相田 長平(あいだ ちょうへい、1898年2月22日 - 1983年8月8日)は、日本の経営者富士電機製造社長、会長を務めた。

経歴

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栃木県出身[1]1919年神戸高等商業学校を卒業し、同年に富士電機製造(現在の富士電機)に入社[1]1946年に取締役に就任し、1953年12月に常務を経て、1964年11月に副社長に就任し、1965年に社長に昇格[1]1968年11月に会長を就任[1]

1968年4月に勲三等瑞宝章を受章[1]

1983年8月8日心不全のために死去[2]。85歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1981, あ52頁.
  2. ^ 1983年 8月9日 日本経済新聞 朝刊 p27

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第31版 上』人事興信所、1981年。 
先代
和田恒輔
富士電機製造社長
1965年 - 1968年
次代
前田七之進