第1回極東選手権競技大会
第1回極東選手権競技大会(だい1かいきょくとうせんしゅけんきょうぎたいかい)は、1913年2月1日から9日まで、フィリピンのマニラにおいて[1]、東洋オリンピック(極東オリンピックとも)として開催された。
第1回極東選手権競技大会 | |
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開催都市 |
![]() マニラ |
参加国・地域数 | 6 |
開会式 | 1913年2月1日 |
閉会式 | 1913年2月9日 |
開会宣言 |
ウィリアム・キャメロン・フォーブス フィリピン総督 |
主競技場 | マニラ・カーニバル・グラウンド |
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会場編集
- マニラ・カーニバル・グラウンド
参加国・地域編集
実施競技編集
日本選手団編集
今大会の日本選手団の派遣には大日本体育協会は関与せず、野球の代表として明治大学硬式野球部(中澤不二雄が出場)と、陸上競技の代表として毎日新聞社派遣による選手2人が出場した[2]。陸上競技日本代表の田舎片善次(愛知一中)と井上輝二は、5マイル走で1位と2位を獲得、田舎片は1マイル走でも優勝した[2]。
脚注編集
- ^ “Olympiad in the Far East”. Boston Evening Transcript. (1913年4月22日) 2016年8月31日閲覧。
- ^ a b 杢代 2018, p. 262.
参考文献編集
- 杢代哲雄 『評伝 田畑政治 オリンピックに生涯をささげた男』国書刊行会〈新装版〉、2018年6月25日、289頁。ISBN 978-4-336-06267-3。