花泉遺跡
概要編集
花泉遺跡は金流川南岸の段丘上に位置し、厚さ2.5メートルほどの粘土・泥炭・砂層からなる化石床からヤギュウ、オーロックス(原牛)、野牛の一種ハナイズミモリウシ[1]、ヘラジカ、オオツノジカ、ナツメジカ、ナウマンゾウなどの化石骨が多量に出土している[2][3]。これらの動物群は、マンモス動物群が一時的な氷の橋を渡って北海道に入り、本州へ南下してきたものと考えられている。この遺跡からは、ほかにニホンジカ、イノシシ、アナグマ、ノウサギなどの中・小型の哺乳動物も発見されている。これらの獣骨に混じって少量ながら野牛の肋骨の先端部に研磨をほどこした骨製尖頭器が発見されている[4]。
また、植物化石(イラモミ・トウヒ・エゾマツ・アカエゾマツ・グイマツ・チョウセンゴヨウ)も多量に出土している。
放射性炭素年代測定法により3.5~1.6万年前と測定されている。約2万年前の自然環境(寒冷な植物の森林が広がっており、亜寒帯の針葉樹林気候であった。当時の気温は現在より摂氏6、7度ほど低かったと推定される。)を具体的に復元できる遺跡として有名である。
遊動生活編集
この遺跡は、旧石器時代人が狩猟した大型の哺乳動物を解体した場、いわゆるキル・サイトであったと考えられている。
旧石器時代の遺跡は、列島内で1万箇所以上発見されているにかかわらず、当時の生活・居住の痕跡として検出される遺構は、石器製作跡である「ブロック」と呼ばれる石片集中域と、それに付随する炉跡や礫群(調理施設)などであり、竪穴住居等の定住痕跡を示す遺構はほとんど発見されていない。また、哺乳動物は季節によって大きく移動を繰り返すことから、旧石器時代の人類は、設営・撤去が可能なテントのような簡易な住まいを建て、獲物を追ってキャンプ地を転々と移動する「遊動生活」をしていたと想定されている[5]。
脚注編集
参考文献編集
- 松藤, 和人 著「日本列島の旧石器時代」、歴史学研究会・日本史研究会 編 『日本史講座第1巻』東京大学出版会、2004年5月。ISBN 4130251015。
- 堤, 隆 『ビジュアル版・旧石器時代ガイドブック』新泉社〈シリーズ「遺跡を学ぶ」別冊第2巻〉、2009年8月25日。ISBN 9784787709301。
関連項目編集
座標: 北緯38度50分36.8秒 東経141度09分48.4秒 / 北緯38.843556度 東経141.163444度