稲葉宿
美濃路の宿場
概要編集
清須城主・織田信雄が、小牧・長久手の戦いの前に造らせたのが、この街道の起源とされる。
江戸時代に脇街道 美濃路の4番目の宿場となる。
今は本陣跡と問屋場跡に石碑が建つのみだが、古い町並みがよく残っている。
また中問屋場があった付近には津島道と交差していたことが分かる石碑があり、その近辺には札ノ辻の地名が残っている。
初めは稲葉村だけで宿場を構成していたが、後に小沢村が加宿となった。
1869年(明治2年)の稲葉騒動では、この宿場への打ちこわしから始まり、やがて西尾張全域に拡大していった。
1875年(明治8年)には当宿を構成していた稲葉村と小沢村の名から1字ずつとって稲沢村となり、のちの稲沢町、稲沢市となっていった。
近代から昭和にかけても、稲沢銀行や稲沢電気が置かれるなど市の商業地区として賑わいをみせた。
当宿から400mほど北には稲葉神社があるが、これは1958年(昭和33年)10月に伊奈波神社、熊野・白山社、日吉社の3社を合祀して伊奈波神社としたものを、さらに1959年(昭和34年)に当地の名前に掛けて現名称に改称したものである。
現在では、老舗の多い商店街として、メディアにたびたび紹介されている。
最寄り駅編集
史跡・みどころ編集
稲葉宿の史跡・みどころ編集
- 本陣跡
- 以前は石碑が尾張農林水産事務所 農業改良普及課稲沢駐在室の敷地内にあったが、当室の廃止に伴い、撤去されている。
- 問屋場跡
- 記念碑に稲葉宿に関する説明がある。
- 禅源寺
- 宝光寺
萩原宿までの史跡・みどころ編集
- 高木橋
- 光堂川にかかる。かつては「光堂橋」という土橋であった。