豊中稲荷神社

大阪府豊中市中部にある神社

豊中稲荷神社(とよなかいなりじんじゃ)は、大阪府豊中市中部にある神社。旧社格は村社[1]。豊中稲荷神社は通称であり、正式社名は稲荷神社

豊中稲荷神社

社殿正面
所在地 大阪府豊中市本町7丁目3-7
位置 北緯34度47分27秒 東経135度27分56秒 / 北緯34.79083度 東経135.46556度 / 34.79083; 135.46556 (豊中稲荷神社)座標: 北緯34度47分27秒 東経135度27分56秒 / 北緯34.79083度 東経135.46556度 / 34.79083; 135.46556 (豊中稲荷神社)
主祭神 宇迦御魂神
天照皇大神
月読命
社格村社
創建 不詳
本殿の様式 一間社流造
例祭 10月17日
地図
豊中稲荷神社の位置(大阪府内)
豊中稲荷神社
豊中稲荷神社
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祭神

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歴史

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創建年代は不確かながら、行基創建の金寺近衛氏から寺領数十町歩の寄進があり、この守護神として勧請されたことに始まるとされる[2][3]。以後三車之荘(新免乃荘)の産土神として栄えたが、永正元年(1504年)、足利義稙により社領を没収され、荒廃した。更に天正6年(1578年)、織田信長伊丹城荒木村重攻略に当たり、高山右近に命じて摂津国一円の社寺を焼き払わせたため、当社の宝物も、神璽を除き烏有に帰してしまった。

戦火が収まると、神社は仮殿を経て慶安4年(1651年)に再建されたものの、往時に比べればささやかな小社となった。昭和45年(1970年)、再建320周年記念行事として幣殿・拝殿・社務所を改築し、本殿は旧来のままで覆殿を新築した。この時、社殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で造られた[2][3]。ここは新免宮山古墳群に含まれる稲荷山古墳があった場所で、須恵器棺が出土した[4]

豊中稲荷神社由緒書きに、農業が中心の時代に、祈雨祭が旱天毎に行われ、氏子が催した飛上り太鼓のことが書かれている。現在、この祭りは行われていない。

主な祭礼

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  • 春祭 - 4月17日挙行。
  • 夏祭 - 7月17日挙行。
  • 秋祭(例大祭) - 10月17日挙行。
  • 大祓 - 12月31日挙行。

当社は丘陵地に位置するため、周囲は古くから水利に難があった。このためかつては雨乞いの祈雨祭がしばしば催されたという。領主だった保科氏からも牡丹餅の奉納があり、また氏子が奉納する飛上り太鼓が知られていたものの、祈雨祭は周囲の宅地化につれて行われなくなった。例大祭の秋祭では、鳥居前の道路を秋祭の太鼓が巡幸するほか、だんじり、子どもや女性の神輿も登場する。[5]

境内

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周囲はかつて農村だったが今や完全に住宅地と化し、境内は隣接する公園と共に貴重な緑の空間となっている。境内には、学校法人豊中稲荷学園が運営する宮山幼稚園がある。また、豊中町三大大字普通水利組合の共有池を公園化した記念碑がある。

現地情報

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所在地
交通アクセス

脚注

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出典

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  1. ^ 関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター 神社を中心とする村落生活調査報告(三)大阪府-大阪市・三島郡・豊能郡-2019年2月18日 閲覧
  2. ^ a b 豊中市教育委員会2008年3月発行『とよなか歴史・文化財ガイドブック』p.25
  3. ^ a b 福西茂著1994年1月発行『豊中の史跡たずね描き』p.54
  4. ^ 大阪府の歴史散歩編集委員会編 山川出版社発行 2000年12月発行『新版大阪府の歴史散歩 上』p.148
  5. ^ 能登宏之監修『保存版ふるさと豊中』郷土出版社,2016年.

外部リンク

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