藤野 忠次郎(ふじの ちゅうじろう、1901年2月21日 - 1985年7月23日)は、日本経営者三菱商事社長、会長を務め、「三菱商事の中興の祖」でもある。埼玉県出身[1]

経歴・人物

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1925年東京帝国大学法学部を卒業し、三菱商事に入社[1]1956年5月に常務に就任した[1]。戦後直後に渉外部長として、財閥解体GHQとの折衝役を務めた[2]

1947年に取締役に就任し、1964年5月に副社長に就任した[1]1966年4月に社長に就任し、1967年に三井物産を抜き、総合商社トップの座につくことを実現させた[1][3]1974年に会長に就任した[1]東京商工会議所副頭取、三菱電機取締役、三菱倉庫取締役、三菱重工業取締役、金曜会の代表世話人なども歴任した[1][3]

ハーバード大学に日本研究活動助成金100万ドルを寄付するなど国際交流にも尽力した[3]

1971年4月に勲二等旭日重光章を受章し、1981年4月に勲一等瑞宝章を受章した[1]

1985年7月23日呼吸不全のために死去[2]。84歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 興信データ株式會社 1985, ふ119頁.
  2. ^ a b 1985年 7月23日 日本経済新聞 夕刊 p1
  3. ^ a b c 1985年 7月24日 日経産業新聞 p23

参考文献

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  • 興信データ株式會社『人事興信録 第33版 下』興信データ、1985年。