富士山 (スループ)

富士山(ふじやま)は元幕府海軍所属、日本海軍軍艦[4]1887年(明治20年)までの日本海軍の正式艦名は富士山艦[3]。 艦名は富士山から採られた[4]

富士山
FujisanWarship.jpg
基本情報
建造所 ウェスター・ウェルト会社[1]
(アメリカ・ニューヨーク市[2])
運用者 江戸幕府[2]
明治政府(1868年-)[2]
兵部省・日本海軍
艦種 スループ[2]
建造費 購入費:240,000ドル[3]
艦歴
発注 文久2年(1862年)[2][注釈 1]
竣工 元治元年(1864年)建造[2][1]
就役 慶応元年(1866年)[4]
除籍 1889年5月10日
その後 1896年8月売却[4]
要目
排水量 1,000英トン[2]
長さ 224 ft (68.28 m)[2][注釈 2]
または 210尺3寸[5](約63.73m)
33 ft (10.06 m)[2]
または 32尺4寸[5](約9.82m)
深さ 15尺[6](4.55m)
吃水 11 ft 6 in (3.51 m)[2]
または前部11尺(約3.33m)、後部12尺(約3.34m)
ボイラー 円缶 2基[5]
主機 直動機関 2基[7]
推進 青銅2翼[1]スクリュー[2] 2軸[5]
出力 180名馬力[6][2](350IHP[4])
または推定:360馬力[5][7]
帆装 竣工時:2檣
機関撤去後:3檣シップリッグ型[2]
速力 8ノット[3]
燃料 石炭:400,000[1](約240.42トン[注釈 3])
航続距離 燃料消費:40,000斤/日[6]
乗員 慶応4年1月定員:231名[8]
明治元年4月乗員:士官以上27名[9]、船員175名[10]
明治元年:134人[6]
1885年12月定員:142名、練習水兵最大160名[11]
兵装 1868年:大砲 12門[10]
その他 船材:[4]
信号符字:GQBN[12]
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概要編集

1862年10月14日(文久2年閏8月21日)、幕府は米国に対しスループ2隻およびガンボート1隻を発注した。 富士山丸はその最初の1隻として1864年6月に完成したが、下関戦争の勃発によりリンカーン大統領は富士山丸の出航を差し止め、その他の軍艦の製造も中止された。 結局、富士山丸が日本に到着したのは1866年1月23日(慶応元年12月7日)であった。[要出典]

1868年(慶応4年)に幕府から朝陽丸翔鶴丸観光丸と共に明治政府へ上納されたため、日本海軍創始となる艦である[3]戊辰戦争では他艦と協力して咸臨丸を捕獲している[3]1871年(明治4年)より海軍兵学寮(後の海軍兵学校)の初代練習艦となった[3]

艦型編集

二檣(機関撤去後は三檣)[注釈 4] シップリッグ型(またはバーク型)木造スループである[2]

主機は文献に「ヂレクトエクチーブエンジン(Direct active engine[7])」(直動機関)とあり、気筒径は40インチ、行程は28インチ1/2[5]。 これを2基装備し、2軸推進だった[5]。 ボイラーは円缶2基を装備した[5]1876年(明治9年)10月機関は撤去された[4]

艦歴編集

元治元年(1864年)アメリカ・ニューヨークで竣工(幕府発注)[3]慶応元年12月7日(1866年1月23日)横浜に到着。[要出典]横浜で幕府が受領[2]慶応2年6月(1866年7月から8月)第二次長州征討に出動。 6月大島口の戦いに参戦。 7月(1866年8月から9月)小倉口の戦いに参戦。[要出典]

慶応4年4月11日(1868年5月3日)幕府より上納[3](献納[2])。 4月28日(新暦5月20日)正式に国有となる[3](引渡[14])。 9月18日(新暦11月2日)に富士山武蔵飛龍丸清水港咸臨丸を捕獲した[3][15]

明治4年(1871年)海軍兵学寮練習艦となる[3]。 11月15日(1871年12月26日)、富士山の等級は4等艦(150馬力以上の蒸気船、乗組120人以上の軍艦[16])に定められた[17]

明治3年7月(1870年8月頃)に普仏戦争が勃発し、中立を守るために太政官は7月28日(新暦8月24日)に小艦隊3隊を編成、春日丸富士山摂津の3隻は赤塚源六(富士山乗艦の予定)の指揮で兵庫港に派遣された[18][19][20]。 翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備は解かれた[21]

