興亜海運
興亜海運(フンアかいうん、ヒュンアかいうん、こうあかいうん, HEUNG-A Shipping Co., Ltd.)は、韓国の海運会社である。本社はソウル市。度重なる日本領海内での日本船舶との衝突事故を起こしている。
日韓航路で最初にフルコンテナ船を導入した韓国の海運会社で、かつては主に日本の地方重要港湾と釜山港を結ぶ日韓定期コンテナ航路を開設し、トランシップ・サービスで世界各地の中国・東南アジア・北米・欧州などの港を結んでいた。
2019年に行われた業界再編により採算性の低いコンテナ部門を興亜LINEとして分離し、同業の長錦商船(SINOKOR)へ譲渡した。このため現在はタンカーを主力とする在来船専業船社である。
日本での総代理店は三栄海運であったが、コンテナ部門については長錦商船の日本総代理店であるシノコー成本へ変更された。ブランド自体は興亜LINEとして継続している。
沿革
編集事故
編集- 1994年 9月5日 愛媛県 来島海峡 貨物船「グロリア」号、貨物船「興栄丸」に衝突。
- 1995年 8月14日 岡山県水島港港内航路 ケミカルタンカー「ウルサン・パイオニア」号、油送船「鶴藤丸」に衝突。
- 1998年 9月9日 福岡県沖ノ島北方沖合 貨物船「フンア・トウキョウ」号、漁船 「第38對東丸」に衝突。
- 2000年 6月22日 愛媛県 松山港 「フン・ア・ジュピター」号、第11金山丸に衝突。両船とも損壊。
- 2002年 5月5日 伊予灘北西部 貨物船「ポパン パイオニア」号、押船「三ッ子丸」とバージ「ちゃぱりと」に衝突。
- 2002年 8月23日 山口県 周防灘 「フン・ア・バンコク」号、小型底引き網漁船「生福丸」に衝突。「生福丸」船長が死亡。
- 2002年 11月10日 新潟県 粟島 「フン・ア・ウルサン」号、コンテナ流出事故。船長は玄界灘海難事故の船長
- 2003年 7月2日 福岡県 玄界灘 「フン・ア・ジュピター」号、第18光洋丸に衝突。死者7名、重軽傷7名。玄界灘海難事故
- 2003年 9月19日 福岡県 玄界灘「マサン・パイオニア」号、停泊中の「第2悠久丸」に衝突。
- 2004年 11月8日 兵庫県 播磨灘「ヒュン・ア・バンコク」号操業中の小型漁船「福章丸」に衝突。1名死亡。
- 2021年 5月28日 愛媛県 来島海峡「ウルサン・パイオニア」号、操業中の自動車運搬船「白虎」に衝突(白虎沈没事故)。3名死亡、
日本での事業
編集日本航路の沿革
編集- 1973年 日韓航路に参入。大阪港・神戸港に寄港。
- 1976年 横浜港に寄港開始。
- 1978年 東京港・門司港に寄港開始。
- 1986年 名古屋港・博多港・徳山港に寄港開始。
- 1990年 瀬戸内海航路に参入。広島港に寄港開始。
- 1992年 今治港に寄港開始。
- 1994年 日本海航路に参入。舞鶴港・敦賀港・新潟港寄港開始。
- 1995年 富山港・金沢港・四日市港・秋田港に寄港開始。
- 1997年 伊万里港・高松港・清水港に寄港開始。
- 1998年 高知港に寄港開始。
- 1999年 水島港・八代港に寄港開始。
- 2001年 仙台港・直江津港・和歌山港・豊橋港に寄港開始。
- 2002年 福山港・志布志港に寄港開始。
- 2003年 岩国港に寄港開始。
- 2004年 薩摩川内港に寄港開始。
- 2005年 境港に寄港開始。
- 2006年 三池港に寄港開始。
- 2007年 大船渡港に寄港開始。
- 2009年 志布志港に寄港再開。
- 2019年 コンテナ船の事業を譲渡し撤退。以降、在来船の不定期寄港のみとなる。
かつての寄港地
編集北海道
編集- 石狩港
- 苫小牧港
東北
編集- 秋田港
- 新潟港
- 大船渡港
- 仙台港
- 小浜名港
関東
編集- 東京港
- 横浜港
中部
編集- 清水港
- 名古屋港
- 四日市港
- 伏木富山港
- 金沢港
- 敦賀港
近畿
編集- 舞鶴港
- 大阪港
- 神戸港
中国
編集- 境港
- 岩国港
- 水島港
- 福山港
- 広島港
- 徳山港
四国
編集- 徳島港
- 高松港
- 高知港
- 今治港
- 松山港
- 伊予三島港
九州
編集- 門司港
- 博多港
- 伊万里港
- 八代港
- 三池港
- 薩摩川内港
- 志布志港
営業拠点
編集脚注
編集- ^ “Shipping Gazette News - Heung-AとSinokorがコンテナ事業統合で基本合意”. www.japanpress.co.jp. 2021年5月29日閲覧。
- ^ “「積み出す船も貨物もない」…新型コロナ拡大で危機を迎えた輸出企業=韓国”. 中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします. 中央日報 (2020年3月17日). 2021年5月7日閲覧。