清で貢生となる。1890年(光緒16年)、国子監で学ぶ。翌年から、主に黒竜江において政治的経歴を積み重ね、主に事務、文書起草の任に就いた。1905年(光緒31年)、黒竜江将軍を署理し、1907年(光緒33年)、黒竜江巡撫を署理する。1909年(宣統元年)、奉天巡撫に任命された。1910年(宣統2年)、江蘇巡撫に異動した。
辛亥革命勃発後の1911年(宣統3年)11月、程徳全は周囲から推戴され、江蘇都督となる。1912年(民国元年)1月3日に南京臨時政府が成立すると、その内務部総長に任命された。その同日、中国同盟会を離脱した章炳麟(章太炎)・張謇らと中華民国連合会(後の統一党)を組織している。4月、臨時大総統に就任した袁世凱から、改めて江蘇都督に任命される。5月、統一党は民社と合併して共和党となったが、程徳全は章太炎と不和になり、共和党から離党した。
1913年(民国2年)の二次革命(第二革命)では、程徳全は江蘇省の独立を宣言した。しかし、まもなく上海に赴くなどして、実際の活動は乏しかった。同年9月、二次革命の敗北とともに、江蘇都督を辞任した。これにより政界から引退し、以後は上海で仏門に入った。
1930年(民国19年)5月29日死去。享年71。