胡 長仁(こ ちょうじん、? - 570年)は、北斉外戚武成帝胡皇后の兄で、後主胡皇后の父。は孝隆。本貫安定郡臨涇県

経歴 編集

胡延之の子として生まれた。尚書右僕射に累進した。568年天統4年)、尚書左僕射となり、さらに尚書令に上った。武成帝が死去すると、朝政に参与し、隴東王に封じられた。鄒孝裕・陸仁恵・盧元亮らと馴れあって、行政を停滞させたので、三佞と称された。和士開に憎まれて、鄒孝裕らは左遷され、長仁も斉州刺史として出された。570年武平元年)4月、和士開の殺害を計画して発覚し、死を賜った。572年(武平3年)、後主が長仁の娘を皇后に立てると、長仁にはを贈られ、長仁の弟ら7人も前後して王爵を受けた。

伝記資料 編集