豊竹嶋太夫
豊竹 嶋太夫(とよたけ しまたゆう)は、日本の文楽(義太夫節)の「大夫」(太夫)。嶋太夫の名跡は、令和の時代まで8人に継がれている。しまの漢字表記は「島太夫」とも。
初代
編集(生没年不詳)
初代豊竹若太夫(後の豊竹越前少掾)の門弟。1717年に豊竹座に初出演。1725年に江戸で終生活動。没年不詳。一時師名の2代目若太夫を名乗る(代外)。
2代目
編集後の2代目豊竹若太夫。
3代目
編集(生年不詳 - 1827年)
大坂の出身。竹本播磨大掾の門弟。1809年が初出演。竹本文字太夫、竹本島太夫を経て、1820年に3代目島太夫を襲名。1827年京都で死去。
4代目
編集(生没年不詳)
大坂の出身。3代目島太夫の門弟。1827年が初出演。竹本八十太夫、豊竹広太夫、竹本島太夫を経て、1830年に4代目島太夫を襲名。
通称を「平助」。
5代目
編集(生没年不詳)
播磨姫路(現在の兵庫県)の出身。3代目竹本住太夫の門弟。1829年に初出演。竹本高太夫、大島太夫を経て、1843年に5代目島太夫を襲名。江戸にて没した。
通称を「藤助」。
6代目
編集7代目
編集後の10代目豊竹若太夫。
8代目
編集(1932年〈昭和7年〉3月7日[1] - 2020年〈令和2年〉8月20日)本名は村上五郎。
愛媛県松山市(旧北条市)出身。1948年(昭和22年)、3代目豊竹呂太夫(元・7代目嶋太夫)に入門し2代目豊竹呂賀太夫。1952年、3代目呂太夫が10代目若太夫を襲名したため、1954年11月に4代目豊竹呂太夫となるが、1955年夏に退座する。1968年4月に3代目竹本春子太夫の門下で復帰し8代目嶋太夫を襲名ともに文楽協会に加入。1969年に4代目竹本越路太夫門下。1994年(平成6年)4月より切場語り。2008年に旭日小綬章を受章。2015年10月重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。同月引退を発表。2016年2月東京公演で引退。2020年(令和2年)8月20日、死去[2]。88歳没。
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
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