藤原通宗
藤原 通宗(ふじわら の みちむね、長久元年(1040年)頃 - 応徳元年4月12日または13日(1084年5月19日または20日))は、平安時代中期から後期にかけての貴族・歌人。藤原北家小野宮流、大宰大弐・藤原経平の長男。官位は正四位下・若狭守。
経歴 編集
右衛門佐を経て、延久4年(1072年)ごろ能登守、承暦元年(1077年)周防守、永保元年(1081年)若狭守と、後冷泉朝末から後三条朝・白河朝にかけて受領を歴任する。この間、延久4年(1072年)任地の能登国で『気多宮歌合』を主催したほか、永保3年(1083年)『中宮篤子内親王侍所歌合』では判者を務めた[1]。和歌作品が『後拾遺和歌集』(4首)と『金葉和歌集』(1首)に採録されている[2]。
官歴 編集
系譜 編集
『尊卑分脈』による。