程 徳全(てい とくぜん)は、清末民初の政治家。中華民国の初代江蘇都督。純如。号は雪楼本良。法名は寂照本貫江蘇省蘇州府呉県

程徳全
プロフィール
出生: 1860年咸豊10年) 
死去: 1930年民国19年)5月29日
中華民国の旗 中華民国上海市
出身地: 清の旗 四川省夔州府雲陽県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 程德全
簡体字 程德全
拼音 Chéng Déquán
ラテン字 Ch'eng To-ch'üan
注音二式 Chéng Déchiuán
和名表記: てい とくぜん
発音転記: チョン ドーチュエン
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事跡

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清で貢生となる。1890年光緒16年)、国子監で学ぶ。翌年から、主に黒竜江において政治的経歴を積み重ね、主に事務、文書起草の任に就いた。1905年(光緒31年)、黒竜江将軍を署理し、1907年(光緒33年)、黒竜江巡撫を署理する。1909年宣統元年)、奉天巡撫に任命された。1910年(宣統2年)、江蘇巡撫に異動した。

辛亥革命勃発後の1911年(宣統3年)11月、程徳全は周囲から推戴され、江蘇都督となる。1912年民国元年)1月3日に南京臨時政府が成立すると、その内務部総長に任命された。その同日、中国同盟会を離脱した章炳麟(章太炎)・張謇らと中華民国連合会(後の統一党)を組織している。4月、臨時大総統に就任した袁世凱から、改めて江蘇都督に任命される。5月、統一党は民社と合併して共和党となったが、程徳全は章太炎と不和になり、共和党から離党した。

1913年(民国2年)の二次革命(第二革命)では、程徳全は江蘇省の独立を宣言した。しかし、まもなく上海に赴くなどして、実際の活動は乏しかった。同年9月、二次革命の敗北とともに、江蘇都督を辞任した。これにより政界から引退し、以後は上海で仏門に入った。

1930年(民国19年)5月29日死去。享年71。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  
先代
達桂(ダグイ)
黒竜江将軍
1905-1907
次代
-
先代
段芝貴
黒竜江巡撫
1907-1908
次代
周樹模
先代
唐紹儀
奉天巡撫
1909-1910
次代
-
先代
宝棻
江蘇巡撫
1910-1911
次代
張勲
   中華民国北京政府
先代
(創設)
江蘇都督
1911年11月 - 1913年9月
次代
張勲