藤原 数子(ふじわら の かずこ、生没年不詳)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての女官藤原南家雄友の娘で、藤原北家藤原総継の妻。光孝天皇の外祖母。朝臣位階正五位上(贈正一位)。

生涯

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桓武朝延暦8年(789年)1月、多治比邑刀自紀若子とともに無位から従五位下に叙せられた[1]、という記録が残されているだけで、詳しいことはよく分かっていない。

光孝天皇即位後の元慶8年(884年)8年3月、夫の従五位上藤原総継とともに、正五位下から正一位を贈位され[2]、同年12月には山城国愛宕郡八坂郷の地10町を墓地とされている[3]

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』延暦8年正月27日条
  2. ^ 日本三代実録』元慶8年3月13日条
  3. ^ 日本三代実録』元慶8年12月25日条

参考文献

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