茂木城(もてぎじょう)は、栃木県芳賀郡茂木町にあった中世の日本の城宇都宮氏の支族であった茂木氏の居城であった。

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茂木城
栃木県
城山
城山
別名 桔梗城[1]
城郭構造 山城
築城主 茂木知基[1]
築城年 建久年間(1190年 - 1199年)[1]
主な城主 茂木氏
廃城年 1610年(慶長年)[2]
遺構 本丸、二の丸、三の丸、堀[1]、土塁、池、櫓跡[2]
位置 北緯36度32分12秒 東経140度11分8秒 / 北緯36.53667度 東経140.18556度 / 36.53667; 140.18556座標: 北緯36度32分12秒 東経140度11分8秒 / 北緯36.53667度 東経140.18556度 / 36.53667; 140.18556
地図
茂木城の位置(栃木県内)
茂木城
茂木城
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歴史・沿革

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1180年治承4年)宇都宮宗綱の次男・八田知家源頼朝の蜂起に際の勲功によって、頼朝より茂木保の地頭職補任される[1]

1192年建久3年)に知家は三男・知基に地頭職を譲り茂木氏を名乗らせた。その茂木知基によって、建久年間(1190年 - 1199年)に築城される[1]

1556年佐竹氏に攻められ茂木氏はこれに臣従、以後佐竹氏の影響下に入る[要出典]

1585年天正13年)には天谷場の合戦北条氏結城氏らの連合軍によって1度は城を落とされているが、佐竹氏の援軍を得て奪回している[1]

1594年文禄3年)に佐竹義重の命によって茂木氏16代・茂木治良小川城へと移り、茂木氏の支配が終わる[1]

1595年(文禄4年)に佐竹氏に属する須田治則が城主となる[1]

1610年慶長15年)に佐竹氏が秋田に移封となり、代わって細川興元が茂木に入り、城下に陣屋を設けたため廃城となった[2]

現在の状況

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現在の茂木城跡は城山公園となっていて、曲輪・土塁・空堀が見られる。また、斜面の木々は間伐されており、良好な形状で保たれている。

構造

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茂木城は山城である。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 児玉幸多 監修坪井清足 監修平井聖 編修村井益男 編修村田修三 編修、峰岸純夫、菊池卓『日本城郭大系 第四巻 茨城 栃木 群馬』新人物往来社、1979年、262-263頁。ISBN 4404010117 
  2. ^ a b c 栃木県歴史散歩編集委員会『栃木県の歴史散歩』山川出版社、2007年、302-303頁。ISBN 4634246090 

関連項目

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