王衍 (前蜀)
王 衍(おう えん)は、十国前蜀の第2代(最後)の皇帝。一般には後主と称されている。
後主 王衍 | |
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前蜀 | |
第2代皇帝 | |
王朝 | 前蜀 |
在位期間 |
光天元年6月2日 - 咸康元年11月27日 (918年7月12日 - 925年12月15日) |
都城 | 成都 |
姓・諱 | 王宗衍→王衍 |
字 | 化源 |
諡号 | 聖徳明孝皇帝 |
生年 |
天復元年7月15日 (901年8月31日) |
没年 |
天成元年4月4日 (926年5月18日) |
父 | 高祖 |
母 | 徐賢妃 |
后妃 | 高皇后 |
陵墓 | 長安県三趙村 |
年号 |
乾徳 : 919年 - 924年 咸康 : 925年 |
生涯
編集高祖王建の十一男として成都で生まれ、鄭王に封じられた。当初は次兄の王宗懿が立太子されていたが、母の徐賢妃が王建の寵愛を受けるに従い、王衍が太子に立てられた。
王建の崩御により帝位に即位するが、国政を宦官の宋光嗣らに任せ、自らは奢侈荒淫にふけり民心を失った。
咸康元年(925年)に後唐の荘宗李存勗によって攻撃を受け、成都は陥落、王衍は後唐軍に降り、前蜀は滅亡した。
滅亡後、王衍は通正公に封じられた。しかし長安に送られる途中、後に禍根となることを恐れた李存勗により、秦川駅で一族もろとも殺害された。死後、後唐の明宗李嗣源により順正公に追封された。
家族
編集妻妾
編集- 皇后高氏
- 貴妃金飛山、元妃韋氏(徐賢妃の兄弟の娘)、貴妃銭氏、順妃蘇氏、昭儀李舜弦、宮人李玉簫
- 宮人劉氏
子女
編集- 男子:王承祧、王承祀
- いずれも李存勗に処刑された
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