荷田 殷(かだ の おお、生没年未詳[1])は、奈良時代神職宿禰[1]雄略天皇の子・磐城皇子の末裔とされる。後継者に荷田嗣がおり、伏見稲荷神社社家荷田氏荷田春満の祖とされる[1]

和銅4年(711年)2月7日に伏見稲荷神社が鎮座した際に正官御殿預職を務め、荷田氏は代々同職を襲った[1]

東丸神社の摂社・荷田社には荷田氏の祖である殷・嗣・早・龍(荷田龍頭太)が祀られている。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d 根岸茂夫 「近世国学の展開と荷田春満の史料的研究[1]