釐王(きおう、生年不詳 - 紀元前273年)は、中国戦国時代君主。名は咎。襄王の子。紀元前296年、襄王が死去すると、後を嗣いで韓王となった。

釐王 韓咎
王朝
在位期間 前296年 - 前273年
姓・諱 韓咎
諡号 釐王
没年 紀元前273年
襄王

紀元前293年と連合し、24万におよぶ大軍を動員し、魏の公孫喜に総指揮を委ねてを攻撃した。しかし伊闕で秦の白起の軍に敗れて、公孫喜は捕らえられた。紀元前291年、秦の攻撃を受けて宛を失陥した。紀元前290年、秦に武遂の地200里を割譲した。紀元前286年、秦軍に夏山で敗れた。

紀元前284年、釐王は秦の昭襄王と西周(王城)で会合し、を攻撃する連合軍に参加した。5カ国の連合軍が斉軍を撃破して、斉の湣王臨淄から逃亡した。紀元前282年、釐王は秦の昭襄王と新城で会合した。紀元前275年、将軍の暴鳶を派遣してを救援したが、秦軍に敗れ、暴鳶は開封に逃れた。

紀元前273年、の軍に華陽を攻撃された。韓は秦に使者を送って救援を求めたが、秦は救援の軍を出そうとしなかった。韓の相国は陳筮に頼んで秦に赴かせ、陳筮は秦の穣侯魏冄に面会した。陳筮が他の国に韓が従属する可能性を示唆すると、魏冄は救援軍の派遣を約束した。秦軍は8日で到着し、趙と魏の軍を華陽の下で撃破した。

この年のうちに釐王は死去した。在位23年。

参考文献 編集

先代
襄王
の君主
紀元前296年 - 紀元前273年
次代
桓恵王