符 存審(ふ そんしん、862年 - 924年)は、末から五代十国時代の武人。本名は存。は徳詳。陳州宛丘県の人。李克用仮子となり、民間伝承や小説『残唐五代史演義』の中では配下の「十三太保」の1人として知られた。

生涯編集

陳州の牙将の符楚の子。知勇兼備と賞された。初め、光州刺史李罕之に従い、小校を任された。李罕之が張全義に逐われると、符存は李克用に投じて仮子となり、李存審と改名した。李克用に従って、軍功により検校太保、忻州刺史、蕃漢副総管に進んだ。柏郷の役で、太原留守に任じられた。後梁貞明4年(918年)、胡柳陂の役で銀槍兵を率いて奮戦し、李存勗軍の頽勢を挽回した。

後唐の時代、盧龍節度使、検校太師、中書令が加えられた。ところが、その功績が郭崇韜に嫉妬されたので、病を理由に休職した。翌年、宣武軍節度使、諸道蕃漢馬歩総管に任じられたが、入朝前に幽州で死去した。

四男の符彦卿中国語版の娘のうち、2人は後周世宗の皇后(宣懿皇后宣慈皇后)になった。またもう1人が北宋太宗の妻(懿徳皇后)になった。

伝記資料編集