石井秀吉

日本の将棋棋士

石井 秀吉(いしい ひでよし、1883年頃[注釈 1] - 1941年11月2日[1])は、将棋棋士、七段[1]東京京橋生まれで深川育ち[1]川井房郷七段門下[2]

日本将棋連盟の物故棋士一覧に名前はないが、佐瀬勇次の師匠や「棋士系統図」[2]においてその名を確認することができる。

人物編集

将棋同盟会(後の将棋同盟社、日本将棋連盟の前身の一つ)に付け出し二段で加入し[1]、大正7年(1918年)四段[1]、大正11年(1922年)五段[1]、大正14年(1925年)に六段[1]に昇段した。

棋戦での活躍よりも、佐瀬勇次を代表とする弟子の輩出で知られており、後の将棋界において石井門下の系譜の棋士は極めて多い。日本将棋連盟の「棋士系統図」[2]においては、佐瀬以外に長谷川清二郎斎藤銀次郎大和久彪加藤恵三が弟子として掲示されている。佐瀬は、石井と同様にプロ棋士としての活躍は無かったが、米長邦雄丸山忠久高橋道雄木村一基西村一義田丸昇ら多くの優秀な弟子を輩出し、彼らからさらに多くの孫弟子(石井から見れば曾孫弟子)が輩出された。また、斎藤銀次郎の筋では、斎藤の孫弟子(石井から見れば曾孫弟子)にあたる所司和晴が多くの棋士を育てており、「平成の名門」と呼ばれている。

1941年11月2日に病没[1]享年59歳[1]。追贈七段[1]

著書編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 1941年の『将棋世界』誌の訃報[1]に、11月2日没で「享年59歳」とある。この享年が数え年であれば生年は1883年、満年齢ならば生年は1881-82年となる。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k 「石井七段逝く」『将棋世界』第5巻第12号、将棋大成会、1941年、 68頁。国立国会図書館デジタルコレクション、図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館限定公開)
  2. ^ a b c 棋士系統図”. 日本将棋連盟. 2019年8月17日閲覧。

関連項目編集