1874年(明治7年)11月20日、3等艦(170人以上乗組の軍艦[22])に改められた[23]

1876年(明治9年)10月機関を撤去[4]。撤去跡の艦中央部に大檣を設置し、三檣となる。

1880年(明治13年)1月繋泊練習艦[4]

1885年(明治18年)12月運用術練習艦[4]

1889年(明治22年)5月除籍[4][24]呉鎮守府海兵団所属、後に呉水雷隊敷設部へ所属替え[4]。 9月10日雑役船となる[3]1896年(明治29年)8月19日売却認許[25]

艦長編集

富士山
富士山艦
  • 谷村昌武
  • (船将)石井忠売:明治2年8月(1869年9月頃)[26] -
  • (船将)小谷小吉:明治2年11月10日(1869年12月12日)[27] -
  • (艦長代)兼坂肇 大尉:明治4年7月27日(1871年9月11日)[28] - 11月[29]
  • 本山漸 中佐:1877年11月1日 - 1878年3月4日[30]
  • (兼)有地品之允 中佐:1878年6月3日 - 1879年8月19日[31]
  • 児玉利国 少佐:1882年4月4日 - 1884年5月19日[32]
  • 杉盛道 中佐:1884年5月19日 - 1886年5月10日[33]
  • 尾形惟善 中佐:1886年5月10日 - 1886年12月28日[34]
  • 浅羽幸勝 大佐:1886年12月28日 - 1889年1月24日[35]
  • 野村貞 大佐:1889年1月24日 - 1889年5月15日[36]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ #帝国海軍機関史(1975)別冊表2では、1864年に注文とされている。
  2. ^ #M1公文類纂拾遺/軍艦引渡日限の為田安家へ達他画像3-4の軍艦目録では長さ約31間、幅5.5間となっている。
  3. ^ 1斤=0.60105184kgとして換算
  4. ^ 機関撤去前の本艦の絵画[13]による。

