船湊守
船 湊守(ふね の みなともり)は、平安時代初期の官人。姓は連。大仁・船王後の後裔で、左大史・船磯成の子とする系図がある[1]。官位は外正五位下・大外記。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 外正五位下・大外記 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇 |
氏族 | 船連 |
父母 | 父:船磯成 |
経歴
編集嵯峨朝前半に少外記を務め、弘仁7年(816年)従六位下から四階昇進して外位の従五位下に叙せられると共に、大外記に昇格する。弘仁10年(819年)には石見守として地方官に転じた。
淳和朝の天長3年(826年)二階昇進して外位ながら正五位下に叙せられ、翌天長4年(827年)大外記に復任、これを天長6年(829年)頃まで務めた[2]。
官歴
編集注記のないものは『日本後紀』による。