肝属地方風水害(きもつきちほうふうすいがい)は[4]昭和13年1938年)10月に鹿児島県で発生した台風が要因の水害[1][2]。肝属半島(大隅半島)の肝属川で発生[5][6]。「肝属水害」[6]、「肝属川水害」と呼ばれることもある[1]

肝属地方風水害
発災日時 1938年10月14日-10月15日
被災地域 日本の旗 鹿児島県
気象記録
最多雨量 高山観測所で400 mm
人的被害
死者
(国土交通省)304人
または(鹿児島大学)310人
行方不明者
(国土交通省)131人
または(鹿児島大学)125人
負傷者
(国土交通省)628人
または(鹿児島大学)629人
建物等被害
全壊
(国土交通省)1,532棟
または(鹿児島大学)1,969棟
半壊
1,397棟
浸水
(国土交通省)5,067棟
または(鹿児島大学)10,568棟
被害総額
約3,600万円
時価)
出典: 鹿児島大学[1]国土交通省[2]、高山川水害史碑[3]
テンプレートを表示

経過

1938年10月8日、フィリピン東方にて台風が発生した[1]。14日の午後6時、屋久島西方の海上を通過[1]。15日の午前2時ごろ、台風の中心が屋久島に到達[1]。15日の午前6時に種子島東岸から東北東へ通過[1]。台風は16日に八丈島の西方にて消滅した[1]

屋久島雨量観測所の記録では、最低気圧が15日午前2時の730.2mmHg(973.52hPa)、最強風速が午前3時の毎秒33メートルであった[1]

被害

10月14日から15日の間に屋久島種子島を通過した際、時速10キロメートルから15キロメートルの速度であった[1]。14日夜の一晩の間に400ミリメートルを超える豪雨が短時間に局地に集中したことが問題となり[1]、大隅半島の南部は24時間雨量が400ミリを超えた[6]。鹿屋観測所では1日雨量が389ミリメートル、高山観測所では1日雨量が400ミリメートルを記録した[2]肝属川水系の10か所の堤防が決壊するなど、甚大な被害が発生した[6][1]。特に被害が大きかったのは、高山町姶良村内之浦町であった[1]鹿児島大学によると死者310人、行方不明者125人で計435人、重傷者629人の被害者が出た[1]。しかし国土交通省によると死者304人、行方不明者131人、負傷者628人とされている[2]。鹿児島大学によると流出全壊の家屋が1,969棟、半壊が1,397棟、浸水家屋が10,568棟を記録し[1]、国土交通省によると流出及び半壊家屋が1,532戸、浸水家屋が5,067戸とされている[2]。被害総額は当時で約3,600万円にのぼり、そのうち農業関係が約2,000万円を占めた[1]

錦江町の田代小学校では、裏山の土砂崩れにより木造校舎が破壊[6]。2人の教職員が死亡した[6]鹿屋市吾平町では浸水し、救難本部に遺体が収容された[6]

肝付町高山地区

一番犠牲者が多かったのは肝付町高山地区であった[6]鹿児島大学の名誉教授の岩松暉によると、高山地区では「山が崩れて土石流となって下流に押し寄せて増水して氾濫した」という[6]。平成には「被害を伝える石碑」、「高山川水害史碑」が建設された[6][3]。石碑の碑文によると、10月14日から15日にかけ、高山町では総雨量が420ミリの大雨により山津波が発生し、死者が118人、行方不明者が53人、重傷者が253人の被害が出た[3]。大水害洪水が潮のように押し寄せたために防ぐことができず、浸水した家屋は満水となったため、屋根の上に避難したが、下流に押し流された人もいたといった様子であった[3]

復興活動

10月15日朝、県庁に被害の情報が伝達したが、詳細はよくわかっていなかった[1]。しかし前代未聞らしいということにより、県庁に救援救護本部、鹿屋町に出先本部を設置[1]。県立鹿児島病院や県医師会をメンバーに、救療隊が結成された[1]。同日、海上班が警察船「旭櫻」で内之浦へ派遣され、救療隊も同行した[1]。陸上班は鹿屋へと派遣された[1]。事態の判明後、20日に鹿児島の歩兵第45連隊、21日には熊本工兵隊と、軍隊が出動することとなった[1]。財源は国庫補助、県の復旧復興事業費、全国から集められた義援金で賄われた[1]

水害の前年の昭和12年より国による河川改修が開始されていたが、水害後に本格化された[1]。河川改修では、蛇行していた肝属川の直線化や堤防作りなどを行った[6]。大隅河川国道事務所によると、同規模の豪雨が発生しても氾濫にはいたらないとみているが、2018年の台風24号では支流が一時氾濫危険水位を上回るなど、想定を超える事態はありうるという[6]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 昭和13年肝属地方風水害”. かだいおうち. 鹿児島大学. 2023年9月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e 肝属川における水害の記憶”. 国土交通省九州地方整備局河川部. 2023年9月12日閲覧。
  3. ^ a b c d 高山川水害史碑”. かだいおうち. 鹿児島大学. 2023年9月12日閲覧。
  4. ^ 鹿児島 1940
  5. ^ 大隅半島”. コトバンク. DIGITALIO. 2023年9月12日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 歴史を教訓に 肝属水害”. MBC防災スイッチ. 南日本放送 (2018年11月15日). 2023年9月12日閲覧。

参考文献

  • 鹿児島県 (1940-01). 昭和十三年肝屬地方風水害誌. NCID BN14455751 

  ウィキメディア・コモンズには、肝属地方風水害に関するカテゴリがあります。