袖山 喜久雄(そでやま きくお、1902年6月20日 - 1960年1月31日)は、日本経営者。東洋レーヨン(現在の東レ)社長を務めた。

経歴 編集

茨城県出身[1]1926年東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に東洋レーヨンに入社[1]

1945年に取締役に就任し、1947年に常務を経て、1948年に社長に就任[1]

1960年1月31日胃癌のために死去[2]。57歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c 人事興信所 1959, そ36頁.
  2. ^ 1960年 1月31日 読売新聞 夕刊 p3

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第20版 上』人事興信所、1959年。 
先代
田代茂樹
東洋レーヨン社長
1948年 - 1960年
次代
森廣三郎