谷衛秀
日本の江戸時代中期~後期の大名。丹波山家藩5代藩主谷衛衝次男で、山家藩7代藩主。従五位下播磨守
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保14年(1729年) |
死没 | 安永9年8月13日(1780年9月11日) |
改名 | 勝千代(幼名)、衛秀 |
別名 | 図書(通称) |
戒名 | 庸学万中天柱院 |
官位 | 従五位下・播磨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 丹波山家藩主 |
氏族 | 谷氏 |
父母 | 谷衛衝、谷衛将 |
兄弟 |
衛将、衛秀、遠山景煕、青木一都正室、 内藤信智正室、谷衛明室、小倉夏季室、 谷衛明室 |
妻 | 牧野長成娘 |
子 | 濟之助、衛量、衛睦、蒔田広憲正室、谷勝衛室ら |
生涯
編集第5代藩主・谷衛衝の次男。
宝暦14年(1764年)、先代藩主で兄の衛将が死去したため、その養嗣子となって跡を継ぐ。安永9年(1780年)8月13日に52歳で死去し、跡を次男の衛量が継いだ。