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翔鶴丸(しょうかくまる)は、幕府海軍、後に大日本帝国海軍の運送船である。日本海軍艦籍の第2号。

概要編集

前身は1857年アメリカで建造された商船「ヤンチー」(Yangtse、揚子)。外輪式蒸気船であった。1864年初頭(文久3年末)に、当時本船を所有していたイギリスの船会社から、江戸幕府が購入した。

幕府海軍では運送船とされたが、若干の武装を施して運用された。1864年2月5日(文久3年12月27日)には、参与会議に出席するために上洛する将軍の徳川家茂を乗船させ、品川沖に集結した幕府・諸藩連合艦隊の旗艦となった。勝海舟の指揮の下で暴風雨を突破して大坂への航海に成功している。同年9月(元治元年8月)には、小栗忠順の交渉で、横浜停泊中のフランス軍艦乗員による修理を受けた。この際のフランス側の作業の誠実さゆえ、幕府はフランスを強く信頼するようになり、以後の親密な幕仏関係の端緒となった。第二次長州征討では佐々倉桐太郎を艦長として実戦出動し、屋代島(周防大島)上陸作戦や小倉口の戦いで陸上砲撃等を行った。鳥羽・伏見の戦いでも、榎本武揚艦隊の1隻として大阪湾の海上封鎖に加わった。

1868年(慶応4年)に、大政奉還後の旧幕府から明治政府へ、「朝陽丸」「観光丸」「富士山」とともに上納された。日本海軍艦籍の第2号となる(第1号は「朝陽丸」)。さっそく戊辰戦争では明治政府方で使用されたが、その年の11月に大阪から東京への兵員輸送の途中、伊豆の網代湾で沈没した。

艦歴編集

  • 1857年(安政4年)アメリカ・ニューヨークで竣工。元名「揚子(ヤンチー)」
  • 1864年(文久3年)幕府が英デント社より購入。
  • 1868年(慶応4年)4月11日幕府より上納。
    • 4月28日正式に国有となる。
    • 11月網代湾で沈没。

要目編集

木造蒸汽外車船

  • 排水量:350t

参考文献編集

  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年

関連項目編集