甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 2013年11月19日)は、日本の雑誌編集者。元マガジンハウス副社長。

来歴・人物 編集

神奈川県横浜市中区伊勢佐木町出身[1][2]。実家は米屋を営んでいた。府立高等学校東京都立大学の前身)を経て、1955年[3]東京大学文学部仏文科[1]を卒業[3]

学習研究社を経て、1959年平凡出版へ入社。『平凡パンチ』『週刊平凡』『an・an』の編集長として、1960年代から1970年代の流行の先駆者として活躍。その後、『クロワッサン』『ダカーポ』などを創刊し、大人になった『an・an』世代へのライフスタイルの提言を行う。1980年代に至るまで、出版文化の中での影響力は大きなものがあった。「ハマトラ」(横浜・元町生まれのファッションスタイル)[3][4]や「リセルック」[3]の名付け親とも伝えられる。

1984年にマガジンハウス(1983年に平凡出版から社名変更)副社長に就任。1996年代表取締役相談役、1998年顧問に退く。

2013年11月19日、老衰のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去[5]。84歳没。

妻・甘糟幸子との間に一男一女がいる。長女・甘糟りり子は作家。

脚注 編集

  1. ^ a b 読売新聞、2014年2月8日、夕刊11面 追悼抄
  2. ^ 鎌倉で四季を感じ 家とともに人生重ねる カナロコ、神奈川新聞社
  3. ^ a b c d 湘南よみうり322号 湘南よみうり新聞社
  4. ^ 「ハマトラ」名付け親、甘糟章さん死去 ヨミドクター(読売新聞) 2013年11月26日
  5. ^ 「アンアン」など元編集長 甘糟章さん死去 朝日新聞、2013年11月25日