薛 胤(せつ いん、456年 - 499年)は、北魏軍人は寧宗。本貫河東郡汾陰県

経歴編集

薛初古抜の長男として生まれた。弱冠にして中散の位を受けた。河東公の爵位を嗣ぎ、鎮西大将軍の号を受けると、懸瓠鎮将に任じられた。南朝斉の侵攻があったため、薛胤は都将となり、穆亮らとともに淮水で侵攻を阻止した。まもなく持節・義陽道都将に任じられた。

490年太和14年)、五等爵の制度が改革されると、公から侯に降格された。

493年(太和17年)、孝文帝が南征し、趙郡王元幹と穆亮を西道都将とすると、薛胤は仮節・平南将軍の位を受けて、年少の元幹を補佐した。裒父まで進軍し、南朝斉の武帝が死去すると、軍を返した。またこの年、元幹や穆亮とともに秦州の乱を討ち、支酉を捕らえて斬った。立忠将軍・河北郡太守に任じられた。河北郡は韓氏と馬氏の両姓がおのおの2000家あまりを率いて専横していたが、薛胤が赴任すると韓氏と馬氏の首領20人あまりを逮捕して処刑し、郡中を粛正した。

499年(太和23年)秋、病のため河北郡で死去した。享年は44。は敬といった。

子の薛裔は、字を豫孫といい、征虜将軍・中散大夫の位を受け、洛州刺史となった。

伝記資料編集