白井 鳥酔(しらい ちょうすい、元禄14年(1701年) - 明和6年4月4日1769年4月28日))は、江戸時代中期の俳人

来歴Edit

上総国埴生郡地引の旗本知行所の郷代官を務める家に生まれる。本名は喜右衛門信興。享保6年(1721年)、家督を継ぐが、享保11年に弟に家督を譲り、剃髪して江戸に出た。佐久間柳居の門に入り、俳諧に専念する。柳居とともに天明の俳諧復興の魁となった。延享2年(1745年)秋に箱根塔ノ沢一の湯に湯治に滞在。延享3年(1746年)および翌年信州を訪れる。宝暦年間には、下野国松尾芭蕉も訪れた西行の遊行柳を訪ねる。明和3年(1766年)4月、鹿島神宮に芭蕉句碑を建立した。明和5年(1768年)3月、相模国大磯宿鴫立庵を再興し同所に住する。明和6年、江戸で69歳で没する。墓は品川区鮫洲の海晏寺千葉県長生郡長南町地引の正善寺に分骨墓がある。なお、五七日に集った門人たちは鳥酔の遺歯を分け合って、鳥酔と関わりのあった土地に供養することをそれぞれ約束し、現在でも鳥酔の供養塚がゆかりの地に残されている。

門人Edit