石のカラト古墳(いしのからとこふん)は、奈良県奈良市神功・京都府木津川市兜台にある古墳。形状は上円下方墳。国の史跡に指定されている。

石のカラト古墳
Ishi-no-Karato Kofun, funkyu.jpg
墳丘
別名 カザハヒ古墳(風灰古墳)
所在地 奈良県奈良市神功1丁目
京都府木津川市兜台2丁目
(神功一丁目緑地・石のカラト古墳緑地内)
位置 北緯34度43分25.72秒 東経135度46分42.77秒 / 北緯34.7238111度 東経135.7785472度 / 34.7238111; 135.7785472座標: 北緯34度43分25.72秒 東経135度46分42.77秒 / 北緯34.7238111度 東経135.7785472度 / 34.7238111; 135.7785472
形状 上円下方墳
規模 上段:直径9.2m
下段:一辺13.8m
埋葬施設 横口式石槨(内部に漆塗棺か)
出土品 金銀玉・銀装大刀金具・金箔片・漆片・須恵器
築造時期 8世紀初頭
史跡 国の史跡「石のカラト古墳」
地図
石のカラト 古墳の位置(奈良市内)
石のカラト 古墳
石のカラト
古墳
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概要編集

奈良県北部・京都府南部、平城京北郊の平城山丘陵において、丘陵東斜面の棚状平坦地に築造された古墳である[1]。「カラト」の古墳名は、石室が唐櫃に似ることに由来するという[2]。これまでに盗掘に遭っているほか、1979年昭和54年)に発掘調査が実施されている[3]

墳丘は2段築成で[3]、版築による[4]。墳形は上段が円形で下段が方形の上円下方形で、上段は直径約9.2メートル・高さ約1.6メートル、下段は一辺約13.8メートル・高さ約1.2メートルを測る[2]。墳丘表面には川原石による葺石が認められる[3]。また墳丘周囲には暗渠・排水溝による排水施設が設けられている[3]。主体部の埋葬施設は横口式石槨(石棺式石室)で、南方に開口する。盗掘のため副葬品の多くは失われているが、調査では漆片(漆塗棺か)のほか金・銀玉などが検出されている[2]

この石のカラト古墳は、古墳時代終末期8世紀初頭頃[2]の築造と推定される。被葬者は明らかでないが、奈良時代に近い頃の貴族の墓と想定される点で重要視される古墳である[3]

古墳域は1996年平成8年)に国の史跡に指定された[5]。現在は復原整備のうえで公開されている。

来歴編集

埋葬施設編集

主体部の埋葬施設としては横口式石槨が構築されており、南方に開口する。石槨の規模は次の通り[3][1]

  • 長さ:2.6メートル
  • 幅:1.04メートル
  • 高さ:1.06メートル

石槨の構造は高松塚古墳明日香村)に類似する[3]。石槨は組合式で、凝灰岩の切石16枚(天井4・床4・側壁各3・奥壁1・扉石1)から構成される[3]。天井部は屋根形に刳り込まれている[3]

石槨内からは金製玉1・銀製玉1・銀装大刀金具類3・金箔片・黒漆断片が、墓道からは須恵器が検出されている[4]

文化財編集

国の史跡編集

  • 石のカラト古墳 - 1996年(平成8年)7月16日指定[5]

その他編集

江戸時代の「五ヶ村惣図」(享保9年(1724年))によると、大和国超昇寺郷と山城国相楽郡との間で山論が起きた際に、超昇寺郷が勝訴して相楽郡に舌状に張り出すこととなった。これが本古墳が奈良県と京都府にまたがることになった要因とされる。

脚注編集

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参考文献編集

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(奈良市教育委員会設置)
  • 犬木努「石のカラト古墳」『国史大辞典吉川弘文館
  • 「石のカラト古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301
  • 高島徹「石のカラト古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607
  • 石のカラト古墳」『国指定史跡ガイド』講談社 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連文献編集

(記事執筆に使用していない関連文献)

外部リンク編集