石谷 清定(いしがや きよさだ)は、江戸時代中期の旗本

 
石谷清定
時代 江戸時代中期
生誕 延宝8年(1680年
死没 宝永元年10月8日1704年11月5日
別名 兵四郎
戒名 玄透
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川綱吉
氏族 久松氏石谷氏
父母 父:久松定矩、母:加藤吉次
養父:石谷清長
兄弟 義弟:清夤
石谷清長養女(石谷清信娘)
市三郎
養子:清夤
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生涯 編集

久松定矩の息子であったが、石谷清長の養子となり清長の娘を妻として名跡を継ぐ。元禄14年(1701年)9月15日に徳川綱吉に初めて拝謁し、宝永元年(1704年)2月27日に石谷清長の跡を継いだが、同年10月8日に歿した。

参考文献 編集