狭野神社(さのじんじゃ)は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社旧社格県社で、後に官幣大社宮崎神宮の別宮となった。現在は再び独立の神社となり、神社本庁別表神社になっている。霧島六所権現の一社である。

狭野神社

狭野神社
所在地 宮崎県西諸県郡高原町大字浦牟田117
位置 北緯31度54分30.9秒 東経130度58分11.6秒 / 北緯31.908583度 東経130.969889度 / 31.908583; 130.969889座標: 北緯31度54分30.9秒 東経130度58分11.6秒 / 北緯31.908583度 東経130.969889度 / 31.908583; 130.969889
主祭神 神日本磐余彦天皇
社格県社
官幣大社別宮
別表神社
創建孝昭天皇
例祭 10月23日
主な神事 苗代田祭
狭野神楽
地図
狭野神社の位置(宮崎県内)
狭野神社
狭野神社
地図
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祭神

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神日本磐余彦天皇(神武天皇)を主祭神とし、吾平津媛命天津彦火瓊瓊杵尊木花開耶姫命彦火々出見尊豊玉姫尊鸕鶿草葺不合尊玉依姫命を配祀する。社名は神武天皇の幼名「狭野尊」に因むものである。

歴史

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孝昭天皇の時代、神武天皇が誕生した地(高千穂峰の麓の皇子原)に創建されたといわれている[1]。また一説には、往古は霧島山上に鎮座していたが、霧島山の噴火の厄難をさけて一旦この地に遷座したとも伝えられる。その後、数度にわたる霧島山の噴火により社殿の焼失と遷座を繰り返しており、現在地に遷座したのは慶長15年(1610年)である[2]

当神社が創建当時鎮座していた元宮の地には、現在境外末社皇子原神社が鎮座している。ここは神武天皇生誕の地といわれており、神社背後の「産婆石」(うべし)付近で生誕されたと伝えられている[要出典]。また皇子原神社の鎮座地は皇子原古墳群でもあり、6基の古墳があり、皇子原神社は1号古墳の上に鎮座している[要出典]古墳は5世紀後半から6世紀前半の西諸県地方特有の地下式横穴墓と考えられている[要出典]

伝承では、当地は神武天皇狭野尊)が幼年期を過ごされた所だといわれており、この地には皇子原、皇子滝、皇子川原、血捨ノ木、狭野渡、御池の皇子港などの地名が残っている[1]

1873年県社に列格したが、1915年官幣大社宮崎神宮の別宮に指定された[2]1898年からは、高木兼寛宮崎神宮の大造営と同時に、神武天皇ゆかりの狭野神社の社殿の改修も行った。第二次大戦後に再び独立の神社となり、昭和51年1976年)に神社本庁別表神社に列格した[1]

祭事

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脚注

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  1. ^ a b c 『宮崎県神社誌』宮崎県神社庁、9月30日。 
  2. ^ a b 『新装普及版 神社辞典』東京堂出版、1997-09-25日。 

参考文献

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・白井永二・土岐昌訓編『新装普及版 神社辞典』東京堂出版、1997年

・『宮崎県神社誌』宮崎県神社庁、1988年

外部リンク

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