猪熊夏樹

幕末から明治時代の国学者、神職

猪熊 夏樹(いのくま なつき、1835年6月26日天保6年6月1日) - 1912年大正元年)8月7日)は幕末から明治時代の国学者神職。白鳥神社祠官・京都第一高等女学校教諭・宮中進講を務めた。

長男は猪熊浅麻呂。孫に猪熊兼幹猪熊兼繁、曾孫に猪熊兼年猪熊兼勝、玄孫に猪熊兼樹がいる。

経歴

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讃岐国(現・香川県)出身。白鳥神社祠官猪熊慶歓の次男として生まれる。通称舎人は浅之進、名は千枝、号は瑞枝舎。

友安三冬友部方秀中村尚輔に学び、国学に力を注いだ[1]明治維新後は家を京都に移す。京都白峰宮(現白峰神宮)の造営につくし、慶応4年の創建とともに宮司となる。明治5年に伊勢神宮の神楽改正取り調べを命じられる。1885年(明治18年)に京都府師範学校教員を務め、1890年(明治23年)には京都第一高等女学校教諭、1906年(明治39年)には宮中進講を務める。1907年(明治40年)、白鳥神社社司に転任した[2]

著書

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  • 源氏物語湖月抄
  • 大和路の日記
  • 都の青葉
  • 瑞枝舎百首

脚注

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出典

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