ザ・ビーバーズ

荒川宏から転送)

ザ・ビーバーズ(The Beavers)は、1966年に結成されたグループ・サウンズのバンド。1967年7月に、シングル「初恋の丘」でデビュー。1969年解散。

ザ・ビーバーズ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル グループ・サウンズ
活動期間 1966年 - 1969年
レーベル キングレコード
メンバー 早瀬雅男
成田賢
淡村悠紀夫
荒川宏
石間秀樹
平井正之
山浦透

メンバー 編集

ボーカル担当。愛称:マー坊。元スリーファンキーズ
ボーカル担当。愛称:ワンちゃん。のちエモーション、ソロ歌手
ドラムス担当。愛称:ユキオ。
ベース担当。愛称:ヒロシ。
ギター担当。愛称:ヒデキ。のち内田裕也とザ・フラワーズフラワー・トラベリン・バンドトランザム
ギター担当。愛称 : マサユキ
エレクトリックギター担当。愛称:トオル。

概要 編集

淡村悠紀夫が在籍したロカビリーカントリー・アンド・ウエスタン音楽のバンドワゴンスターズは短期間小坂一也の伴奏を務め、かつてはスリーファンキーズに転じた高橋元太郎が在籍していた。1960年代はスリーファンキーズのバックバンドを務めていたが1966年2月をもってスリーファンキーズともどもワゴンスターズの解散も決まり、淡村は地方公演で共演した大阪のゲイスパーズ(荒川在籍)、札幌のジャローズ(成田、石間、平井が在籍)[1]からメンバーを引抜き、早瀬を伴ってスリーファンキーズ解散と同時に1966年2月8日に「ジ・アウトロウズ」を発足、グループ・サウンズブーム本格化でレコードデビューが決まり、レーベルからバンド名変更を打診され「ザ・ビーバーズ」に改名した。スパイダクションに所属、ジャズ喫茶などで活動し、1966年12月、TBSヤング720」に初出演、以降準レギュラーとして人気を集めていく。

1967年6月、前述の通り「ザ・ビーバーズ」への改名はグループ・サウンズブームの支持者層は女子、未成年男女が多くその対象に合わせて名称を「可愛らしい、親しみやすいもの」と要請された結果で同年7月20日にキングレコードのセブンシーズレーベルからシングル「初恋の丘」でレコード・デビュー、続いてシングル4枚とアルバム1枚をリリースしたが、1969年4月1日に解散した。

成田、早瀬のツインヴォーカルを看板に「ザ・ビーバーズ」と改名したが一般のファンよりも同業ミュージシャン仲間から注目され玄人に好まれたバンドだった。スパイダクション所属でザ・スパイダースから楽曲を提供されベテラン淡村らのリズム、特に「七色の音色のギター」と称賛された石間は注目を集めオリエンタルなギターワークは最先端サイケデリック・サウンドをゆくもので、シングル「君なき世界」などで聞ける、英米の音を研究解析し国内では十分に出回っておらず未発達だったエフェクター等を駆使し、ステージでは石間の機材や奏法を探るミュージシャンが集い(ジェフ・ベック時代の)和製ヤードバーズに喩えられ絶賛されることもあった。大きなヒットには恵まれなかったが、実力派GSとして評価は高かった。

ディスコグラフィー 編集

シングル 編集

  1. 初恋の丘/ハロー!コーヒー・ガール!(1967年7月20日)公称10万枚のヒット(オリコン発足以前)。
  2. 君なき世界/ホワイ・ベイビー・ホワイ(1967年11月10日)オリコンチャート57位。作者の醐樹弦(ごきげん)はかまやつひろしのペンネーム。
  3. 君、好きだよ/恋して愛して(1968年4月10日)
  4. 愛しのサンタマリア/波うつ心(1968年8月20日)
  5. 泣かないで泣かないで/サテンの夜(1968年12月10日)元々はザ・スパイダースに提供された曲。B面はムーディー・ブルースの日本語カバー。

アルバム 編集

  1. ビバ!ビーバーズ(1968年)

脚注 編集

  1. ^ スカウトのいきさつは不明。

関連項目 編集