猿沢茂

日本のサッカー選手

猿沢 茂(さるさわ しげる、1960年1月30日 - )は広島県安芸郡府中町出身の元サッカー選手(MFFW)。

猿沢 茂
名前
カタカナ サルサワ シゲル
ラテン文字 SARUSAWA Shigeru
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1960-01-30) 1960年1月30日(64歳)
出身地 広島県安芸郡府中町
身長 166cm
選手情報
ポジション MFFW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1982-1989 マツダ ? (?)
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

府中中学に入学後から本格的にサッカーをはじめ、1年次からセンターフォワード(CF)として活躍[1]。2年次には中国大会優勝を飾った。また、中学時代に広島大河FCに入ってプレーしている[2]

県立広島工業高等学校(通称・県工)時代[3] は高校1年次からCFとしてレギュラーとなり高校選手権出場。2年次にはインターハイ出場。3年次では攻撃的なMFとしてチームの軸となりインターハイ、選手権の両大会で活躍した[4]。かつて御三家と言われながら、永らく低迷が続く広島高校サッカーが久しぶりに輝いた瞬間だった。現在では県工出身者の中でも知名度は低いが、当時はこの猿沢の才能が最も注目され、ルックスの良さもあり一番人気が高かった。

その後、大阪体育大学へ進学し、エースストライカーとして活躍した。また1979年には県工の同級生の沖宗敏彦、中本邦治らと共にU-20サッカー日本代表に選ばれ、日本で行われた第2回FIFAワールドユース選手権[5] に出場した。

就職の際には大阪に在住していた事もありヤンマー(現セレッソ大阪)から熱心に勧誘を受けたが、1982年に郷里のマツダへ入社。マツダSC(現サンフレッチェ広島)に入団し、ウイングとして開幕戦からフル出場、4得点2アシストの活躍から同年には日本サッカーリーグ(JSL)新人王を獲得した。その後、攻撃的なMFとして活躍、JSL2部への降格を2度も経験、1988年にはハンス・オフト監督下で信藤克義高橋真一郎ら地元選手やディド・ハーフナーらともに頑張り、天皇杯準優勝に貢献した。

Jリーグ創設の3年前・1989年に現役を引退。その後はマツダに勤務している。

息子は3人おり、サッカーおよびアイスホッケーの選手として活躍している。

2013年よりJリーグマッチコミッショナーを務める[6]

所属クラブ 編集

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1982 マツダ 6 JSL1部 18 4
1983 15 1
1984 JSL2部 13 1 2 0
1985 3 1
1986-87 6 JSL1部 11 0
1987-88 19 1
1988-89 JSL2部 16 2
通算 日本 JSL1部 63 6
日本 JSL2部 32 4
総通算 95 10

タイトル 編集

  • JSL新人王 : 1982年

代表歴 編集

出場大会など 編集

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ 先輩に金田喜稔
  2. ^ 木村和司沖宗敏彦らとプレーしている。
  3. ^ 二年上に金田喜稔、石崎信弘、一学年上に木村和司、同級生に沖宗敏彦、沖野隆幸中本邦治らがいる。
  4. ^ 3年次のインターハイでは鉄壁のDF陣を擁して強豪帝京高校を下しベスト4進出。冬の選手権では優勝候補に挙げられたが、1回戦で帝京高校と再び対戦し0-2で敗れた。なお、帝京は今大会を制する事になるが、早稲田一男宮内聡金子久らを擁していた。
  5. ^ ディエゴ・マラドーナの活躍で知られる
  6. ^ 2013 Jリーグマッチコミッショナー決定

関連項目 編集

外部リンク 編集