蕭 宝攸(蕭寶攸、しょう ほうゆう、生年不詳 - 502年)は、南朝斉皇族。『南史』では、蕭宝修(蕭寶脩)と書かれる。邵陵王。明帝蕭鸞の九男。は智宣。

経歴編集

蕭鸞と管淑妃のあいだの子として生まれた。494年建武元年)11月、南平郡王に封じられた。495年(建武2年)9月、邵陵王に改封された。496年(建武3年)、北中郎将となり、琅邪城に駐屯した。499年永元元年)2月、持節・都督南北徐南兗青冀五州諸軍事・南兗州刺史となった。赴任しないうちに、征虜将軍・領石頭戍事に転じた。12月、陳顕達の乱が鎮圧されると、宝攸は持節・都督江州諸軍事・左将軍・江州刺史に任じられた。建康に召還され、中軍将軍・秘書監に任じられた。501年(永元3年)2月、荊州刺史に任じられた。502年中興2年)3月、謀反の罪で宣徳太后の令により死を賜った。

伝記資料編集

  • 南斉書』巻50 列伝第31
  • 『南史』巻44 列伝第34