立花 種武(たちばな たねたけ、寛延3年(1750年[1] - 安永9年12月13日1781年1月7日))は江戸時代後期の旗本筑後国三池藩主家立花氏立花種澄を家祖とする分家当主。は種武。幼名は寿丸、富丸。通称は求馬、丹下、左兵衛。養父は立花達好、実父は三池藩主立花長煕。正室は黒田直巷(兵庫)の娘。継室は畦柳武徳(助九郎)の娘。養子は立花種郷。実子は種郷の妻。

生涯

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立花長煕の6男として出生。同母兄に立花種周安部信旨が、同母弟に堀直皓がいる。

明和6年8月5日1769年9月15日)に養父の隠居を受けて、旗本立花家の家督を継ぎ、翌明和7年(1770年)に書院番士となる。

しかし、安永9年(1780年)に養父の死から1か月経たないうちに死去。墓所は下谷広徳寺享年31。法名は宗方。

実子は娘1人であるため、甥で安部信旨の二男の種郷が婿養子として跡を継ぐ。

脚注

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  1. ^ 寛政重修諸家譜記載の享年からの逆算

参考文献

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  • 『新訂寛政重修諸家譜 第2』(続群書類従完成会、1964年)
    • 寛政重修諸家譜 巻第百十三