置(宮城県内)
沼津貝塚
沼津貝塚

概要 編集

本貝塚は、石巻市の東に万石浦があり、その北方の標高25~15メートルの丘陵上に立地する[1]。遺跡全体の面積は東西220メートル、南北160メートルである[2]。縄文時代前期からの遺物が存在し、中期後半に入って貝層が形成され、ハマグリ[3]やアサリ[4]、ヤマトシジミ[5]の順でみられる。

地元の毛利総七郎と遠藤源七によって、1908年明治41年)から1929年昭和4年)にかけて継続的に発掘され、研究者[6]も参加している。出土品では、釣り針・銛・ヤスなどの骨角器が多いことが特徴である。その他、漁具や櫛・垂飾品などの装身具など膨大な遺物が採集されている。このうちの骨角器一括、縄文土器2点、岩版1個、土製獣2点が一括して重要文化財に指定されている(東北大学蔵)。 戦後になって1958年(昭和33年)、1963年(昭和38年)、1967年(昭和42年)には研究会・大学・県などの研究団体が発掘調査している。

規模も大きく、貝塚の保存状態もよく、出土の骨角器も多量などの理由から1972年昭和47年)、東北地方における縄文時代の貝塚として国の史跡に指定された[2]

脚注 編集

  1. ^ a b 沼津貝塚 ぬまづかいづか”. 文化遺産オンライン. 2021年11月25日閲覧。
  2. ^ a b 指定文化財〈史跡〉沼津貝塚”. 宮城県 (2019年1月24日). 2021年11月25日閲覧。
  3. ^ 縄文時代中期後半から後期初頭にかけて
  4. ^ 縄文時代後期中葉から晩期前半にかけて
  5. ^ 縄文時代晩期後半から弥生時代にかけて
  6. ^ 長谷部言人杉山寿栄男など多くの研究者

参考文献 編集

  • 藤沼邦彦「沼津貝塚」/文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第1巻 原始1』同朋舎出版 1991年 ISBN 978-4-8104-0924-6

関連項目 編集