石神富士雄

日本の騎手・調教助手

石神 富士雄(いしがみ ふじお、1953年8月14日 - )は、福島県出身の元騎手調教助手

石神富士雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県
生年月日 (1953-08-14) 1953年8月14日(70歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 東京中村広(1974 - 1976)
東京→美浦・中村貢(1976 - 1988)
美浦・中村広(1988 - 1989)
美浦・大久保勝之(1989 - 1991)
美浦・フリー(1991 - 1992)
初免許年 1974年3月3日
免許区分 平地
騎手引退日 1992年5月2日
重賞勝利 1勝
通算勝利 154勝
テンプレートを表示

実子の深一、孫の深道は現騎手[1]

来歴 編集

1974年3月3日東京中村広厩舎からデビューし、中山第12競走5歳以上400万下・ヒメジジョー(14頭中8着)で初騎乗を果たす。同30日の中山第12競走5歳以上400万下・チュウオーモンドで初勝利を挙げ、秋は11月の地元福島開催で3勝と活躍。1年目の同年は6勝をマークし、2年目の1975年には10月25日の東京、12月13日の中山で1日2勝をマークするなど初の2桁となる15勝を記録。1976年には師匠・中村の実子である中村貢厩舎に移籍し、1977年は福島戦8勝を含む13勝をマーク。8勝は春秋4勝ずつ挙げてのものであり、春の4勝中3勝は特別勝ちであった。1978年は9勝と1年目以来の1桁に終わるが、9勝中4勝はゴールデンポートでマーク。同馬では同年のオールカマー3着、1979年京王杯SHメジロファントムを抑えて人馬共に唯一の重賞制覇を飾る。1979年から1982年まで4年連続2桁勝利を記録し、1980年皐月賞では13番人気のハワイアンジュエルで極悪の不良馬場の中を果敢に逃げ、ハワイアンイメージオペックホースと接戦を繰り広げた末、モンテプリンスに先着の3着と健闘。1982年には16勝中7勝を新潟戦で挙げ、ベルエアで関屋記念新潟記念で共に2着が入る。1983年からは1桁台に落ち着くが、1986年は秋の福島で2度の1日2勝を含む5勝と活躍するなど7勝を挙げ、1988年には師匠の中村広厩舎に復帰。1989年には大久保房松の長男である大久保勝之厩舎に移籍するが、1990年には自己最低の1勝に終わる。1991年にはフリーとなり、1992年1月12日の中山第3競走4歳未勝利・ムイビエンが最後の勝利となった。5月2日の東京第10競走箱根ステークス・アームバンガード(15頭中15着)が最後の騎乗となり、同年限りで現役を引退。

騎手成績 編集

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 154 185 194 1333 1866 .083 .182

主な騎乗馬 編集

  • ゴールデンポート(1979年京王杯スプリングハンデキャップ)
その他
  • ハワイアンジュエル(1980年皐月賞3着)

脚注 編集

  1. ^ 【障害GI連覇へ】石神深一騎手(3)『現状からの脱却 デビュー7年目での障害挑戦』