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立川陸軍航空工廠、又は陸軍航空工廠(たちかわりくぐんこうくうこうしょう、りくぐんこうくうこうしょう)は、東京都立川市昭島市にまたがって存在した大日本帝国陸軍の航空施設である。主に陸軍航空工廠という名で呼ばれる。立川飛行場に隣接していた。近くにあった立川飛行機とは別の組織である。

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 表示ノート編集履歴 
2014年10月現在の立川陸軍航空工廠跡地
航空工廠の碑
残堀川沿いにあった三本煙突
昭島市側にあった煙突跡。
三本煙突があった場所。2014年9月頃解体され現存しない

概要編集

主に陸軍航空機の製造・改造を目的としていた。 これとは別に立川陸軍航空廠という施設が存在した。これは航空機の補修を主な目的としており、立川や調布、柏など各地の飛行場に分廠が置かれていた。 戦後はアメリカ軍の立川基地として立川飛行場と一つにされた。

歴史編集

1940年(昭和15年)4月1日、名古屋陸軍造兵廠の航空発動機部隊が立川に移転し発足[1]。 製造したものは航空機用発動機、偵察機、試作機や量産改良型機など[1]

傍を通る青梅線中神駅から引込線が敷設され、1942年(昭和17年)には東中神駅が開業した。

後述のように周囲に軍事施設が集中した立川市はほぼ全域が1945年(昭和20年)2月16日以降の立川空襲の標的になった。また、4月4日の空襲では山中坂にあった防空壕に爆弾が直撃し、多数の死傷者を出した(山中坂の悲劇)[2]立川飛行機昭和飛行機など、航空機開発製造を担ってきた企業の工場も隣接し、各航空機関連企業、陸軍航空技術研究所で開発し、当工廠で試作して立川飛行場でテスト飛行するという流れもあったようである[3]

1944年(昭和19年)になると空襲に備えるためと生産力の向上を目的に、金沢駅近くにあった大和紡績の土地を買い上げ、発動機部門の大部分を疎開した[4]

1945年(昭和20年)廃止。

廃止後編集

 
左側の残堀川を跨いだ森林地帯が立川陸軍航空工廠跡地。開発されていないことが分かる。青梅線を跨いだ現在の昭和公園は、陸軍航空廠立川支廠跡

1945年(昭和20年)8月15日の敗戦後、立川飛行場とともに米軍に接収される。航空機修理・組立工場の他に洗濯工廠や死体処理場、居住区域などに転用され、1977年(昭和52年)11月30日の飛行場全面返還と同時に返還された。それから30年以上処分留保地とされ廃墟森林と化していた。

2013年(平成25年)9月27日から始まった立川基地跡地昭島地区土地区画整理事業により、国際法務総合センターの建設工事や宅地化・公園整備工事が始まっている。工区は都道153号線を境に北工区と南工区に分けられ、工事は南工区から開始された。南工区では2014年4月に不発弾が見つかり、自衛隊による処理も行われた[5]。 北工区においては、2012年現在6本残っていた煙突のうち2本は2013年2月頃に解体(同時に洗濯工廠の建物やエンジンテストの台座、変電施設、職員アパートなど多くの建物も姿を消した)。また、この廃墟の象徴的存在であった三本煙突は2014年9月頃に解体された。これにより北工区の建造物は昭島口近くの地下暖房用蒸気発生槽の煙突と昭和記念公園西交差点の近くにある一軒の米軍ハウスが現存するのみとなった。なお南工区においては、松任谷由実の「LAUNDRY-GATEの想い出」でも歌われた洗濯工廠の正門跡が唯一残っていたが、工事開始と共に解体され基地時代の構造物は残っていない。

 
蒸気発生槽の煙突

未だに国有地だが、立川市のゴミ処理問題の解決策の一つとして新しいゴミ焼却場の建設予定地になったり[6]、都有地や地元地方公共団体の土地に分割される可能性がある。

登場作品編集

鉄道遺構 編集

青梅線中神駅から引込線が引かれていた。現在は「中神引込線通り」として残っている。

関連項目編集

出典編集

脚注編集

  1. ^ a b この悲しみをくり返さない -立川空襲の記録 第三巻. けやき出版. (1982). p. 289. 
  2. ^ 立川市における戦災の状況(東京都)”. 2016年6月5日閲覧。
  3. ^ この悲しみをくり返さない -立川空襲の記録 第三巻. けやき出版. (1982). p. 290. 
  4. ^ この悲しみをくり返さない -立川空襲の記録 第三巻. けやき出版. (1982). p. 291. 
  5. ^ 立川基地跡昭島地区、不発弾処理で公道規制も-5月29日
  6. ^ 立川基地跡地昭島地区のまちづくりについて