砥平郡(チピョンぐん、しへいぐん、朝鮮語: 지평군)は、現在の京畿道楊平郡の砥平面・龍門面・丹月面一帯にあった行政区域[1]

1908年楊根郡と合併して楊平郡となった[2]

沿革 編集

元は高句麗砥峴県であったが、新羅景徳王砥平県と改めて、朔州郡朝鮮語版(現春川市)領県になった[1]

高麗顕宗9年(1018年)に広州の属県になった[1]

李氏朝鮮時代、1685年粛宗11年)に楊根郡に入ったものの、1688年(粛宗14年)には旧に復して再び砥平県になった[1]

1895年高宗32年)、春川府砥平郡に改編され[3]、1896年(建陽元年)には、また京畿道砥平郡に改編された[4]ものの、1908年9月に楊根郡と合併し楊平郡に改編された[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 지평 砥平」(朝鮮語)『增補 새國史事典 (ENCYCLOPEDIA OF KOREAN HISTORY [증보] 새 국사사전)』(増補1版12刷)敎學社ソウル、1996年。ISBN 8909005068 
  2. ^ a b 勅令第69号 郡を合わせるのに関する案件(: 칙령 제69호 군을합치는데관한안건(勅令 第六十九號 郡을合치는데關한案件)
  3. ^ 勅令第98号 地方制度の改定に関する案件(: 칙령 제98호 지방제도의개정에관한안건(勅令 第九十八號 地方制度의改定에關한案件)
  4. ^ 勅令第36号 地方制度と官制改定に関する案件(: 칙령 제36호 지방제도와관제개정에관한안건(勅令 第三十六號 地方制度와官制改定에關한案件)