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石脇城

伊勢盛時が拠った静岡県焼津市の城。

石脇城(いしわきじょう)は、現在の静岡県焼津市石脇下字山崎にあった日本の城。1476年(文明8年)頃から1487年(長享元年)にかけて伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)が滞在した城とされる[1]

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石脇城
静岡県
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 今川氏または伊勢盛時
築城年 1476年(文明8年)前後?
主な改修者 不明
主な城主 伊勢盛時
廃城年 1487年(長享元年)頃?
遺構 土塁、曲輪、竪堀、虎口
指定文化財 未指定
登録文化財 未登録
再建造物 標柱、解説板あり
位置
地図
石脇城の位置(静岡県内)
石脇城
石脇城

概要編集

静岡県中部、静岡平野志太平野を分断する山塊の一峰、高草山の南側山裾から、瀬戸川沖積地へ張り出す標高20~30メートルの小丘を縄張とする平山城である。曲輪があった平坦面は「城山八幡宮」と「大日堂」と言う寺社の堂宇が建てられているが、その背後などに腰曲輪、土塁竪堀虎口などの遺構が残存する[2][3]

伊勢盛時(北条早雲)は、駿河守護今川義忠の正室北川殿の弟(または兄)であり、1476年(文明8年)に今川義忠が戦死し後継争いの内紛が発生した際、幕府の命により駿河に下向している。伊豆国江梨郷の鈴木氏文書に『早雲寺殿様、駿州石脇御座候[4]』とあることから、当城が盛時の居城であったと考えられている[5]

盛時は義忠の子・龍王丸(今川氏親)の擁立に成功し、1487年(長享元年)には龍王丸の政敵小鹿範満を討って富士郡下方荘を与えられ、駿河東部へ移動したと考えられることから、石脇の廃城はこの頃と考えられているが[6]、引き続き当城に居住したとする説もある[7]

脚注編集

  1. ^ 平井ほか 1979 pp.125
  2. ^ 静岡県教育委員会 1981 pp.253-254
  3. ^ 水野 2012 pp.188
  4. ^ 『焼津市史資料編』 2006 史料88
  5. ^ 水野 2012 pp.188
  6. ^ 平井ほか 1979 pp.125
  7. ^ 黒田 2013 pp.21

参考文献編集

  • 平井聖ほか編修 1979 「石脇城」『日本城郭大系第9巻 静岡・愛知・岐阜』新人物往来社 pp.124-125
  • 静岡県教育委員会文化課編 1981 「石脇城」『静岡県の中世城館跡(静岡県文化財調査報告書 第23集)』 pp.253-254
  • 焼津市史編纂委員会 2006 『焼津市史』資料編2(史料88)焼津市
  • 水野茂 2012 「石脇城」『静岡県の城跡-中世城郭縄張図集成-』『静岡県の城跡』編纂委員会 pp.188
  • 黒田基樹 2013 「伊勢宗瑞論」『第10巻 伊勢宗瑞』(シリーズ中世関東武士の研究)戎光祥出版 pp.21

関連項目編集