出典編集

  1. ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)別冊表2
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #日本近世造船史明治(1973)p.81
  3. ^ a b c d e f g h i j k l #銘銘伝(2014)pp.105-108、富士(ふじ)
  4. ^ a b c d e f g h i j k l #艦船名考(1928)pp.4-5、「4 富士山 ふじやま Fuziyama. 冨士 ふじ Fuzi.」
  5. ^ a b c d e f g h #帝国海軍機関史(1975)p.216、富士山艦ノ機関
  6. ^ a b c d #M1-M9海軍省報告書画像7、明治元年戊辰艦船総数表
  7. ^ a b c #帝国海軍機関史(1975)別冊表1
  8. ^ #帝国海軍機関史(1975)上巻pp.201-202人、乗員定員表。 船将(代軍艦役)1人、 船将次官(軍艦役)1人、 軍艦役竝勤方一等2人、 軍艦取調役2人、 軍艦役竝勤方二等7人、 医師2人、 軍艦役竝勤方三等1人、 下役2人、 手伝医師2人、 当分出役3人(以上士官)、 水夫小頭・火焚小頭9人、 平水夫・平火焚・銃卒195人、 大工2人、 鍛冶2人。
  9. ^ #M1公文類纂拾遺/軍艦引渡日限の為田安家へ達他画像7-8、軍艦乗組人員
  10. ^ a b #M1公文類纂拾遺/軍艦引渡日限の為田安家へ達他画像3-4、軍艦目録
  11. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.1-1、明治18年12月25日(丙72)扶桑外十八艦定員
  12. ^ #公文類聚10編33巻 画像1『二月十八日 逓信省海軍艦船及西洋形商船ニ信号符字ヲ點付ス 逓信省達 第八号本年一月中海軍艦船及ヒ西洋形商船左ノ通信号符字ヲ點付ス十九年二月十八日 海軍艦船ノ部 信号符字 艦名 砲數 GCEC 龍驤Ru-jo 六 GQBF 筑波Tsuku-ba 八 GQBJ 春日Kasuga 五 GQBL 鳳翔 Hosyo 四 GQBN 富士山 Fujiyama 十二 GQBR 孟春Mo-shun 四 信號符字 艦名 砲數 GQBU 東Aduma 三 GQBH 日進Nisshin 七 GQBK 雷電Raiden 四 GQBM 石川Ishi-kawa 二 GQBP 天城Ama-ki 六 GQBS 清輝Sei-ki 六』
  13. ^ 船の科学館所蔵・『世界の艦船』2007年3月号(NO.671)66頁及び2007年9月号(NO.679)114頁掲載
  14. ^ #M1公文類纂拾遺/富士外3艦引渡済画像1、兵部省書類妙録91『軍艦之儀去ル二十四日申上候通 富士 朝陽 翔鶴 観光 右之船々昨二十八日海軍御総督御附属濱野源六立合之上無滞御引渡相済申候此段御届申上候以上 田安中納言 四月二十九日 慶頼』
  15. ^ #M1-M9海軍省報告書画像4-6、明治元年戊辰(慶応4年9月8日改元)軍防事務局 軍務官。
  16. ^ #海軍制度沿革8(1971)pp.48-49、明治4年10月28日(兵部省)海軍諸則
  17. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.58、明治4年11月15日(兵部省146)
  18. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.7、明治3年7月28日(太政官)。
  19. ^ #帝国海軍機関史(1975)上巻p.290
  20. ^ #M1-M9海軍省報告書画像13、明治3年7月。
  21. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.33、明治4年3月7日(御沙汰)諸港守備ノ軍艦ヲ解クノ件「兵部省 諸港守衛トシテ出張之軍艦解備被仰付候間帰艦之儀其省ヨリ可相達候事」
  22. ^ #海軍制度沿革8(1971)pp.51-52、明治6年8月24日(甲171)海軍概則及ヒ俸給制
  23. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.58、明治7年11月20日(記3套85)
  24. ^ #M22公文備考3/艦船画像71、明治22年5月22日横鎮第2095号の3 「将旗掲揚○○儀乃届 運用術練習艦富士山ソノ役務ヲ解カレ 艦籍○除名セラレ折ニ付き○○○午前第八 時分品海○将旗掲揚○○○○○○○○届○○也 明治二十二年五月十二日 横須賀鎮守府司令長官○○○○○ 海軍大臣伯爵西郷○○殿」
  25. ^ #M29公文備考6/富士山肇敏浅間他売却下付等(2)画像1、明治29年8月19日官房第3431号。
  26. ^ #M1-M9海軍省報告書画像10、明治二年己巳 軍務官 兵部省、8月。
  27. ^ #M1-M9海軍省報告書画像10-11、明治二年己巳 軍務官 兵部省、11月。
  28. ^ #M4公文類纂11/兼坂大尉冨士艦長代外件々達画像1、海軍所達留174「海軍大尉兼坂肇 富士艦長代申付候事 辛未七月廿七日 兵部省」
  29. ^ #M5公文類纂23/癸3号大日記 兼坂肇申出 免職に付賑恤金御渡方画像1
  30. ^ 『日本海軍史』第10巻、504頁。
  31. ^ 『日本海軍史』第9巻、94頁。
  32. ^ 『日本海軍史』第10巻、62頁。
  33. ^ 『日本海軍史』第10巻、144頁。
  34. ^ 『日本海軍史』第9巻、727頁。
  35. ^ 『官報』第1670号、明治22年1月25日。
  36. ^ 『日本海軍史』第10巻、327頁。

参考文献編集

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。(国立公文書館)
    • 『公文類聚・第十編・明治十九年・第三十三巻・運輸三・船舶車輌・津港・河渠・橋道』。Ref.A15111235500。(国立公文書館)
    • 『明治元年 公文類纂 拾遺完 本省公文/兵部省書類鈔録 軍艦引渡日限の為田安家へ達他2件』。Ref.C09090008400。
    • 『明治元年 公文類纂 拾遺完 本省公文/兵部省書類鈔録 富士外3艦引渡済田安家届』。Ref.C09090008500。
    • 『公文類纂 明治4年 巻11 本省公文 黜陟部8/海軍諸達 兼坂大尉冨士艦長代外件々達』。Ref.C09090287700。
    • 『公文類纂 明治5年 巻23 本省公文 理財部8止/癸3号大日記 兼坂肇申出 免職に付賑恤金御渡方』。Ref.C09110609200。
    • 『明治22年 公文備考 演習 艦船 水路 巻3/艦船』。Ref.C06090880900。
    • 『明治29年 公文備考 艦船4止 巻6/旧石川農商務省へ譲渡1件并旧富士山旧肇敏旧浅間其他売却及下付等の件(2)』。Ref.C06091058800。
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻四の1』明治百年史叢書 第175巻、原書房、1971年11月(原著1939年)。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5
  • 造船協会『日本近世造船史 明治時代』明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
  • 官報

関連項目編集