田村義冨
田村 義冨(たむら よしとみ、1897年6月8日 - 1944年8月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
田村 義冨 | |
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生誕 |
1897年6月8日 大日本帝国 山梨県 |
死没 |
1944年8月11日(47歳没) アメリカ合衆国 グアム島 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1919 - 1944 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集山梨県出身。実業家・田村濤二郎の四男として生まれる。陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、陸軍士官学校を卒業。兵科は歩兵科。陸軍大学校を優等で卒業し、陸軍省軍務局での勤務、フランス駐在を経験するなど順調に昇進を続けた。日中戦争に北支那方面軍の作戦主任参謀として出征した。太平洋戦争では、関東軍、大本営、中部太平洋方面艦隊と転任し、1944年7月、第31軍参謀長としてグアム島に赴任し、同地で激戦を続け、ついに部隊は玉砕し自決した。
年譜
編集- 1919年(大正8年)5月- 陸軍士官学校(31期)
- 1922年(大正11年)12月- 歩兵中尉
- 1927年(昭和2年)12月- 陸軍大学校卒業(39期・恩賜)
- 1928年(昭和3年)8月- 歩兵大尉・歩兵第1連隊中隊長
- 12月- 軍務局付勤務(軍事課)
- 1930年(昭和5年)3月- 軍務局課員
- 1932年(昭和7年)1月- フランス駐在
- 1933年(昭和8年)12月- 軍務局課員(軍事課)
- 1934年(昭和9年)3月- 歩兵少佐
- 1937年(昭和12年)8月- 歩兵中佐
- 1938年(昭和13年)7月- 北支那方面軍参謀
- 1939年(昭和14年)3月- 歩兵大佐
- 1940年(昭和15年)10月- 関東軍参謀
- 1943年(昭和18年)- 陸軍少将・関東軍補給監部参謀長兼関東軍総参謀副長
- 1944年(昭和19年)2月- 大本営参謀
栄典
編集- 外国勲章佩用允許
親族
編集脚注
編集- ^ 「吉野好武外九千三百五十七名満洲国勲章記章受領及佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113503900